不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「テロとの戦いは、文明の衝突か」と題する『ツァイト』紙の評論。

2007年09月02日 | テロリズム
最初は、表題の後にまた遠慮がちに疑問符がつけられていた。その論文の表題は「文明の衝突か?」で、アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンが1993年の夏に雑誌『フォーリン・アフェアーズ』に発表したもので、一撃で、この著名な研究者を広い世間で有名にした。実際、このハーバード大学教授は、世界の置かれた状況を説明する鍵を見つけたように見えた。21世紀には、古い国家間の紛争は「文明の衝突」によって取って代わられるだろうと彼は主張した。彼の同僚のフランシス・フクヤマがまだ、うれしそうに、『歴史の終わり』と市場経済と自由主義の無血の勝利を叫んでいたのに、ハンチントンは、世界の歴史を紛争と戦闘と戦争という暗く仄めく光に浸したのだ。将来、七つか八つの文明が地球という闘牛場で互いに角を突き合うだろう。それは、西欧文明・儒教文明・日本文明・イスラム文明・ヒンヅー文明・スラブ文明・ラテン=アメリカ文明そしてたぶんアフリカ文明である。この大きな統一は、言語・歴史・宗教によって、根本的に区別され、互いに折り合わず、すべてアメリカの敵である。「残りはすべて反西欧である。」
ハンチントンの著書の反響は、圧倒的だったが、分かれていた。多くの人々は、彼を米国のオスヴァルト・シュペングラーだと歓迎した。彼は、黙示録の騎士を送り出し、覇権国家アメリカをその快楽主義的なまどろみから叩き起こしたのだ。他の人たちは、彼の中に根拠のない文明論で世界支配に対するアメリカの要求を石に刻むイデオロギー的な督励者を見た。ハンチントン自身は、迷わされることなく、彼の主張から分厚い本を作り出した。『文明の衝突』は、ドイツ語版では、後ろに疑問符がついていなかった。
この著作は、予想通りの反響を呼んだ。イスラム過激派のテロ、特に、9.11事件の後で、世間は、ハンチントンが正しく、「文明の衝突」が始まったのか、と自問した。奇妙なことに、この戦闘的な学者は、この自分を予言者だとは言いたがらない。ワールド・トレード・センターへのテロを彼は「文明の衝突」だとは考えず、「全世界の文明社会に対する下劣な野蛮人のテロ攻撃だ」と見なした。特に、ハンチントンは、イラク戦争をしないように強く警告した。その理由は、この戦争は西欧がそう簡単には片づけられない霊を呼び出すだろうということだった。「このような攻撃は、全く別種の戦争に導くだろう。それは現在、反テロの国際的連合を支持しているイスラム世界の住民と政府の大部分を憤激させるだろう。」
 だが、なぜ、突然、控えめな態度をとるのか、それは魔法の呪文に対する徒弟の不安なのか。ハンチントンが、その間に彼を誇らしげに引き合いに出したかなり多くの人たちよりも、利口になったということはあり得る。宗教は、しばしば、その助けをかりて、残酷な承認と配分をもとめる紛争を偽装する仮面にすぎないということを彼は理解したように見える。ひょっとしたら、ハンチントンは、原理主義が全く現代的な現象で、植民地化とともに成立したということを見抜いたのかもしれない。だから、イスラムの殺人者は中世から来たのでもなく、全く別の文明から来たのでもない。彼らは、現代の世界社会のど真ん中からやってくるのだ。このことがわれわれを一番深刻に脅かしているのだ。
 ハンチントンは、反テロ戦争を文明という地雷地帯に移してはならない、たとえば、悪に対する善の戦いだとか、闇に対する光の戦いだとか言ってはならないと言う。反テロ戦争を文明の戦いと考えてはならない。「文明社会に対するテロ組織の戦争をイスラムと西欧の間の文明の戦争にすることは、オサマ・ビン・ラディンの目標だ。もし、彼がそれに成功したら、それこそ大いなる災厄だ」とハンチントンは述べている。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アブ・サヤフは、小グループに分裂する」と題する『ネット新聞』の記事。

2007年08月19日 | テロリズム
フィリピンで、イスラムテロ組織「アブ・サヤフ」は、小グループへ分裂することによって、追跡を免れ、彼らの攻撃力を高めようとしている。フィリピン陸軍のルーベン・ラファエル中将は、金曜日に、問題は、陸軍がテロ・ネットワークの「アルカイダ」と結んでいると推定される反乱軍を壊滅させようと、部隊の増強していることへの反応であると述べた。
 テロ集団の「アブ・サヤフ」は、ムスリム住民が多いフィリピン南部にいる分離主義者集団のなかで最も残酷である。彼らは首都マニラの南方1千キロにあるスールー諸島で活躍している。そこでは彼らは多数の殺人や誘拐で有名になった。
特に、「アブ・サヤフ」は、2000年の復活祭の折、ゲッティンゲン出身のドイツ人家族ヴァレルトを誘拐したことに責任がある。ヴァレルトの家族3名は、数ヶ月後、解放された。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「すべてのタリバンがテロリストであるわけではない」と題する『ヴェルト・オン・ラインン』の記事。

2007年07月28日 | テロリズム
--外務省は、タリバンを「テロの儀式主催者」だと表現し、メディア戦争を仕掛けていると彼らを非難しました。このプロパガンダに対してどう対処したらいいですか?
ライナー・アルノールト:タリバンがメディア戦争を仕掛けているということは、誰も否定できません。私たちは、勿論それに対して怯えたり、私たちの(アフガニスタンでの)介入をその都度議論したりするという誤りを犯してはなりません。そんなことをすれば、タリバンの思うつぼです。だが、重要なことは、すべてのタリバンがテロリストではあるわけではないということです。私たちはもっと細かい議論をすべきです。タリバンは、原理主義的なイスラム至上主義信奉者ですが、彼らは必然的に戦闘的であるわけではありません。
--昨日、その遺骸がドイツへ輸送された技術者は、アフガンニスタンの復興に参加していました。あそこでは、まだおよそ意味のある開発援助をすることができるのでしょうか?
