常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

白洲正子の言葉

2022年08月15日 | 日記
先日蔵王温泉を訪れ、上の台、須川神社の近くに、白洲次郎の別荘を見つけた。白洲次郎はイギリスのケンブリッジ大学に留学し、戦後の日本<を代表する実業家で、吉田内閣のブレーンでもあった。1951年から東北電力の会長となり、その縁で蔵王に別荘を建てた。その妻は正子、こちらはアメリカの全寮制のハートリッジスクールに入学、厳しい教育を受けている。正子の関心は、『平家物語』、『枕草子』などの日本の古典で、生涯の愛読書は世阿弥の『花伝書』であった。私の本棚に白洲正子の本が3冊ある。『私の百人一首』、『能の物語』、『かくれ里』だ。

あたし、明日はこないかもしれない。そう思って生きているの。あんたもそうするといいよ。緊張して生きるようになるから。」(白洲正子)

蔵王に建てた別荘はヒュッテ・ヤレン。スキーは上手くやれん、という意味をこめたユーモアのあるネーミングだ。因みに町田にある本宅は、武相荘と称するが、こちらは武蔵と相模の境にあることと、無愛想をかけたユーモアあふれるネーミングになっている。

正子の言葉は、老いてからの生活の本質をついている。つまり「無理をしない」、「無駄をしない」、そして三つ目は「不精をしない」の三ないである。目標は腹八分目、そしてエネルギーの無駄は避ける、できることは不精にならずしっかりやる。持ち物を少し打つ減らして、身軽になることこそ、老いた人の生きる極意である。

正子は『私の百人一首』のなかで述べている。「だんだん年をとるにつれ、平安朝の文化の奥の深さ、京都の自然のこまやかさに魅力を覚えるようになった。人間の一生というものは短くてはかないが、一国の文化が成熟し、老いていく姿と似ているような気がしてならい。」60の手習いは、若いころに覚えた文化を、60歳になってからもう一度総ざらいすることで、人生は深みを増していくことを説いている。


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