常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

落語

2018年12月04日 | 日記

漫才の最盛期である。漫才師の登竜門である

M1グランプリは、テレビで大きな視聴率をた

たき出す。漫才に打ち込んでいる若者は、才

能にあふれた逸材で、テレビの司会からバラ

エティーなどにお笑いの人が毎日出演してい

る。彼らの存在なしにもはやテレビの番組が

成立しないと言っても過言ではない。

江戸から明治にかけて、落語は今日の漫才ブ

ームと同じような存在であった。明治の文豪

・夏目漱石が言文一致の小説を書き上げるの

に、使ったのが落語の語り口である。漱石が、

幼少の頃から近くの寄席に連れられて通った

ことはよく知られている。『坊ちゃん』は、

主人公が江戸っ子で、その気質を一番よく出

しているのは落語である。晩年、漱石は『明

暗』を執筆していた。大正5年11月21日のこ

とである。荒正人の『漱石研究年表』をみる

と、午前中『明暗』の執筆を終えたが、体調

がすぐれず、ガスストーブの前に横になって

いた。4時ごろ、妻が依頼していた礼服が届

いた。この日、約束していた辰野隆と江川久

子の結婚式に出席するためである。妻は苦し

そうな夫の様子を見て、出席を見合そうと、

言ったが、「せっかくだから行こう」という

ことで人力車に乗って出かけた。場所は上野

の精養軒。相変わらず胃は痛んだが、余興で

小さんの落語「うどんや」が始まると、漱石

はうれしそうな顔をした。安倍能成の証言に

よると漱石は一番この「うどんや」が好きで

何度も寄席に聞きに行った。寄席がはねて、

帰ってきても小さんの口真似をして「おいう

どんや」と最初の下りを言っては、笑いしま

いには笑い過ぎて顔が真っ赤になったという。

翌日から漱石の病状は悪化し、一時小康を得

るも翌12月9日、帰らぬ人となった。落語好

きの漱石が聞いたいちば最後の落語が、一番

好きな「うどんや」であったのは、因縁めい

た話である。いま、ユーチューブで「うどん

や」を検索すると、小さん、小三治、喬太郎

などのが居ながらして聞くことができる。な

るほどこの落語の枕は、漱石が好んだだけあ

ってよくできている。

コメント (2)
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