先日、このブログに雲井龍雄の「棄児行」
の話を書いたので、芥川龍之介に『捨児』
という短編があるのが気になった。この小
説は棄子自身が、自分の身の上を、作家に
語るという手法で書かれている。捨子が置
れた場所は浅草の信行寺の門前、時は明治
22年である。話は寺の門前に捨児がある、
との門番の知らせに、読経をしていた住職
は門番を振り向きもせずに「その児を抱い
てこれへ」とこともなげに話したことに始
まる。女手のない寺での児育てをしながら、
「毎月16日、説教」という紙を貼って、親
子の情愛を説きながら、実の親が現れるの
を待った。
5年後の説教の日、母と名乗る女が現れる。
その日から20年、実の母が及ばない寝食を
忘れるほどに捨児のために尽くした。成人
したその児は、この女の知り合いから、自
分はこの人の児でないことを知らされる。
その女は実の母を演じ続け、児は知った事
実を告げないまま、突然に亡くなってしま
う。小説はこの女が三歳の女児を亡くした
こと、信行寺の住職の説教に異常な感動を
したことを短く書いている。