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海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「パキスタン、テロリズムに関して西欧を非難する」と題する『オブザーバー』紙の記事。

2006年08月20日 | テロリズム
イスラマバードからラワルピンディに通じる道路脇ではためいている旗には、ジアウル・ハク将軍の顔が描かれている。彼は10年以上軍政を敷き、1988年8月17日に奇妙な状況で飛行機が爆発して死んだ。路傍の旗は、彼の殉教死を悼んでいる。もっとも旗があるといういことは、普通のパキスタン人が彼の無慈悲な政権に対して感じるノスタルジアよりは、彼の息子が現在政府の大臣であることに関係がある。
飛行機の爆発は、パンジャブ州のバハワルプールの空港で起こった。この町は、たまたま、ラシド・ラウフが去る8月9日にテロ未遂事件で逮捕された場所である。だが、多くのパキスタン政治家や解説者によると、ジアウル・ハクと現在の捜査との結びつきはもっと深い。
先週末、ベナジル・ブット元パキスタン首相は、彼女の父の政権を1970年のクーデターで倒したジアウル・ハク将軍はソビエト連邦に支援されたアフガン政府を倒すために、米国とムジャヘディンとを援助する鍵となる役割を演じたと『ニュース』紙に書いている。
この同盟は、ムジャヒディンに近代的な武器と技術をもたらしただけではなく、「私の国を平和な国からカラシュニコフとヘロイン中毒とイスラム教の過激な解釈の社会に変えた。」こうして、現在の収穫の種子が当時蒔かれたと彼女は示唆している。彼女の見解は、今週、市場やシンク・タンクや政治家や解説者の間に多くの反響を見出した。
「われわれは怪物を作り出した。そして、われわれはそれをどう扱ったらよいか分からないのだ」と「アワミ国民党」の上院議員であるアスフンジアル・ワリは言った。彼は14才で彼の政治的信念のために投獄され、それ以来何度も逮捕された。「ソビエト連邦に対する戦争は、難民を戦士に変えた。」
ソビエト連邦に対する戦争の間、CIAは推定30億ドル(3,450億円)の援助をアフガン・ゲリラと外国から来た戦士に供給した。彼らはいまだにパキスタン西北部のアフガンとの国境地帯に住み着いている。推定25,000人の「アフガン・アラブ人」はサウディ・アラビア、エジプト、アルジェリアなどからやってきた。過激化し、軍事化された原理主義者の予備軍の創設が1980年代にパキスタンが米国の圧力に屈したせいだとと非難されるならば、現在のテロの陰謀とタイミングについての懐疑が増大する。
これらの陰謀は、ブッシュがテロに対する恐怖を維持するのにじゅうようである。だから、アメリカの公衆は絶えず恐れているのだ」とイスラマバードにある「戦略研究所」の所長であるシレーン・マザリは言う。アルカイダの関与については、マザリ博士は「さまざまのグループを引きつけるブランド名になっていると私は思う」と言う。
『ネーション』誌の漫画家であるマクシムは、ある大胆な解釈を行ったが、それは多くの聴衆を見出している。彼の漫画は、英国、米国、イスラエルの印の付いたミサイルを見て、「本当のムスリム破壊の大量破壊兵器だ」と考えているいるアラブ人を描いている。この見解に賛成する人は多い。イスラマバードのフダ・モスクのイマムを務めるシャフィク・アーメドは、「この陰謀は、レバノンで起こっていることから国際社会の注意を逸らせるたくらみであるように見える。ムスリムがテロの犠牲となり、9.11の背後で殺されている。誰もムスリムの問題に関心がない。国連でさえ関心がない。われわれは不正義と戦うなら、天国へ行けると信じている。もし、われわれがこれらの残虐な力に対して何かができなければ、われわれは神に彼らを破滅させてくださいと祈るかもしれない。」
21才の学生ウスマン・ムーサは、パキスタンが西欧ではテロの震源地であると考えられていることに対する反感を反省する。「英国で生まれそこで教育を受けた人々が英国でやっていることのためにパキスタンを非難してはならない」と彼はジンナー市場で車に荷物を積みながら言った。「なぜ人々はいつもパキスタンを見るのか?」
[訳者の感想]パキスタンがテロの温床になっているという考え方について、パキスタン人がどのように考えているかがよく分かる記事だと思います。