アルノールト:北部地域では、できます。南部では事態は、すでにずっと複雑です。あそこでは、あらゆる再建の仕事は、安定化の要素とかみ合わなければなりません。
--フランク・ヴァルター・シュタインマイヤーは、ドイツ連邦は派遣軍の人数を増やすべきだと主張しましたが、それは正しいのでしょうか?
アルノールト:単純に「もっと増やせ」というのは、挑戦に対して正しくはないでしょう。私たちは、何がなされなければならないかについて、目下、かなり正確にわかっています。最大の欠陥の一つは、「アフガン国民軍」の建設です。それは、あまりにゆっくりとしか進んでいません。陸軍は、まだ、持たなければならない質を持っていません。技術的にも、彼らは、必要な治安状態を作り出すことができません。その限りでは、外務省は正しいのです。われわれはもっと沢山やらなければなりません。
--シュタインマイヤー外務大臣は、それであなたの党に対して期待が大きすぎるのではありませんか?
アルノールト:アフガンニスタン派遣軍についての議論は、社会民主党内部では、非常に高いレベルで行われています。私は、ISAFの安定化委任の枠内で今後も責任を引き受ける覚悟は会派の中ではできているという印象を持っています。
--「緑の党」は、アフガンへの連邦軍投入についての態度を九月に特別派遣団会議で明らかにしようとしています。それも社会民主党にとって一つの選択ではありませんか?
アルノールト:私は、これが、党大会で明らかにされるべきテーマだとは思いませんね。
会派の中での私たちの立場は、来週、公表されるでしょう。政府は、「持続する自由」作戦のリスクについての議論の初めに私たちの言うことに耳を傾けました。反対に、私たちは、ドイツの対外的責任が問題になる場合には、政府の言い分に耳を傾けます。この責任を念頭に置いて、賢明な委任を行うことが、来週の課題です。
--タリバンの軍事指揮官は、すべての外国人は直ちに危険に曝されると言明させました。にもかかわらず、あなたはまた、アフガニスタンに行きますか。
アルノールト:ええ、行きますよ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ザワヒリ、ムスリムに団結を訴える」と題する『アルジャジーラ』局の記事。

2007年07月08日 | テロリズム
アルカイダの副官アイマン・アル・ザワヒリは、インターネット上にビデオを公開し、その中で、ムスリムに団結して西欧と戦えと訴えた。
彼はまた、イスラム国家イラクとイラクのアルカイダをもっと支持するように要求した。
彼はまた、エジプトとサウディ・アラビアが中近東で米国を支持していることを非難した。
このザワヒリが出した8回目のビデオで、彼はパレスチナのハマスが「イスラム法」を放棄して、「民主主義に同意し」、ファタハと対立していることを批判した。彼はまた、ファタハを攻撃し、裏切りを非難した。
過去に、ザワヒリは、ハマスが政治過程に参加し、ファタハと連立政権を作ったことを批判したが、この最近のビデオでは、彼らに統一を要求している。
「ユダヤ人のミサイル攻撃に曝されているハマスの中にいるムジャヘディンの兄弟とパレスチナのイスラム国家の残りの人たちが全能の神から降った法に忠実であるように要求する。あなた方の指導者は、イスラム法を放棄し、民主主義に賛成した。これはあなた方に利益をもたらしたか?イスラエルの攻撃は、止まったか?経済制裁は廃止されたか?抵抗を中止させ、パレスチナの悲劇に対して壊れやすい解決を提供するというのは、十字軍とシオニストの悪巧みなのだ。アメリカ人が、パレスチナ人に何かを与えるほど十分に正直であるなら、彼らは、それをアラファトに与えるべきだった。だが、彼はすべてを放棄し、殺されたのだ。(実際は、病気で死んだ。--訳者注)」
アルカイダの副官は、イラクにいる武装勢力に対して団結し、分裂を避けるように要求した。
「イラクにいる愛する者達に対して、私は、イラク人達が悟らねばならない最も重要なことは、団結であると言う。それが勝利と無視されてはならない事柄への道を与えるのだ。」
[訳者の感想]ザワヒリは、エジプト人ですが、彼にはイスラム法による支配を確立したいという面と宗派の対立を乗り越えたいという願望があるようです。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「英国は、長期の反テロ闘争に備える」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年07月02日 | テロリズム
英国は、ロンドンとグラスゴーでのテロ攻撃の後、テロに対する長期で包括的な戦いに備え始めた。「ロンドンとグラスゴーでの自動車爆弾未遂事件で、テロリスト達は、できるだけ多くの人間を殺すつもりだとゴードン・ブラウン英国首相は述べた。英国がテロリストネットワークのアルカイダと結びつきのある人たちと対立していることは明らかだ。
「われわれはその際、長期の危険と関わっており、それは来週とか来月終わるような危険ではない」とゴードン・ブラウン首相は述べた。「この危険に対して、われわれは、さまざまな仕方で闘わなければならない。軍事力で、治安対策で、警察と情報機関で、しかし、頭脳とハートを巡る戦いもしなければならない。」
ほんの僅かなムスリムが過激派で、暴力でイスラム教をねじ曲げ、大量の人間を殺そうとしている。それに対する英国民の返事は、「われわれは屈しない。われわれは怖じ気づいたりしない。英国風の生き方を掘り崩すことを誰にもわれわれは許さないというものだ。」
 土曜日の最高度のテロ警戒警報の後、「住民は、空港での治安コントロールや自動車の捜査に協力しなければならない」とブラウンは言った。自動車爆弾によるテロの危険に鑑みて、これは避けがたい。
テロとの関連で、5人が逮捕された。先ず、グラスゴー空港で、二人が逮捕されたが、二人は自動車に乗ったまま、空港ターミナルに行こうとした。もう二人は、英国西北部のチェシャイヤで逮捕された。
チェロキー型のジープが土曜日、15時頃、高速で空港搭乗口近くのゲレンデを走り、突然、向きを変えてガラス扉を破って、空港内に突っ込んだ。搭乗のために並んでいる乗客の列の直前で停車した。二人のうち、一人がガソリン缶を持ち出し、液体を自動車のしたにばらまき、その後で火をつけた。自動車は、オレンジ色の炎を上げて炎上した。
「乗客達は叫び声を上げて逃げ出した。消防士が消火したので火災は鎮火し、後に黒こげの車体が残った。
警官は、二人を拘束した。彼らの一人は、重度の火傷を負っており、病院に搬送され、警察の監視下に置かれた。もう一人は逮捕された。
