来年の岳風会の優秀吟コンクールで、吟題に本
居宣長の「あらたまの」を選んだ。高齢になっ
てコンクールへの挑戦もそろそろ終わりと考え
ている。この歌に挑戦するのは多少意義あるこ
とのように思える。
あらたまの春にしなればふる雪の
白きを見ても花ぞまたるる 本居 宣長
教本の通釈には「春になってしまったので、降
る雪の白い様子を見ていても、(雪と花はよく
見まがわれるものだから)桜の花の咲くころが
待たれれてならない。」とある。宣長は、桜の
花を愛してやまなかった。この歌を詠んだとき
すでに71歳を迎えていた。題詞に「あたかも、
枕の上の山の景色にありなむ」と付されている。
この年になってあと何回桜の花がみられるか、
という思いが宣長の頭を何度もよぎったであろ
う。この年、宣長は家人に遺言をしたため、自
らの墓をスケッチし、その墓の奥には山桜の樹
を植えるように指示している。「植候桜は、山
桜の随分花の宜き木を吟味、植え申すべく候」
と細かく指示し、枯れたときは植え替えまでも
書き添えている。この遺書を書いてから後、秋
から冬にかけて、桜の歌ばかり三百首を詠んで
いる。これを「まくらの山」としたのは、寝覚
めの床の枕の山に、ときならぬ桜がいくつも、
いくつも開くからだ。目覚めの夢うつつに桜が
見え、次々と歌に詠んだ。宣長の桜への思いが
それほどに強烈だったことは、この一事からも
知ることができる。そのような宣長の桜への思
いを詩吟でどう表現できるか。余韻の工夫が欲
しい、と学院の吟詠ポイントにコメントが「吟
道」誌上に書かれている。