海外のニュースより

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「イラクは、ますますベトナムに似てきた」という『ガーディアン』紙の記事。

2005年06月27日 | イラク問題
2003年にイラクの抵抗運動が始まった1年後、懐疑派は「これは新しいベトナムだろうか」と問うた。これらの事柄について尊大に語る人の多くは、「違う」と答えた。単純な歴史的比較はたいていの場合常に間違っている。イラクについて何らかメロドラマ的な判断を下すことは時期尚早であるように見える。
あれから更に一年経った今日、重要な相違は存在し続けている。イラクに対するアメリカのコミットメントは、ベトナムよりも遥かに少ない。従って、死傷者の数も少ない。インドシナで勝利を求めて戦った5年の間に、アメリカは、50万人の死傷者を出した。イラクでは、14万人の死傷者が出ただけである。リンドン・ジョンソン大統領のように戦争をエスカレートするよりは、ブッシュ大統領は、勝利とイラクから撤退を宣言しそうに見える。
けれどもいくつかの重要な点で、ベトナムとの比較は、避けがたくなった。第一に、ワシントンの目的、--つまり、イラクを統一ある国家として運営する目に見える地方政府や制度の樹立、--は、受け入れられる時間枠の中で達成することが可能であると信じることは難しい。
第二に、情報は、危機的な弱点を証明している。最近、あるアメリカ人司令官が、情報の異常な欠如を遺憾としているのを聞いた。「われわれは何十億ドルもCIAや英国のSISに費やしているのに、われわれは敵側が何をしているかについて殆ど何も知らない。われわれに必要なのは、テクノロジーよりもスパイだ。」
第三に、これが最も重要なのだが、アメリカ軍が反乱軍に対してどれほどの軍事的成功を収めても、彼らがイラク人の人心を勝ち得ている兆候はない。アメリカ軍についての普通のイラク人の経験は、良くて、自分たちとは異質だというものか、悪ければ恐ろしいというものだ。道路沿いに行進する武装兵と地方住民の間には共通の目標や、相互の同感や尊敬があるというヒントはない。
先月、BBC4は、イラクで戦っているアメリカ第8騎兵師団の一部隊についての異常に生々しいドキュメンタリーを放映した。それはベトナム戦争の記憶を呼び戻した。頭をそり上げ、びくびくしたり、時には涙ぐんだりしている、若い兵士は、彼らの肩に馬の頭の記章をつけていた。
第8騎兵師団の装甲車がパトロールに出かけるとき、乗員は、知られざる敵について、インドシナの密林を思い出すのと同じ困惑を吹き込まれているように見えた。これらの兵士のイラク観は、彼らが装甲車の狭い窓越しに目撃するもの、あるいは夜間には、彼らの暗視カメラによって決定されている。
「俺たちは奴らの命を守ろうとしているんだ」と腹を立てた将校がイラク人について言う。「だが、奴らはわれわれと親しくなって、われわれを手伝ったりしないのだ。」家宅捜査で通訳を介して地域住民に質問する兵隊達は、オハイオ州かワイオミング州かジョージア州かニュージャージー州の出身である。鉄兜をかぶり、サングラスをつけ、重装備と武器で身体を覆った兵士は、人間には全く見えない。彼らはダースヴェーダのロボット兵士に似ている。
「兵士防護」主義は、ソマリアやバルカン半島やベトナムやレバノンで、アメリカ軍を説得力のない平和維持部隊にした。彼らが助けようと戦っている人々の関心についての無神経も彼らをそうした。
このテレビ映画には、次のような印象的な場面があった。退屈していらいらした兵士が衝動的に犬に弾を撃ち込む。その飼い主が、家から飛び出してきて、一瞬、彼のペットの死体の上にかがむ。それから彼は彼はどうしようもないというふうに手を上に上げて立ち去るのだ。六ヶ月前に彼の忠誠心が何を命じていたにせよ、彼が今日からどちらの側に建つかは明らかである。
「これはインディアンの居住地域なのだ。われわれが敵に出会えば、われわれは武力で彼を圧倒するだろう」と将校に作戦の要領を伝える際に、連隊長が言った。連隊全員が、ラジオで彼の部下の一人がパトロール中に戦死したことを知った後で、連隊長は、「誰かが誰かの死をネットで言っているのを俺は聞きたくない」と言う。
「大抵のイラク人がアメリカ人と言葉を交わすのは、民事将校が、家族の誰かを殺したことに対する賠償金を支払いに来たときである」とイラクで数ヶ月過ごしたレポーターは最近言った。アメリカ軍は、イラク人が目覚めている間に、良いとか役に立つことは何ももたらさない。ただ、軍事作戦の音か、突然の死か、破壊しかもたらさない。
これらのすべてにおいて、ベトナム戦争との類似は、著しい。アメリカの司令官達は、増大する暴力的な反抗においては、これ以上柔軟な戦術は不可能だと言うだろう。自爆自動車やロケット攻撃や狙撃手は、アメリカ軍部隊が今やっている行動をせざるを得なくしている。もし彼らが徒歩で鉄兜を被らないで進むならば、彼らは命を失うだろう。
これは本当かもしれない。しかし、すべての反抗勢力の目的は、支配権力が民間人にこのような苦痛を与えるように挑発することである。これこそベトナムで劇的に起こったことであるし、イラクで起こりつつあることである。二年以上前にブッシュが「重要な戦闘作戦は終わった」と宣言して以来、1,600名のアメリカ人が戦死したが、その一人に付き20人のイラク人が死んだと推定されている。
アメリカ軍の戦争文化と火力がこれを不可避にしているが、アメリカ軍が今日直面している戦闘の種類にとっては、破滅的に間違った対応である。ブッシュが国内の圧力に直面すればするほど、彼の司令官達は、戦場でイラク人との人間的接触に曝される危険を冒すことに気が進まなくなるだろう。
アメリカでは、戦闘についての幻滅はまだ、ベトナム戦争中リンドン・ジョンソンを破滅させたほどの国民的な怒りにまでは発展していない。
しかし、国内における増大する厭戦気分と現地での進展の欠如は、明らかにブッシュ政権に反対するように作用する。イラク治安部隊が連合国からの引き継ぎをなし得るまでにまだ5年かかるだろうと専門家は示唆している。
イラクの元英国代表であったジェレミー・グリーンストック卿は、戦争直後のアメリカの政策の欠陥を治すことは困難と不可能の間のどこかにあると考えている。彼は多分正しい。この国をそれ自身の運命を決定させるように、この国から撤退する覚悟をきめるのに、ブッシュにはまだ数ヶ月が残されている。しかし、これはありそうな結末であると思われる。インドシナとイラクとの間の比較の顕著なアイロニーは、1975年のアメリカの敗北は、ベトナムの統一をもたらしたが、イラクでのアメリカの失敗は、この国の断片化を早めるだろうということである。
[訳者の感想]年末に新憲法もできず、新しい国会議員選挙もできなくなれば、アメリカがイラクから撤退することはかなり、ありそうなシナリオになってきたようです。

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