爆発物のついたベルトを着用した男がいたという報道は、警察によって否定された。
グラスゴー警察署署長のウイリー・レイは、「車内には、ビラはなかった」と述べた。
テロ攻撃の後、グラスゴー空港は閉鎖され、3千5百人は、安全なところに待避させられた。グラスゴーでは、学校休暇の初日だったので、空港は休暇に向かう家族連れで一杯だった。日曜日の朝、空港は再開された。旅客は、ターミナルへ行くのに警官の列の中を通らねばならない。疑わしい自動車が発見されたリバプールの「ジョン・レノン空港」も一晩中閉鎖された。
 イラクでは、テロ攻撃は日常茶飯事である。金曜日に、可燃物を搭載した自動車が確保されたヒースロー空港でのテロ未遂事件を見て、治安専門家達は、テロがヨーロッパで新たな次元に達したかもしれないと憂慮している。
 「今週末の爆弾テロは、戦争をもっと大きくエスカレートするぞという、イスラムのテロリスト達の信号である」と元ロンドン警視庁長官であったステヴンス卿は言う。彼は現在、ブラウン首相に任命された反テロ顧問である。「今や。アルカイダは、戦術をバグダッドとバリ島からイギリスの道路に輸入したのだ」とステヴンス卿は、明言した。しかし、グラスゴーのテロに国際的テロリストが関与しているという証拠はない。警察と情報機関は、スコットランドのテロについていかなる示唆も得ていなかったと政府筋は述べている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「テロ指導者の残忍な根性」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年07月01日 | テロリズム
 誰か分からないが、アフガン人のNATO協力者の首を切り落とした。アフガン東部のパクチア州に駐留しているNATO軍部隊のための通訳の遺体は、木曜日の夕方、隣のロガール州で見つかったと、警察は発表した。警察の発表では、彼は数日前に誘拐された。警察は、犯行はイスラム過激派のタリバンの仕業であると述べた。タリバンは、外国軍のため、あるいは、西欧の援助軍のために働いているアフガン人を殺すぞと繰り返し脅した。
 もう一つの報道も、世間に衝撃を与えた。イラクで、20人の首を落とされた遺体がチグリス川の中で見つかったというものだ。西欧のメディアにおいては、日常的なテロ報道を引き起こすために、このような見せ物的な出来事の積み重ねが起こるに違いない。
 2004年5月に、ザルカウイに率いられたイスラム主義者グループは、アメリカ人のビジネスマンニコラス・バーグの斬首のビデオをインターネットで流した際、テロリストのやり口を理由づけた。映像をダウンロードさせたマレーシアのサーバーは、しばらく、アクセスが多すぎたために、電源を切らなければならなかった。というわけは、米国でも、この残酷な光景は、パリス・ヒルトンのセックス・ビデオよりもしばしばクリックされたからである。
 「斬首」という言葉は本来、婉曲な表現である。なぜならば、この語は、刀、あるいはギロチンによって、素早く首を切り落とすという比較的人間的な処刑方法を思いまださせるからである。なぜなら、それは十字架に付けたり、首を吊したり、車裂きや沼地でおぼれさすようなもっと古い刑罰に対しては、進歩だったからである。このような斬首は、ヨーロッパでは、長い間、地位の高い階層の人の特権だった。
 だが、バーグの場合は、むしろ、彼の首は時間をかけてゆっくり切り落とされた。2001年には、アメリカ人のダニエル・パールも同じ目に遭った。だが、チェチェンのロシア兵やバルカン戦争で国際的なジハディストの手中に落ちたセルビア人捕虜や1990年代のアルジェリアのGIAの数千人の犠牲者も同じ目に遭った。当時、手慣れた肉屋の「こびとのモハメッド」だけでも、一晩で、86人の首を切ったと言われている。これらの人々の場合には、勿論、ビデオはなかった。彼らの死は、イスラムの肉屋での家畜のと似ていた。 テロリスト達がバーグの映像を流したとき、「アブ・ムサブ・ザルカウイは、自分の手でアメリカ人の不信仰者をする」というタイトルを付けたのは、彼らがこの側面を強調したかったからだ。
 政治的イスラム全体が、仮装行列であって、ナショナリズムや貧困や権力欲や、犯罪や、個人的サディズムや、冒険心や、誇大妄想のようなさまざまな動機が、歴史的な衣装を着ているように、不信心者の斬首も、電子的大量宣伝がイスラムの伝統と結びついた演出である。
 なぜならば、イスラムのレトリックや紋章学や歴史においては、斬首と刀には特別の価値が与えられている。オランダに亡命しているエジプト人宗教学者のナスル・アブ・ザイドは、このような残酷さを引き起こしたベドウイン系イスラムと彼の宗教の決して内在的には残酷ではない主流とを区別しようとしている。その際、彼は、まさに感動的な仕方で、ナチ時代に自分自身と世界に対して、同国人の少数派だけが、ナチに従順で、彼らの犯罪を支持しているのだと説得しようとしたドイツ人亡命者を思い出させる。(中略)
 コーラン解釈者のナスル・アブ・ザイドは、3年前に次の点を指摘した。「ひげ面男による斬首ビデオはアラビア人国家では、複雑な感情で眺められた。人々は、この死刑執行者は、いつか、家に戻って来て、自分たちの仲間に同じことをするだろうと恐れている。」
 この恐れは正しかった。最近の事件はそのことを証明している。事実、タリバンのアフガニスタン、ワハーブ派のサウディ・アラビア、イェーメン、カタールなど、イスラム法が効力を持っているところでは、不信心者よりもムスリムのほうが刀の犠牲になっている。
(以下省略)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「マグレブ発のテロは、ヨーロッパを脅かす」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年04月13日 | テロリズム
 ヨーロッパの治安関係者にとっての警戒信号は、今年1月26日に来た。アルジェリア過激派テロ組織「説教と戦闘のためのサラフィア・グループ」(GSPC)の実際の指揮官であるアブ・アブドル・ワダウドは、GSPCを「イスラム的マグレブのためのアルカイダ組織」に改名すると告知した。この声明は、GSPCがアルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンや彼の副官アイマン・ザワヒリと協定を結んだことを示唆していた。
