狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

核兵器について

2009-07-07 03:30:50 | Weblog
振り上げる
力強さに
あこがれる
ちんぴら達の
ろくなことせず

毎回歌を詠んでたりしますが、これ日本人にとって割と一般的な技能で
やろうと思えば大概の人が出来たりするわけで。

相変わらず反捕鯨運動の人間はキチガイに思える。
オーストラリアやニュージーランドでは
シーシェパードのようなものが一般的なのですか?

1945 アメリカ
1949 ソ連
1952 イギリス
1960 フランス
1964 中国
1974 インド
1998 パキスタン
2006 北朝鮮

アメリカに対抗してソ連が、大国の威信でイギリスが、第三の道でフランスが、
中ソ対立で中国が、中国に対抗してインドが、インドに対抗してパキスタン。
並べてみると北朝鮮の核実験は秩序や均衡と無関係と判る。
まあコンスタントに核武装国が増えてきているわけですが。

http://cnn.co.jp/usa/CNN200907060022.html
軍縮を歓迎します。
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言葉について

2009-07-07 00:08:26 | Weblog
喋るのが
めんどくさいと
日々思い
ああ好ましき
喋らぬ日々よ

盲人は青という言葉を持つがイメージを持たず、
蜜蜂は青というイメージを持つが言葉を持たない。
個人の内面でなら場面のイメージとロジックで思考可能。
言葉というのは伝達手段なわけだ。

我思う、故我有り。
じゃあ他人はどうなんだ、となる。

自我は有る。
自我は外部を認識する。 非我と言うらしい。
他我はあるか?
他我が有るとしても非我の一部。 無いならただの非我。

他我があるとしたらどんなものか。
自我に対して一定の思考つまり継続的に変化し続ける規則性を持つもの、となる。
そう、自我に対し、言葉である。

他我が無いとすると非我の言葉はなんのだろうか。
継続的規則性を持ちながら変化し続けるもの、自我の問いかけに対して
自我が同等と認識できる問いかけを返す、他我では無いものが、非我に有ることになる。

自我を分割すると分割された自我に対して別の分割された自我は、他我である。
つまり、源流自我と分割自我との間に自我の継続を認識できるならば他我はある、
あるいは現在の自我が分割可能であるならば他我は有りうる、となる。
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