とあるパーティの会場(かいじょう)。さやかは女友達(ともだち)に誘(さそ)われてやって来ていた。目的(もくてき)はもちろん、いい男を見つけること。周(まわ)りを見渡(みわた)せば、美男(びなん)ばかりがそろっていた。
「ねえ、あの人…」友達がさやかにささやいた。「さっきから、ずっとあなたを見てるわよ」
さやかは、さり気なくそちらに目をやった。そこにいたのは、明らかに場違(ばちが)いな男性。ブサイクとは言わないが、小太(こぶと)りで時代遅(じだいおく)れのスーツを着ていた。その男性は、意(い)を決(けっ)したようにさやかに近づいて来て言った。「あの、ちょっといいですか?」
男はさやかを抱(だ)きしめるように腕(うで)を回(まわ)した。さやかは男のお腹(なか)が自分(じぶん)の身体(からだ)に触(ふ)れて、思わず叫(さけ)び声をあげそうになった。見ず知らずの人から、突然(とつぜん)ハグされるなんて。
「何するんですか…」さやかは消(き)え入(い)るような声で言った。
「もうちょっとですから…」男はそう言うと、すぐに回していた腕を離(はな)した。そして、さやかの前にそっと手を出す。そこにあったのは、洋服(ようふく)のタグ。さやかは買ったばかりで、はずすのを忘(わす)れていたのだ。男は誰(だれ)にも気づかれないように、それをポケットにしまった。
さやかは何も言えず、男の顔を見つめていた。男はにっこり微笑(ほほえ)むと、その場を離れて行った。さやかは男の後ろ姿を目で追(お)った。彼のスーツの首もとに、クリーニングのタグが覗(のぞ)いていた。さやかはくすりと笑(わら)うと、彼のあとを追いかけた。
<つぶやき>出会いのきっかけは、些細(ささい)なことなんです。そこから、何か始まるかもね。
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結婚(けっこん)して三年、いつの間にか夫(おっと)は私に関心(かんしん)を示(しめ)さなくなった。髪(かみ)を切っても、新しい服(ふく)を着ていても、まったく気づいてくれない。料理(りょうり)にいたっては、こっちから訊(き)かない限(かぎ)り美味(おい)しいなんて……。たとえ美味しいって言ってくれても、本当(ほんとう)にそう思っているのか怪(あや)しいものだわ。私はこの状況(じょうきょう)を変えようと、思案(しあん)をめぐらせた。
夫の帰る時間を見はからって帰宅(きたく)をする。もちろん、近くのスーパーへ行く格好(かっこう)じゃなく、奇麗(きれい)にオシャレをしてね。きっと夫は訊いてくるわ。どこへ行ってたんだいって。
すかさず私はこう答えるの。「ちょっとね」
この言い方は難(むずか)しいわ。かすかに微笑(ほほえ)んで、女の色香(いろか)をただよわせるのよ。声のトーンを少しあげて、ゆっくりとささやくように。この一言(ひとこと)で、夫は私に釘付(くぎづ)けになるはず。
「ちょっとって何だよ。俺(おれ)に言えないのか?」
夫は、こう切り出してくるわ。そこで私は、夫に背(せ)を向けてこう言ってやるの。
「あら、どうしたのあなた…。私のことは、気になさらないで」
「なに言ってるんだ?……」
夫はきっと動揺(どうよう)するはずよ。だって、いつもの私じゃないんだもの。私は夫の肩(かた)に手をかけて、彼の目をじっと見つめてとどめのひと言。「私のこと…」
「なあ、今日の晩飯(ばんめし)は何かな? 俺、もう腹(はら)ぺこなんだよ」
<つぶやき>胃袋はしっかりつかんでいるようですね。でも、愛の言葉も聞きたいです。
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「しかし、奇麗(きれい)な顔してますよねぇ。まるで、モデルのような…」
「オイ、惚(ほ)れるなよ」
「惚れるわけないじゃないですか。死体(したい)ですよ。そんな…」
二人の刑事(けいじ)は、ソファーの上に横たわっている女性に手を合わせた。現場(げんば)には侵入(しんにゅう)した跡(あと)も、あらそったような形跡(けいせき)もなかった。
「自殺(じさつ)ですかね?」若(わか)い刑事が言った。「美人(びじん)なのになぁ」
「何で自殺したんだよ。外傷(がいしょう)もないし、毒(どく)を飲(の)んだら何か残(のこ)ってるはずだろ」