 イスラエルの反テロ専門家達は、新しい改名がGSPCのアルカイダ戦略とイデオロギーへのコース変更を意味するだけでなく、マグレブ地域がバルカン半島、あるいは東南アジアにおける状況と似た聖戦地域への転換を意味すると考えた。なぜならば、「マグレブ」とは、北西アフリカのアルジェリア、リビヤ、モーリタニア、モロッコ、チュニジア、西サハラに及ぶ広大な地政学的地域を包括しているからである。
 名称変更は、新しい「GSPC」の意図を示している。世俗的なアルジェリア政府と戦って、倒すことを意味するだけではない。グローバルな聖戦日程の戦略に一致して、マグレブ地域アルカイダの幹部は、他の穏健なアラブ政府の転覆も目標にしている。
 「GSPC」は、1990年代にアルジェリアで荒れ狂った内戦において「武装イスラム軍」(GIA)という別のテロ集団から分裂して生まれた。1998年に元のGIAのエミルであったハッサン・ハタブは、GSPCを創設した。アルジェリアにおけるテロの元兇であった「イスラム救済戦線」とは違って、GIAとGSPCとはアルジェリア政府との和解を拒否した。彼らは、彼らの戦力を1979年から1989年まで続いたソビエトに対するアフガン戦争に従軍した人々から得た。当時、4,800人のアルジェリア人がソビエトの赤軍に対して闘った。戦闘経験で鍛えられ、軍事的ノウハウを手に入れて、彼らは、1990年代に彼らの故郷に帰ってきた。彼らはイスラ原理ム主義者とアルジェリア政府との内戦に火を注いだ。この内戦では、1万人が犠牲となった。GSPCの今日までの歴史は、多数の権力闘争とイデオロギー上の路線闘争によって形成された。
 穏健派のハッサン・ハタブが2003年にGSPCの指揮者を解任され、ナビル・シャラウイ、別名アブ・イブラヒム・ムスタファが新たなイスラム主義の指導者になった。彼はもともとはGIAに属して、GSPCに鞍替えした。彼は組織の作戦領域をアルジェリア国境外に伸ばし、リビアとチャドに訓練キャンプを創設した。アルジェリア政府との衝突で、彼の幹部達は大きな損害を被り、2004年6月にアブ・イブラヒム・ムスタファは命を落とした。
ムスタファの後継者になったのが、アブ・アブドル・ワダウドである。
 アルジェリアのイスラム主義者は、自分たちの作戦をフィルムに収め、インターネットで流した。(中略)GSPCのウエッブサイトの「ロゴ」では、開かれた『コーラン』のページに「判断は神のみがなさる」と書かれている。これはイスラム教初期から知られた解決法である。「ロゴ」では、コーランの上の方に別の詩句が書かれている。「誰も信者をイスラム教から脱落するように誘わなくなるまで、彼らと戦え。神が敬われるまで彼らと戦え」と書かれている。(以下略)
[訳者の感想]イスラム過激派の影響力は、これまでのイスラム穏健派の国々を脅かし始めたようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「過激派は、武器としての心理テロに賭けている」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年02月02日 | テロリズム
ロンドン発:1月31日早朝バーミンガムの住居でテロ容疑で逮捕されたパキスタン系の8人のイギリス人は、数ヶ月間監視されていた。9番目の男は高速道路上で逮捕された。十分な材料を集めることができたので、拘留期限の28日間内に告訴する希望ができた。
この未遂の犯罪は、英国におけるテロリズムを心理テロに押し上げたかもしれない。アフガニスタンやイラクでの戦闘経験を持った英国軍に勤務しているイスラム系のある兵士が、誘拐され、カメラを回しているなかで、心理的に拷問を加え、湾岸地域やヒンヅークッシュ山地などの戦闘地域から撤兵するようにブレア首相と英国政府に要求することが、計画の一部であった。その後で、2004年9月に英国人人質のケネス・ビグリーを処刑したやりかたで、犠牲者の首をはね、処刑の光景をインターネットを通じて世界中に流す予定だった。
副作用は、英国人モスレムを軍務につくことを思いとどまらせ、既に勤務している者は、軍務を止めるようにすることだった。10万人所属する英国軍には、現在、246人のムスリム少数派の兵士がいる。全人口に占めるイスラム教徒の割合、約7%に及ばない数である。
容疑者の作ったリストに上がっていたのは兵士だけでなく、公的生活についている25人も含まれていた。誘拐のアイデアは、1970年代のドイツの赤軍派や、イタリアの「赤い旅団」の戦術を思いださせる。彼らはマルチン・シュライアーやアルド・モロを殺したのだった。それは、新たな性質をもった脅威を含んでいる。
昨年、8月に計画された米国行きの旅客機を爆破するという計画を食い止めた後では、700名の警官を動員したバーミンガムの手入れは、英国警察のテロ予防行動の第二の勝利を記録している。新しい点は、攻撃は包括的な化学技術的な準備を必要としなかったことである。監視されていた人物が、週末にビデオカメラを購入した後で警察は介入した。未遂に終わったテロが間近に迫ったと結論したのだ。本来はもう二ヶ月間観察する予定であった。
推測によると、パキスタン在住の高位のアルカイダの関係者が、糸を引いていた。これは、昨年夏の手入れの際も推測された。けれども、警察は今回は追跡の詳細については非常に慎重であったということは、イスラム教徒の間に、彼らが治安部隊の目標になっているという古い反感を呼び起こした。これまでに発見された多くの証拠から、このような不満の種を蒔き、英国社会の中に「ミニ・イラク」を導入するというテロリストの戦術に一定している。既に英国人の多数派は、彼らの間にいるイスラム教徒に対して、不信感を持つに至っている。多くの新聞が掲載したバーミンガム出身の三人のベールを被ったイスラム女性の写真もこの態度を促進した。なぜなら、彼女らは、右手でブイ・サインをしていたからである。
9人の逮捕者の中には、お持ち帰りのピッツェリアの所有者やイスラム文学の書店の店員もいる。押収されたフィルムのなかには、「不信仰者」に対する戦いを美化するいくつかのDVDがあり、その中の一つは、「神よ、彼らを粉砕して下さい」というスローガンを掲げたものもあった。
[訳者の感想]アルカイダは、英国内のイスラム教徒にも大きな影響を与えているようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「警察はカメラの前でのテロ殺人を食い止めた」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年02月01日 | テロリズム
ロンドン発:イングランド中部のバーミンガムで、警察は全部で九人の容疑者を逮捕した。BBCの報道によると、このグループは、英国兵を誘拐して首を切ることを計画していた。その場面をビデオで撮影し、インターネットに流すつもりだった。それに対する公的な裏付けは存在しない。
