コボタッチを購入してから、電子ブックのニュースがマスコミを賑わしている。楽天の三木谷社長はコボタッチに売れ行きが10万台を超え、アマゾンやグーグルの進出でしのぎを削る日本の電子ブック市場での自信を表明している。電子ブックの売れ行きも、コボ購入者が1~2冊買っている勢いで増えているという。
購入してから1週間ほどだが、扱いにもなんとか慣れてきた。唯一ワイヤレスでのWifiへの接続ができないが、パソコンにケーブルで接続することで目下のところ不便はない。昨日、充電のためパソコンに接続したら、思いがけず青空文庫の無料版の岡本かの子、永井荷風、梶井基次郎など、絶版で入手困難な本がわがコボタッチの本棚に入っていた。
特に岡本かの子は、先月、瀬戸内寂聴の『かの子繚乱』を読んだばかりである。
コボタッチには『鮨』『老妓抄』の2編が入っている。早速、『鮨』を読む。鮨屋の看板娘のともよが見た、鮨職人の父と常連客のやりとりが、当時の風俗を交えて細かく書かれている。ともよが気になる、50代で初老の湊という常連客がいた。
ある日使いに出たともよは、市場で偶然湊に出会う。まだ学生であるともよと初老の湊との取り合わせは、いかにもそぐはない気がするが、「なぜ鮨が好きなの」「何故食べるの」というともよの幼稚な問いに、湊は自分が歩んできた人生を語り、鮨が好きになったいきさつを話す。ひとり暮らしの湊が、孫娘に聞かせる人生の物語のようである。
湊は大きな商いをする家に生まれたが、しだいに傾いていく商家への不安か、ものを食べない痩せぎすの子供であった。父の心配に一念発起した母は、湊の前で鮨を握った。「はだかの肌をするするとなでられるようなころ合いの酸味に、飯と、玉子のあまみがほろほろに交ったあじわいが丁度舌1ぱいに乗った具合ーーーそれをひとつ食べて仕舞うと体を母に拠りつけたいほど、おいしさと、したしさが、ぬくめた香湯のように子供の身のうちに湧いた。」
初老の男が年端もいかない少女に、何故、自分の人生を語り、子供のころの母の思い出を話したのか。それは読む者が想像する他はない。自分が生きてきたことの核心部分を語り残したいという衝動は誰にもある。岡本かの子の小説そのものが、そんな衝動に突き動かされて書かれたものなのではないか。
電子ブックという新しい形態の本のなかに、夏目漱石や森鴎外、芥川龍之介などの古典が入るというマッチングこそが、現代の読書を多様にする。芥川と村上春樹を並べて読み比べることに意義がある。時の流れが世界のありようを変えていくが、生きることの核心はそれとは関係なく存在する。