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海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「テロ指導者の残忍な根性」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年07月01日 | テロリズム
 誰か分からないが、アフガン人のNATO協力者の首を切り落とした。アフガン東部のパクチア州に駐留しているNATO軍部隊のための通訳の遺体は、木曜日の夕方、隣のロガール州で見つかったと、警察は発表した。警察の発表では、彼は数日前に誘拐された。警察は、犯行はイスラム過激派のタリバンの仕業であると述べた。タリバンは、外国軍のため、あるいは、西欧の援助軍のために働いているアフガン人を殺すぞと繰り返し脅した。
 もう一つの報道も、世間に衝撃を与えた。イラクで、20人の首を落とされた遺体がチグリス川の中で見つかったというものだ。西欧のメディアにおいては、日常的なテロ報道を引き起こすために、このような見せ物的な出来事の積み重ねが起こるに違いない。
 2004年5月に、ザルカウイに率いられたイスラム主義者グループは、アメリカ人のビジネスマンニコラス・バーグの斬首のビデオをインターネットで流した際、テロリストのやり口を理由づけた。映像をダウンロードさせたマレーシアのサーバーは、しばらく、アクセスが多すぎたために、電源を切らなければならなかった。というわけは、米国でも、この残酷な光景は、パリス・ヒルトンのセックス・ビデオよりもしばしばクリックされたからである。
 「斬首」という言葉は本来、婉曲な表現である。なぜならば、この語は、刀、あるいはギロチンによって、素早く首を切り落とすという比較的人間的な処刑方法を思いまださせるからである。なぜなら、それは十字架に付けたり、首を吊したり、車裂きや沼地でおぼれさすようなもっと古い刑罰に対しては、進歩だったからである。このような斬首は、ヨーロッパでは、長い間、地位の高い階層の人の特権だった。
 だが、バーグの場合は、むしろ、彼の首は時間をかけてゆっくり切り落とされた。2001年には、アメリカ人のダニエル・パールも同じ目に遭った。だが、チェチェンのロシア兵やバルカン戦争で国際的なジハディストの手中に落ちたセルビア人捕虜や1990年代のアルジェリアのGIAの数千人の犠牲者も同じ目に遭った。当時、手慣れた肉屋の「こびとのモハメッド」だけでも、一晩で、86人の首を切ったと言われている。これらの人々の場合には、勿論、ビデオはなかった。彼らの死は、イスラムの肉屋での家畜のと似ていた。 テロリスト達がバーグの映像を流したとき、「アブ・ムサブ・ザルカウイは、自分の手でアメリカ人の不信仰者をする」というタイトルを付けたのは、彼らがこの側面を強調したかったからだ。
 政治的イスラム全体が、仮装行列であって、ナショナリズムや貧困や権力欲や、犯罪や、個人的サディズムや、冒険心や、誇大妄想のようなさまざまな動機が、歴史的な衣装を着ているように、不信心者の斬首も、電子的大量宣伝がイスラムの伝統と結びついた演出である。
 なぜならば、イスラムのレトリックや紋章学や歴史においては、斬首と刀には特別の価値が与えられている。オランダに亡命しているエジプト人宗教学者のナスル・アブ・ザイドは、このような残酷さを引き起こしたベドウイン系イスラムと彼の宗教の決して内在的には残酷ではない主流とを区別しようとしている。その際、彼は、まさに感動的な仕方で、ナチ時代に自分自身と世界に対して、同国人の少数派だけが、ナチに従順で、彼らの犯罪を支持しているのだと説得しようとしたドイツ人亡命者を思い出させる。(中略)
 コーラン解釈者のナスル・アブ・ザイドは、3年前に次の点を指摘した。「ひげ面男による斬首ビデオはアラビア人国家では、複雑な感情で眺められた。人々は、この死刑執行者は、いつか、家に戻って来て、自分たちの仲間に同じことをするだろうと恐れている。」
 この恐れは正しかった。最近の事件はそのことを証明している。事実、タリバンのアフガニスタン、ワハーブ派のサウディ・アラビア、イェーメン、カタールなど、イスラム法が効力を持っているところでは、不信心者よりもムスリムのほうが刀の犠牲になっている。
(以下省略)
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