ロンドンの夕刊紙『イーブニング・スタンダード』の情報によると、処刑ビデオで彼らはブレア首相をイラクから英国軍を撤退させるように脅迫するつもりだった。「首相に対する圧力は想像を絶するものとなっただろう」という治安当局からの情報提供者の言葉をこの夕刊紙は引用している。
記者会見で、警察は、背景については沈黙を守った。デイビッド・ショー刑事は、数日あるいは数週間を要する現に行われている捜査の理由を述べた。手入れは、数ヶ月に渡って準備された。逮捕は、イスラムの信仰をもった移民が住んでいるバーミンガムとその周辺の数カ所で行われた。警察の反テロ部隊と並んで、国内情報機関(MI5)も容疑者逮捕に参加した。
BBCテレビとスカイ・ニュースの情報によると、このグループは、人質として捕まえようとしていた兵士を選んでいた。それは英国軍と共にアフガニスタンに駐留している恐らくイスラムの信仰を持った若い陸軍兵だと推測されている。その青年が休暇中に誘拐し、見せ物的な行為において処刑することが目標だったと言われている。そうなれば、それは英国本土での「ビデオ処刑」第一号となっただろう。このグループが人質として後を追っていた英国兵は、現在、警察の保護下にある。
ロンドンの英国内務省は、「全国的な反テロ作戦」について語った。警察と同様に、ジョン・リード内務相も、テロ容疑者達の計画については、正確な陳述を拒否した。「メディアに対して、憶測を広めたり、進行中の捜査に影響を及ぼすかもしれない情報を公表しないように訴える」とリード内務相は述べた。
その間、バーミンガムの住民は、若いモスレムがますます過激になることについて苦情を述べていた。「水曜日朝の手入れは、現在の不安をさらに掻き立てる」とルドロー・ロード・モスクの代表であるシャビル・フッセインは述べた。他の住民は、逮捕された者達をこれまで何の罪も犯したことのない目立たぬ若者と表現した。彼らも他の容疑者も無実の疑いがある。
 昨年8月に初めて、英国警察は、1ダース以上のテロ容疑者を逮捕することによって、液体爆弾による旅客機へのテロ攻撃を食い止めたと言われる。2005年7月7日には、四人の自爆テロリストがリュックサック爆弾でロンドン地下鉄とバスの乗客52人を殺した。
[訳者の感想]2005年7月7日のロンドン・テロ以後、英国警察のテロ取り締まりは大部強化されているようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「トランク爆弾の仕掛け人、沈黙を破る」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年11月09日 | テロリズム
ハンブルク発:ベイルートで逮捕された所謂「トランク爆弾男」のジハード・ハマドとインタービューするのに初めて成功した。ルミヤ監獄でテレビ・カメラなしで行われた30分の対話について北ドイツ放送局の雑誌『パノラマ』は、木曜日第一放送でニュースを流した。
「ケルンのトランク爆弾男」で知られるようになった、レバノン人のジハード・ハマドは、インタービューの中で、ドイツにおけるテロ攻撃の動機について詳細に語った。彼自身の述べるところによると、彼はテロをユスフ・アル・ハジ・ディブと二人で共謀して計画した。「ユスフは私に二つのドイツの新聞が、ムハンマドのカリカチュアを掲載したと言った。彼は、「われわれは何もしないでいることはできない。何もしなければ、われわれは地獄に堕ちるだろう」と言った。
キールに住んでいたユスフ・アル・ハジ・ディブは、結局ベルリンで逮捕された。ジハード・ハマドは、自分とユスフと二人だけが計画に参加した。「第三の人物は存在しなかった。」
レポーターとの会話で、ジハード・ハマドは、彼がレバノンの検察で述べた彼の供述の第二点を翻した。当時彼は、トランク爆弾の目標は、「できるだけ多くの人間を殺すこと」だったと供述していた。これに対して彼は現在は「爆弾は爆発するはずはなく、単に「人々に恐怖を吹き込み、センセーションを起こすつもりだった」と述べている。
2006年9月4日の白状を翻した理由を、彼は次のような驚くべき主張で説明した。「私は逮捕後、何度も殴られた。お前が認めないなら、俺たちはお前を電気ショックにかけるぞと脅かされた。」ハマドのこの非難に対する証拠はない。反対に、彼の弁護士ファワズ・ザカリアでさえ、自分の依頼人が拷問や他の非合法の圧力手段なしに白状したことを裏書きしている。
最初の尋問からレバノンで確保されたハマドのコンピューターのなかに何が見出されたかが明らかになった。他のさまざまな爆弾製造のヒントやチェチェンにおける戦闘についての情報や、オサマ・ビン・ラディンの写真である。ハマドは、これらのデータを読むためのパスワードを漏らしたが、それは[ビン・ラディン19388053]であった。
雑誌『パノラマ』の調査によると、トランク爆弾男ジハード・ハマドは、ドイツに入国する以前にイスラム主義者のグループと交際していた。レバノンのトリポリ市では、彼はムスタファ・モスクで規則的にお祈りをしていた。そのモスクには、原理主義者のアブ・アブダラ・フッサン・アズ・ザヒドが金曜日の礼拝を担当していた。モスクの近くにある店では、イマムは、ビデオやカセットを販売し、その中では、無信仰者に対する「聖戦」が叫ばれたいる。
この説教者は、若いモスレムはドイツにおけるムハンマドのカリカチュアの掲載に爆弾計画で反応したことを正当化した。「予言者ムハンマドを侮辱し、後悔の念を示さないものは、殺されなければならない。それはイスラム法が定めた罰である」と彼は述べた。
ドイツ連邦検察庁の認識によると、ハマドとアル・ハジブは、今年の7月31日にケルン中央駅で二つのトランク爆弾を二つのローカル列車に載せたが、点火栓は発火したが、構造上のミスで爆発しなかった。
[訳者の感想]「トランク爆弾」の容疑者が逮捕されたことは、八月初めの記事で書きましたが、これはその後の展開についての記事です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「9.11テロからわれわれは何を学ぶか」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年09月10日 | テロリズム
彼はアメリカ上院の最も有力な議員であり、保守的共和党の旗頭だと考えられている。ジョン・マッケインは、1987年以来アリゾナ州選出上院議員であり、共和党ではジョージ・ブッシュの後継の大統領候補として扱われている。
--合衆国は今日5年前より安全でしょうか?
