白鷹山の山頂に来ていつも感じるのは、虚空蔵菩薩を祀る神社のどっしりとした存在感である。途中の急坂を登ってきた疲れも、すぐに発散される。古びた木造の変哲もない建物であるが、何故か登頂してくる人の心を打つ。虚空蔵とは、無限の知恵と慈悲を持つ菩薩ということで、米沢藩の上杉鷹山が、この菩薩に厚い信仰を寄せ、寄進を行った神社である。思えば、鷹山公は、藩の中興の祖と言われ、養蚕などを興し、産地の開拓や藩の暮らし全般の見直しを行った。新芽を食べるウコギを生垣と植えることを推奨し、城下の堀では鯉を飼って、鯉の甘煮がこの地方の特産品ともなった。養蚕はやがて絹糸となり、米織もまた地域の経済を支える産物となった。虚空蔵菩薩の持つ無限の知恵は、鷹山を初めとする置賜の人々の魂の拠りどころと言ってよい。
登山口は自然少年の家に向かう大平口。ここの平地を過ぎて高圧線の鉄塔へ向かう。急なジグザクの道を鉄塔で一息つく。その上の尾根道は、時折り急坂が現れる。融け始めて、寒気で氷った雪の上に、昨日の新雪が20㌢ほど積っている。トレースは新雪で覆われいるが、ここがコースであることは、GPSで確認することなく分かる。アイゼンを履いただけで、カンジキを必要としない易しい雪道だ。やがてどっしりとした、ブナの大木が目前に現れる。自由に枝を広げ、他の木々を寄せ付けない。威風堂々とした古木である。看板に「大鷹ぶな」と掲げられている。ルビは「だいよう」とふられている。鷹山公の一字を貰って名付けられたか、新緑の季節の葉で覆われた姿を想像しただけでも、その大木はさらにその荘厳さは見事なものであることが分かる。
9時過ぎに登山口出て、ここまで約1時間。時折り雲が広がるものの、青空と陽ざしがいっぱいの絶好のコンディションである。
ブナ林を透かすようにして、頂上の杉木立が見えてきた。ここまで、見かけた人は下って来た単独行の男性が一人だけ。本日、行をともにしたメンバーは10名、内男性3名である。計画では先週であったが、悪天候でこの日に延期された。結果、この恵まれた雪景色は、いよいよ最後を飾るものなっていく。外輪の形状をなしている尾根道を行くと、最後の急登が見えてきた。
この写真から山頂の杉の大きさがわかる。山形市内からも、遠目に山頂の杉が確認できるが、山頂へ来てその大きさに圧倒される。枝打ちした杉を見なれていると、杉本来の樹形を忘れてしまう。かくもどっしりとして、山頂の虚空蔵尊を守っていると思うと、杉への愛着の念さえわき上がってくる。昼食は、神社の板敷きの上に腰かけさてもらって、デスタンスをとりながらとることになった。8名ほどの女性グループが、避難小屋の前に登ってきた。やはり、日に焼けた顔は、いかにも登山愛好家らしい雰囲気を漂わせている。
昼食が終わって早々に下山。いつも思うことだが、こんな急な坂を登ってきたのか。視線が先へ、遥か下の谷筋へと広がることによって、高所の恐怖をおぼえるのか。足をひっかけないように注意して下る。しかし、所要時間は半分以下だ。尾根に冷たい風が吹いてきた。青空とはおいえ、北風の厳しさを時間する。車を停めた駐車場まで、まっすぐに下る。ほぼ1時間少しで下山。全員が無事に帰還。すばらしい雪景色を堪能した一日であった。
峰越越えて雲はしきりに飛びゆけど
中空にしてあとかたもなし 結城哀草果
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