狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

夜の虫

2012-11-27 09:30:42 | Weblog
山奥の村に居たら戦争が有った事に気付かなかった、なんて話がある。
情報が共有されない。 そういう状態を別世界なんて表現したりもする。
ある所に周囲から隔絶した村があったとする。
深夜に睡眠ガスかなにかを流し込んで村人全員を熟睡させその間に
その村そっくりに作られた別の村に移動させたとする。
村人たちは違いに気付くか。 そりゃ気付くだろう。
では村人たちが朝起きると同時に村のセットが大火事になっていたと
したらどうか。 村人たちは自分たちの村が火事になったと思うだろう、
でもすぐそこが違う場所だという事に気付くはず。
では村のセットの大火事のあったその日に大雨が降り水があふれ
土砂崩れが起き周囲の地形が一変してしまったような場合はどうか。
それなりの期間気付かない人が出てきでもおかしくはないはず。
さらに土砂降りの中を全員で遠くまで移動するような事態になったら。
そこまでなると気付かない村人たちの方が多数派になるだろうと思う。
自分たちの村は焼けてしまった、自分たちは自分で知らない土地まで
移動した、そういう認識になる。

兵隊のテトリス化とでも言ったものか、な現象があるのだそうな。
どの程度の広がりを持つものかは知らないがなんでも湾岸戦争の時
戦争協力を求められたある会社が暇つぶしにでもと携帯ゲームを
配ったところ「兵隊はテトリスをする」という状態が定着し
戦闘に行って来た事よりもテトリスが上手な方が偉いなんて状況も
あったりするとかなんとか。

人の方向性を二分する。
モテる事を目指すのと食える事を目指すのと。
「モテる事」も「食う事」をどっちも「楽しい」だ。 一般には。
どういった種類の楽しいとか嬉しいとかの実現を目指す行動を方向性
とすると。 「苦しい」や「悲しい」を避けるといった行動の指針も
あるがこれはもっぱら他動的、強迫観念的なもの、その人個人が持つ
方向性とは違うか。 鞭打てば大概の馬は走る、それだけの事。
ゲームを続けているとそのゲームが上手になる。
そうすると他の人と成績を比べたり対戦したりする。
さてこれ自分が上達するのが楽しいのか他の人を下すのが楽しいのか。
前者の楽しいをモテ系、後者の楽しいを食う系とする。
モテ系方向人と食う系方向人の差はどこにでるか。
いわゆるブーム、世間の流行に対する態度にあると見る。
大勢の人がやっているからやる、と、大勢の人がやっているから試す、
試してみて楽しければ続けるし楽しくなければすぐ離れるとの差。
継続性か。 継続性が無い人を「方向の定まらない人」などと
評したりもするが、当人は何かを追っているつもりなのだろう、
私はその先に誘蛾灯を見る。 世界で一番大きいそれにはなにやら
enlightening the worldと書かれているとかなんとか。
コメント
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