マッケイン:疑いもなく、合衆国は比較的安全です。でも十分に安全かと言われたら、そうではない。でも私は9月11日の後で大抵の専門家は米国に対する更なる攻撃があるだろうと言うことを前提にしていたということを評価しなければならないと思う。現在、幸運、偶然、有効な反テロ措置について話すことができる。これはそれらが結びついて可能になったと思う。大統領と政府の省庁は、何も起こらなかったことに対して承認する値打ちがあると確信している。しかし、事実は、すべての専門家の予測とは違って、あれ以上の攻撃はなかったということだ。メダルの裏側は、ヨーロッパで育てられたテロリスト達による脅威は、アメリカの脅威ではないということだ。このことがわれわれの問題を劇的に複雑にしている。
--あなたはそれを説明できますか?
マッケイン:初めは、私も他の観察者も、これらのテロリストは全部、イスラマバードの街頭からコーラン学校へ引きずり込まれた貧しい子供たちだと考えた。現在、われわれはこれらの世俗的なきちんとした状況で育った若者を見ている。彼らは確かに洗脳を受けたが、彼らはチャットルームや会合で洗脳された。このことがイスラム過激主義に対する戦いを複雑にしている。すでに彼らの故郷で自殺テロを訓練する過激派が育てられている。
--政治的討論の大部分は、軍事的手段の投入と頭と心を獲得する試みを巡って、「ハード・パワー」と「ソフト・パワー」の均衡を巡って行われています。アメリカ政府は、バランスを見出したのでしょうか?
マッケイン:見出していない。アブグレイブとグアンタナモは、アメリカ像を非常に傷つけ、反米感情を煽るための批判の手段として使われた。特に中近東では。だが、西ヨーロッパでも批判の材料に使われた。
--現在の状況と土着のテロリズムの出現とは、反テロ戦略において何かを変更するようにわれわれを強いていると思いますか?
マッケイン:そう思う。われわれは、他の国々の政治的社会的風土をもっとよく注意しなければならない。われわれはヨーロッパでムスリムの信仰を持った人々が生活している環境をもっとよく見るべきだ。一見するとそれはテロリズムと無関係に見える。だが、パリのゲットーに暮らしている若いモスレムは、数千台の車に火をつけたがっている。あそこの状況は予測できない。それはイスラム過激主義の更なる温床である。
--米国にとっては、ムスリム社会の頭脳と心を獲得することは困難です。それはアメリカの政策のせいですか、それともアメリカの政治家の言語のせいですか?
マッケイン:ある反米主義が存在するのは、われわれが世界の超大国であるからだ。西欧の場合は、ソヴィエト連邦は、われわれの同盟との接着剤だった。諸国家はより独立的になった。だが、われわれが傲慢であり蔑んでいるというイメージは、われわれを傷つけている。われわれは謙遜であるべきだ。われわれはもっとタクトを持つべきであり、世界の超大国がセオドア・ルーズベルト大統領の伝統では、謙虚であり得るということを把握すべきだろう。
--ブッシュの方法はどの程度状況を厄介にしていますか?
マッケイン:時として、大統領の情熱は傲慢だと示唆される。だが、私は、ヨーロッパ人との関係を強化しよういうブッシュの側の新たな努力を観察している。私が思うに、彼はわれわれの問題を意識しており、アメリカのイメージの改善に役立とうとする試みをしている。(以下省略)
[訳者の感想]ブッシュ外交の拙劣さは素人目にも明らかだと思います。その大部分は彼の無知から来ており、彼の傲慢さも無知に基づくものだと私は思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アルカイダ、アメリカ人にイスラムへの改宗を勧める」と題する『アルジャジーラ』局の記事。

2006年09月03日 | テロリズム
ザワヒリとアダム・ガダーンであると突き止められたアメリカ人改宗者は、41分間のビデオで、9.11テロの5周年を前にして、アメリカ人にイスラム教への改宗を呼びかけた。FBIによると、ザワヒリの次に登場した男は、パキスタンにあるアルカイダの訓練センターに出席し、アルカイダの通訳を務めた。
ガダーンがザワヒリと一緒に登場したのは、これが2度目である。最初は、ロンドン地下鉄テロの1周年である7月7日に郵送されたビデオである。そこではガダーンは、アルカイダの攻撃で殺された西欧人に対してムスリムは涙を流すべきではないと言った。
ガダーンとザワヒリは、同時には画面に現れなかった。ガダーンは、顔を隠さないで話した。彼の名前は、英語とアラビア語で「アメリカ人のアザム」と書かれていた。
「われわれは、すべてのアメリカ人と不信仰者をイスラム教へと招く」とガダーンは、白いローブを着、ターバンを被り、長い濃い髭を蓄え、背景にコンピューターの端末が写っていた。
カリフォルニア出身でイスラム教に改宗した28才のガダーンは、米国に対する可能なテロ脅威という理由でFBIのお尋ね者になっている。もっとも、FBIは彼をテロ活動と結びつける情報はないと言う。
ビデオの大部分でガダーンがしゃべった。彼はアメリカ人がイスラム教について持っている不正確なイメージを訂正したいと述べた。
 彼は「西欧文明はアフリカを奴隷化し、土着のインディアンを虐殺し、東京とファルージャを爆撃し、広島と長崎に原爆を落とした文明であると述べた。
 西欧はアフガニスタンやイラクの国民に対してよりも、アフガニスタンの前の支配者であったタリバンによって破壊された仏像(バーミアンの仏像のことを指している)のような考古学的な場所に対してより多くの関心を示していると彼は述べた。
 「イスラム教に対する無知が原因で、西欧の人々は、イスラエルがレバノンやパレスチナのムスリムを大規模に虐殺すると喝采する。彼らは西欧の政府がアフガニスタンやイラクやイスラム世界の至るところで犯す大虐殺に対して同意するのだ」と彼は述べた。
 アルカイダと関係のある「アス・サハブ」によって放映されたビデオは、戦闘的なウエッブサイト上で数日間広告された。
