田舎に住む事になった。
んで、駅前のイオンに行ってみた。 入って数秒で「ファッションへの希求」を理解した気がした。 何故若者が都会のネオンサインに群がろうとするのかを、みたいな。
先週だったか、天父へ罵詈雑言を浴びせかけてな、「お前は屑だ」「よってお前たちは馬鹿なのだ」と。 私の言う善は自然善であり全体善であるがお前らのそれは体制善でしかない、よって足止めを試み説かれて納得しまた体制善へつまり社会悪へと戻ってしまうのだと。
そして今日これである。
お分かりだろうか。
これは、唯一神の勝利である。
私が若者たちの閉塞感を発見し、分析する。 唯一神がこれに克つ。
前に、親として子育てをする喜びとはといった文章を読んだ。 曰く、人生の再体験なのだと。 自身の子に、自分が子供として成長する喜びがあるのだと。
これをひっくり返そう。 子は親の何だと。 若者が田舎の駅前に見るのは、親が見知った未来なのではと。 親が子の成長を繰り返すように、子は親の未来を繰り返す。 「親と同じ店並び」が子にとって「見知った未来」なのだと。
さてイオンの後にダイソー、なんとかマート、ゲオ、ツタヤなどに入った。 ダイソーには何かわからない活気があった。 マートは見知った、ゲオは二十年前は新しかった同じ匂い、ツタヤはとりあえず今があった。
この感覚はおそらく現在の精神状態でしか得られないものだったと思う。 明日は何か薄い、軽いものだろう。
イオンに行く前に久しぶりに聖書を開いた。 なんだかエノクの文章が変わってた気がする。