先輩(せんぱい)の刑事は、部屋の中を見渡(みわた)した。鑑識(かんしき)が部屋の隅々(すみずみ)まで調(しら)べている。だが、これといって死亡(しぼう)につながる手掛(てが)かりはなさそうだ。
「あの、せ、先輩……」若い刑事が震(ふる)える声で叫(さけ)んだ。
「どうした? 何か見つけたのか」
「いえ、あの…。これ…、さっきと変わってませんか?」若い刑事は死体を指(ゆび)さした。
「なに言ってるんだ?」
「だから、彼女、さっきと違(ちが)うんです。この…、手の位置(いち)が、こう……」
「あのな」先輩はあきれた顔で、「死体が動いたなんて、聞いたことないぞ」
「そ、そうですよね」
若い刑事は、もう一度彼女を見た。その顔は、かすかに微笑(ほほえ)んでいるように見えた。
<つぶやき>死んでも、奇麗とか美人とか言われると嬉(うれ)しくなるのかも。女心(おんなごころ)なんです。
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「ねえ、あそこにシロがいるよ」小さな女の子は、空(そら)を見上げて言った。
「シロって?」パパはしゃがみ込(こ)んで娘(むすめ)に訊(き)いた。
「お花屋(はなや)さんの、太(ふと)っちょのシロだよ」女の子は雲(くも)を指(ゆび)さして、
「あれ、変わっちゃった」
「あっ、ほら。あそこにクマがいるよ」パパが別(べつ)の方向(ほうこう)を指さした。
女の子は少し考(かんが)えて、「ちがうよ。あれは、パンダさんだよ」
夏の昼下(ひるさ)がり。おつかいの帰り道、二人だけのデートのひととき。パパにしてみれば、娘とこんな時間を過(す)ごすのは久(ひさ)しぶりかもしれない。すーっと涼(すず)しい風(かぜ)が吹(ふ)いてくる。後ろを振り返ると、いつの間にか黒(くろ)い雲が追(お)いかけて来ていた。
「あれ、ママじゃない」女の子は黒い雲を指さして言った。
「ほんとだ」パパは娘の顔を見てにっこり笑い、「早く帰ろうか。ママ、おいて来ちゃったから、きっと怒(おこ)ってるかもなぁ」
「そうだね。ママ、怒りんぼさんだから。困(こま)るよね」
その時、遠くから雷(かみなり)の音がゴロゴロ鳴(な)った。二人はおかしくなってクスクス笑った。入道雲(にゅうどうぐも)は、もくもくとその形を変えていく。
「ねえ、パパ。今度は、ママも一緒(いっしょ)ね」女の子はそう言うと、パパの手を取った。
<つぶやき>ママだって、家族のためにがんばってるんです。優しくしてあげて下さい。
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「これ、おみやげね」亜矢(あや)は紙袋(かみぶくろ)を差(さ)し出した。
見覚(みおぼ)えのあるその袋。早苗(さなえ)はにっこり笑って、「アンジェだぁ。まだ、やってるのね」
それは、高校の帰り道、いつも寄り道していたパン屋の袋。中を見てみると、数種類のパンが入っていた。二人はそれぞれ好きなパンを取ってほおばった。
早苗は、亜矢がメロンパンを美味(おい)しそうに食べるのを見て、くすりと笑った。
「なに? どうしたのよ」亜矢は気になって訊(き)いてみた。
「いえ、ちょっとね。昔(むかし)の彼のことを思い出しただけなの。その人ね、メロンパンが大好きで、ほんとに美味しそうに食べるのよ」
「ええ? それって、あたしの知ってる人?」
「さあ…、どうだったかなぁ」早苗は懐(なつ)かしそうに、またくすりと笑った。
「何よ。昔のことなんだから、教えてくれたっていいじゃない」亜矢は疑(うたが)いの目で、「ほんとに付き合ってたの? 高校の頃、男のウワサなんかなかったじゃない」
「それは亜矢が知らないだけで…。でも、何で別れたのかなぁ…。とっても良い人だったのよ」
「はいはい。もういいわよ。どうせ、あたしは未(いま)だにシングルですよ」
「もうっ。ねえ、これも食べていいわよ」早苗はパンの袋を亜矢の鼻先(はなさき)へ持っていった。
<つぶやき>ふとしたことで昔の記憶(きおく)がよみがえる。懐かしくもあり、恥(は)ずかしくもある。
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