 7月7日のビデオと並んで、ガダーンは、パキスタンにあるアメリカのテレビ・ネットワークABCに提供された二つの非公式のビデオでは、覆面して登場している。2005年に出されたビデオでは、話し手はロサンジェルスとメルボルンで新たなテロ攻撃を行うぞと脅した。
[訳者の感想]アルカイダのビデオに東京空襲や広島・長崎の原爆投下が西欧文明の仕業として挙げられているのが面白いと思いました。確かに殺された民間人の数では原爆のほうが9.11テロの犠牲者よりも遥かに多いことは事実です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「容疑者、部分的に自白」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年08月26日 | テロリズム
ベイルート/コンスタンツ発:二つのローカル列車に爆弾が置かれて三週間半がたったが、テロ容疑者のジハード・ハマドは、ベイルートでの尋問で部分的白状をした。レバノン内相アーメド・ファトファトは、「われわれは彼がトランクを列車に置いたというハマドの自白を得た。だが、彼はその中に何が入っていたか知らないと述べた」と言った。まだ、何も明らかになっていないが、ハマドのコンピューターの中に捜査官は、テロネットワークのアルカイダとの結びつきを示すものを発見したそうである。
ファトファト内相は、前日、警察に出頭したハマド容疑者の尋問が継続されていると述べた。
ドイツ人の捜査官が尋問に同席することを許可したと彼は言った。尋問は、容疑者がよく知られた過激派組織に属しているかどうかに集中している。レバノンの治安当局からの情報では、ハマドが目下主たる容疑者である。
コンスタンツとレバノンにおけるもう二名の容疑者の逮捕は、最初に逮捕された二人に共犯者がいたという推測を強めている。連邦刑事局局長のイェルク・ツィールケは、テロリストの広範なネットがあることを前提にしている。ドイツに共犯者と援助者がいることは確からしい。
 金曜日にコンスタンツで逮捕された男は、あるテロリストグループのメンバーで数件の殺人未遂と爆発物の爆発未遂容疑で逮捕された。彼はキール中央駅で逮捕されたユスフ・モハマド・アル・ハジディブ容疑者の周囲にいたと連邦検事局は、述べている。逮捕命令については、週末に決定される。ボーデン湖にある学生寮が捜索された。
 連邦検事局の伝えるところによると、この容疑者が失敗に終わった列車爆弾テロに荷担しているかどうかは、まだ決定されない。役所は、コンスタンツで更に二人の兄弟が逮捕されたという『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事については、金曜日夜に、否認した。「ドイツ通信社」(dpa)の情報によるとコンスタンツでは、ラップトップが一台押収された。そのコンピューターは、アル・ハジディブ容疑者のものだという疑いがある。
7月31日に二つのトランク爆弾がノルトライン・ヴェストファーレン州で二つのローカル列車に載せられたが、技術的な失敗で爆発しなかった。ツィールケは、ARD放送で、これまでの捜査で、連邦刑事局はドイツ国内にテロリストの細胞があることを前提にしていると述べた。それがレバノンの「ヒズブ・ウト・タハリル」という組織と繋がりがあるかどうかは、まだ明らかになっていない。
ハマド容疑者は、爆発しなかったトランク爆弾が発見された直後にレバノンへ旅行した。
彼の父は自分の息子は政治的な活動家と何らの連絡を持っておらず、過激なイスラム主義組織である「ヒズブ・ウト・タハリル」とも結びつきはなかったと述べた。
[訳者の感想]最初は列車テロは、素人に近い若者のとっさの犯行のように見えましたが、その後の展開を見るとかなり大きな組織があるように見えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

列車テロの第二の容疑者、無実を主張」と題する『シュピーゲル』紙の記事。

2006年08月25日 | テロリズム
カールスルーエ発:二つの列車に仕掛けられたトランク爆弾の発見から3週間半たって、第二の容疑者が逮捕された。国際的な逮捕命令によって追跡されていたジハード・Hは、連邦検事局の述べるところによると、レバノンの港町トリポリで今朝、警察に出頭した。連邦検事のライナー・グリースバウムは、追跡のための写真の公開後、強力な追跡圧力によってこの20才の男を逃げ切れないと思わせたと説明した。レバノンの治安当局の述べるところによると、彼は警察で自分の無実を主張した。
 これに対して、アラビア語の「アルジャジーラ」テレビ局は、ジハード・Hは、国際警察の示唆によって逮捕されたと報道している。20才の男性は、1週間前からレバノン北部で捜索されていたとテレビ局は述べている。アッカール市にある彼の家族の家は、捜索を受けた。そこでは、捜査官はジハードの居場所については何も述べない容疑者の父シャヒードにしか会えなかった。シャヒードと母のブシュラ・ジャベルはテレビで彼らは息子の罪を信じないと強調した。
 後にジハード・Hをトリポリにおびき出すことに成功し、彼はそこで逮捕された。『ヴェルト』紙も容疑者は、一週間前からレバノンの秘密警察によって所在が突き止められていたと報道している。
 連邦検事局は、この男の引き渡しに努力している。ドイツはレバノンと容疑者の引き渡し協定を結んでいないと連邦法務省は本誌に語った。「刑事事件に関する外国との交渉手引き」によると引き渡しは契約なしの基礎でも可能である。法律上の共助は、外交的な手段で伝達が可能である。
 8月24日の晩に、連邦検事局の代表と連邦刑事局の数名の役人は、レバノンの首都ベイルートに行った。そこでは、役所と引き渡しと容疑者の尋問とレバノンでの可能な捜査について協議されるとグリースバウムは述べた。
 治安当局からの情報によると、最初の容疑者のユセフ・モハマド・E・Hは、ノイミュンスターではなくて、ベルリンのモアビットで拘留されており、連邦刑事局の担当者が尋問している。テロリストグループのまだ未知の構成員の追跡は連邦検事局によるとまだ続いている。
