ふるさとの蔵の白かべに鳴きそめし蝉も身に沁む晩夏のひかり 茂吉
ふるさとの蔵とは、生家の東に立っている蔵屋敷ことである。今も塗装したのか、目にしみるような白壁がある。俳句の歳時記を引くと、晩夏は夏過ぎる、夏終わるを縮めて晩夏にした、書いてある。秋風を感じる一歩手前の微妙な季感、とも書いてある。一匹の蝉がその壁にとまって鳴いている景色に、晩夏の光りに重ねたのは茂吉ならではの感性である。
小泉八雲もその季節を好んだらしい。『日本の庭』という小品のなかで、この季節について書いている。
「蝉だけが庭の音楽家ではない。中に目立つのが二種類あって、蝉のオーケストラに伴奏をする。その一つは鮮やかな緑色をした美しいきりぎりすで、日本人には「仏の馬」という珍しい名前で知られている。なるほど、この虫の頭の辺りが馬の頭部にいくらか似ていてーそれ故こんな幻想が生まれたのであろう。奇妙に人なつっこい虫で、手で捕まえてももがきもせず、大体がよく家の中へ入って来て、いかにもくつろいだ様子である。もう一つの虫も緑色のきりぎりすで、こちらは少し大きく、ずっと人になれない。歌い方の故に「ぎす」と呼ばれる。」
あと一週間もせずに、季節は処暑を迎える。昨日、気温は最高25℃で、一ヶ月以上続いた真夏日が、一たん途切れた。今日は30℃を超えるようだが、30℃を切る日が次第に増えていく。誰かも言っていたような気がするが、齢をとると、夏が去っていくことに、ふと哀感がかすめる。ひどい暑さであったが、もうこの夏はあと一年を待たないとやっては来ないのだ。