
地蔵倉までの道は、絶壁に張りつくような細い道である。せり出した石灰岩が垂れさがる狭い場所はわずかに雨露を防ぐ、わずかに人一人が身を寄せることができるような場所だ。周りに口腹を満たすようなものは目にすることができない。かつての、古の人びとの信仰心がどのようなものか、ここに来て想像の小さな翼を広げることができるような気がする。地蔵倉の由来が山道の入り口に看板にしてある。源翁という旅人が山中に道に迷い途方に暮れていたところ、老僧が現れた。この老僧こそが地蔵権現で、自身山中で肘を折り苦しんでいたが、岩の間に噴出する温泉を見つけてこれに肘を浸すと快癒したと語り、この国の人にこの温泉の効能を伝えて欲しいと託した。源翁は温泉を肘折温泉、老僧と出会った場所を地蔵倉と名付けて守ったという。
肘折温泉は豪雪地帯として知られる。雪が降り始めると、青森の酸ヶ湯と並んで積雪量が真先に出るのがここだ。温泉旅館では、積雪量によって宿泊費を値引きするキャンペーンが行われる。確か4mを超えると、宿泊費だ無料になったと記憶している。またこの温泉地はカルデラ火山の活動によって約1万年前にできたカルデラとしても知られる。最初に軽石流の噴出したあと、空洞になった部分が陥没する。カルデラとしては小規模であるが、高地から温泉地を俯瞰すると、その陥没した地形がくっきりと見える。

山形から車で2時間足らず、温泉街にある駐車場に車を停めて、雪深いそして古びた温泉街を歩いて薬師神社を目指す。急な階段を登っていくとすぐに神社に出る。小学生らしい3人の子が網を持って蝶々取りに夢中である。神社の裏から石を掘ったお地蔵さんが案内役である。杉林を過ぎ、ブナが目立つ辺りから、森に日がさし込んでくるくる。
あらたうと青葉若葉の日の光 芭蕉
この景色を見て、芭蕉に句が頭にうかんだ。日光で詠んだもので、日光と日の光りを意味に重ねているが、芭蕉が目にした光景と同じ景色がここにある。

薬師神社から地蔵倉までは1時間足らず。祠の後ろへ廻ると、岩の左手に視界が開ける。青い空に雲が浮かび、梅雨時の緑が実に鮮やかだ。岩は偽灰石で、無数の穴が開いている。人々は紙縒りを作って、五円玉を結び穴にさし込んで願をかけた。子作り岩、ご縁がありますように。縁結びの願いが、人々を絶壁のような危険な道へと導いていく。先週の摩耶山に比べれば、同じ信仰でも、その苦労は比較するべくもないが、里の住む善男善女の素朴な願いを応援したくなる。
帰路は車道まで同じ道を帰るが、車道から沢沿いの道に入る。丸々と太ったミズが、沢をふさぐように生えている。家苞にひとつかみ、リュックのしまい込んだ。沢の近くには、笹も大きく、出始めた葉が美しい。先端が採られているところを見ると、集落の人たちが笹巻の材料にしたのであろうか。

やがて見えてきた銅山川の肘折ダム。簾のような水しぶきが新鮮だ。ここから再び温泉街を通って駐車場に行く。時計は1時を過ぎている。空腹感も感じたので、郵便局の脇にある手打ちそば店へ。コロナ緊急事態宣言宣言も緩和されてお客さんも戻っているのだろうか。旅館の前に下げてある札に、お客さんの名前が大書されている。手打ちそばは、久しぶりに食べたせいか美味。その後、温泉でゆっくりと手足を伸ばす。
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