 先週土曜日に逮捕されたユスフ・モハマド・E・Hとジハード・Hとは、特にテロリスト・グループのメンバーに属しており、いくつかの殺人未遂の容疑がある。ジハード・Hに対する容疑は、ケルンにある彼の住居の捜査に基づいているとグリースバウムは述べた。捜査官は、そこでガスボンベや導線や黒い粘着テープに対する受領書を確保した。
DNAテストに適した素材も見出された。容疑者は住居から「明らかに慌てて出て行った。」
 ジハード・Hは、最後にケルンのエーレンフェルト地区に住んでいた。そこで彼はユスフ・モハメド・E・Hと一緒に二つの爆弾を作製したと言われている。それは7月31日にノルトライン・ヴェストファーレン州のローカル列車内で爆発する予定であった。連邦検事局によると、ジハード・Hは、爆弾の入ったトランクをローカル列車でアーヘンからハムまで輸送したと言われている。彼の同国人は、爆弾をメンヘングラートバッハからコブレンツ行きの列車に載せた。両方の容疑者はケルン駅で監視ビデオ・カメラに写った。爆発物が爆発しなかった訳は、テロリストが組み立ての際、手違いを犯したためである。
[訳者の感想]列車爆破テロ未遂事件の容疑者が両方とも見つかりましたが、まだ他にテロリストが何人かいるようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ドイツの列車爆破テロ未遂事件」についての『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事。

2006年08月21日 | テロリズム
連邦検事のモニカ・ハルムスは、土曜日に、問題の男は、レバノン出身で、キール大学の学生であり、学生寮に住んでいたと述べた。彼はイスラム主義のネットワークのメンバーであるそうだ。この21才の男は、二人の容疑者の内の一人であるとハルムスは述べた。爆発物を乗せたトロリーから採取されたDNAと指紋が逮捕された容疑者のものと一致するだろう。彼は日曜日に捜査判事によって尋問を受ける予定である。
その男は、キール駅で列車から降りようとした際に、逮捕された。逮捕に導いた詳細については捜査当局は何も述べなかった。当局の推定では、ドルトムントとコブレンツの犯行容疑者においては、個人的な犯行ではなくて、テロリストの背景をもった集団が問題となっている。「持続的な構造を示す犯行集団が問題である」とハルムスは述べた。第二の容疑者については追跡が行われているが、彼の身元を特定する証拠はまだない。
連邦刑事局(BKA)局長イェルク・ツィールケの言葉によると、イスラム主義的な背景があるという認識はない。「それは捜査される」とツィールケはキールで述べた。第二の容疑者はキールから来たのではない。ツィールケは、監視を怠ってはならないと警告した。「第二の容疑者はまだ歩き回っている。」この男が何をたくらんでいるかは分からない。逮捕された男性は、監視ビデオカメラに写っていたドイツ・ナショナル・チームのトリコットのシャツを着ていた。
二つの列車に爆弾を仕掛た犯人を追跡するために、警察は、土曜日朝、キール中央駅を約5時間封鎖した。目撃者によると、彼はプラットホームで手錠をかけられた男を見た。朝9時に最初の列車が再び発車した。「キールでは、警官の投入処置は連邦刑事局の捜査と連携して行われた」と警察の報道官は述べた。
捜査官は、逮捕後キールにある容疑者の住居とある学生寮の建物を捜索した。この捜索は、土曜日午後まで続いた。キール中央駅で逮捕された際、レバノン人学生は、トランクを携帯していたが、その中には爆発物は発見されなかったと、連邦刑事局は述べた。この若者は供述によると、レバノン出身で、2004年にドイツに入国した。彼は滞在許可証を持ち、キール大学でメカトロニクスを学んでいる。
投入されている間、捜査官は疑わしい対象を探した。発見物および逮捕についての公式の
発表はない。ハンブルク行きの列車に乗ろうとした目撃者は、乗客が4時少し過ぎてからローカル列車から降りるように要求されたと述べている。彼は警官達がプラットホームでトランクと屑篭を調べているのを見た。
キール中央駅では、9時以後次第に旅客が増えた。ただ、3番線と4番線は、赤白のまだらの帯で封鎖されたままであった。多くの旅客は、捜査官達が白い上っ張りを着て、手荷物を調べているのを見た。駅が封鎖されている間、ハンブルクとリューベック行きの列車は、フリントベックとキールの間、及びライスドルフとキール間はバスを運行した。
アンゲラ・メルケル連邦首相は、キールでの逮捕にほっとした反応を見せた。メルケルは、逮捕をテロリズムに対する戦いにおける大きな成功だと評価した。ドイツの治安当局は、素晴らしく職業的に協力し注意深く行為したと評価した。
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州の内務相ラルフ・シュテーガーは、100人以上の警官が投入されたと述べた。彼の意見によれば、「ビデオによる監視は、正しく且つ重要である」ことが明らかになった。社会民主党のディーター・ヴィーフェルスピュッツは、公共の場所でのビデオ監視を強化するのに賛成した。
爆弾の脅威の後で、ハンブルク中央駅は、土曜日には完全に閉鎖された。「われわれは匿名の電話を受けた」と警察の報道官アンドレアス・シェップフリンは報じた。建物全体でその後立ち退きを実行された。この時点に駅構内にあった6っつの列車のうち、4っつは発車が許された。「目下二つの列車が駅構内に停車している。だが、人間は中にはいない」とシェップフリンは述べた。
近距離と遠距離の列車とも中央駅には到着していない。「Sバーンは、運行しています」と駅の広報係は言う。駅の周囲も厳重に警備された。専門家が建物の捜査を始めた。
[訳者の感想]ドイツでも列車テロが計画されたようです。未遂に終わって何よりだと思いました。爆弾はトランク内に仕掛けられていたようです。ビデオカメラによる監視がテロを未然に防ぐのに役立つということが立証されたようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする