常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

捨児

2018年12月11日 | 日記

先日、このブログに雲井龍雄の「棄児行」

の話を書いたので、芥川龍之介に『捨児』

という短編があるのが気になった。この小

は棄子自身が、自分の身の上を、作家に

るという手法で書かれている。捨子が置

れた場所は浅草の信行寺の門前、時は明治

22年である。話は寺の門前に捨児がある、

との門番の知らせに、読経をしていた住職

は門番を振り向きもせずに「その児を抱い

てこれへ」とこともなげに話したことに始

まる。女手のない寺での児育てをしながら、

「毎月16日、説教」という紙を貼って、親

子の情愛を説きながら、実の親が現れるの

を待った。

5年後の説教の日、母と名乗る女が現れる。

その日から20年、実の母が及ばない寝食を

忘れるほどに捨児のために尽くした。成人

したその児は、この女の知り合いから、自

分はこの人の児でないことを知らされる。

その女は実の母を演じ続け、児は知った事

実を告げないまま、突然に亡くなってしま

う。小説はこの女が三歳の女児を亡くした

こと、信行寺の住職の説教に異常な感動を

したことを短く書いている。

コメント (2)
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