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「テロの陰謀、パキスタンとアルカイダの繋がりが暴露された」

2006年08月12日 | テロリズム
12機の航空機を爆破しようとした陰謀きを調査している刑事によって24人の容疑者のうちの2人の人物の兄弟は、警察が急襲をかける直前にパキスタンで逮捕されたということが昨晩明らかになった。
アフガニスタンとの国境近くでのラシド・ラウフを逮捕したことが、引き金となって、捜査は、いわゆる細胞が攻撃準備をすることを恐れた官憲との先制作戦を始動した。
パキスタンの官憲は、昨夜、ラウフがアルカイダとつながりがあると主張した。「われわれは彼を国境地帯で逮捕し、彼の自白に基づいてわれわれは英国当局に情報を提供した。その情報が英国での他の容疑者の逮捕へと繋がった」とアフタブ・カーン・シェルパオ内相は述べた。
クルシード・カスリ外相は、ラウフが逮捕前にモニターされていたと述べた。
ラウフの叔父は、2002年4月にバーミンガムで殺され、殺人事件の追及の一部としてラウフの同市のセント・マーガレット通の住まいが捜索された。
ローフの逮捕は、最近のパキスタン当局によってなされた7人の逮捕の一部であり、その中にもう一人の英国人も含まれていると理解されている。ラウフの二人の兄弟は、木曜日、バーミンガムで逮捕された。昨夜、ラウフは、陰謀の計画者と攻撃を実行しようと準備していた英国のモスレムとの間に繋がりを作り出した。
昨日、少なくともロンドン東部のウオルサムストウで逮捕された容疑者の一人は、「タブリギ・ジャマート」によって運営されているキャンプに参加した。この組織はアメリカ人によるとアルカイダのための兵員補充基地として使用されてきた。殉教者用のビデオ・テープや他のアイテムが昨日逮捕された29人の持ち物の捜査において発見された。
明らかになったところによると、パキスタンがこの逮捕劇で決定的な役割を演じ、テロの暴露に役立った。英国の反テロ関係の官憲は、テロに参加する予定の英国人の何人かは、二ヶ月前にパキスタンを訪れ、英国に帰国した。
英国の情報当局によると、いわゆるテロの筋書きのもとの情報は、一年前に英国在住の情報提供者から得られた。情報提供者は、モスレム社会の出身だと思われている。
ローフの逮捕と情報的強者からの警告との結びつきが、木曜日の逮捕に繋がった。
24人の逮捕された容疑者の背景についての詳細は、昨日明らかになった。容疑者のうち3人はイスラム教への改宗者である。最年少は、17才で、最年長は35才である。英国銀行によって暴露された預金口座凍結の対象となった19人の名前は、中心的な容疑者である。
何人かはパキスタンを訪問したが、「陰謀は英国で作成され、英国で目標が定められ、英国で挫折した」と治安関係者は述べた。
だが、攻撃が何時行われる予定であったかは、明らかでない。いわゆる参加者はまだ航空券を購入していなかった。
反テロ刑事には、昨夜、木曜日に逮捕された22人の留置請求が認められた。後で、一人は嫌疑が晴れて釈放された。
[訳者の感想]リチャード・ノートン、サンドラ・ラヴィル、ヴィクラム・ドッドという三人の記者の共同記事です。
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「英国は、対テロ戦争の最前線」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年08月11日 | テロリズム
ロンドン発:まだ、一切が目下の状況に集中している。計画されたテロ攻撃の詳細、何千人もの旅行者が混乱の中で、いつ再開されるか分からぬ離陸を待っている英国の空港における悪夢。
 けれども目下の緊急事態の考察と並んで「英国におけるテロリズム」というテーマを巡って政治的論争が再燃する。トニー・ブレア首相は、もう長い間、批判の大合唱に直面している。批判は、「対テロ戦争」でのロンドンと米国との密接な関係には満足してない。
この戦争では、周知のように、英国は、アフガンとイラクでは軍隊を派遣して、最前線に立たされている。戦死した兵士の数は、その間に100人を越えた。
 ブレア首相に対する最近の批判は、レバノン問題に向けられている。その際、この紛争でイスラエルを寛大に扱い、主点をヒズボラと彼らの活動に置くアメリカの立場に余りに近いと批判されている。批判者は、イラク侵攻に際して米国を支持するという2003年のブレアの決断以来、英国はテロリストの網に捕らえられ、不必要に大きな脅威に曝されてきた。
 最後の数分で阻止された攻撃は、ブレア批判者にとって上昇気流となった。彼らは鋭く
テロリズムに対する戦争における積極的な役割が英国社会にとって何を意味するか、どれほどの永さ高度の脅威とともに生活できるかを問いつづけるだろう。英国に対する新たな攻撃はいつでも起こりうる。
 現実の英国の役割にも関わらず、全西欧文明が過激派イスラム主義によって敵であると刻印されたということは、これまでブレアにとって負担を軽減するものであった。そして2001年9月11日の攻撃のような攻撃は、米国も英国もどこかでテロリズムに対する軍事作戦に巻き込まれていない時点に、起こった。
 われわれはまた、今日、ロンドンは、--評論家のメラニー・フィリップが最近の著書で「ロンドニスタン」と呼んだように、--既に2001年よりずっと前にアルカイダ・ネットワークの共謀的準備にとって理想的な隠れ家となった。9.11の後、そして2005年7月7日のロンドンのテロ攻撃の後、治安関係者にも意識されるようになった活動にとって理想的な隠れ家となった。それ以来、集中的な監視措置のお蔭で、警察は、今、新たなテロの蛮行を未然に防いだ。
 「テロリズムに対する戦争」における英国の役割を巡る政治的議論は、鳥と卵のどちらが先かという問題に似ている。ロンドンが対テロ戦争に積極的参加したから、英国は増大するテロの脅威の下にあるのか、それとも、英国の政策が、イラク侵攻への重大な歩みをアメリカと始める以前に、テロリストたちはとっくに戦争準備をしていたのか?まだ、世論は、後の意見に傾いていて、テロリストというヤマタノオロチの中に、断固戦われなければならない脅威を見ている。
 対テロ戦争の最前線にある英国政府の役割は、トニー・ブレアにとって、にもかかわらず、大きな問題を投げかけている。テロとは戦わなければならない。だが、これを最も断固と宣伝している男にはほんのわずかの利点しか生まれない。
[訳者の感想]トーマス・キーリンガー記者の記事です。ブレアと小泉首相がどちらもアメリカに従って対テロ戦争を支持したのですから、テロリストから見ると日本も同列だろうと思います。
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「ロンドン・テロ一周年にテロの脅し」と題する『シュピーゲル』誌の記事。

2006年07月07日 | テロリズム
ロンドン発:「お前達が体験したのは、一連の攻撃の始めに過ぎない」と2005年7月7日に地下鉄のオルドゲート駅のテロで命を落としたシャーザド・タンウイーアはビデオで言った。このビデオは最初、「アルジャジーラ・テレビ」で次にBBCで放映された。
この22才の青年は、画面では赤と白のパレスチナ人風の布をかぶっている。アルカイダのナンバー2であるアイマン・アル・ザワヒリと一緒に映っている。今日まで、一年前、56人の命を奪い700人の負傷者を出したロンドン・テロとアルカイダとのつながりは謎であった。2005年7月7日以前のいつ、どこでこのテープが撮影されたかはまだ不明である。
明らかに英国政府に向けられたメッセージにおいて、タンウイーアは、攻撃は、「お前達の軍隊がアフガニスタンとイラクから撤退するまで、アメリカに対する財政的軍事的援助が止められるまで、継続され強化されるだろう」と述べている。
ビデオの中で、ザワヒリは、タンウイーアの決意を賞賛している。「彼はある大学でスポーツを学び、ボクシングに対する好みを培った。彼は裕福な家庭の出身だったけれども、彼の服装と立ち居振る舞いは、このことを見びらかさなかった。」テレビ局は、アルカイダの首領であるオサマ・ビン・ラディンもこのテロを評価したと述べた。ビデオは、ビン・ラディンの写真も見せているが、彼の声は聞かれない。報道によると、テロリストたちは、慎重に目標を選んだ。映像では、ロンドン・テロの成功を祝って空に向けて銃を撃っている数人の男達が映っている。
ブレア首相は、ビデオについて直接発言することを控えた。「私達は、国民の追悼への思いがロンドン・テロにすべて集中されることを望んでいる」と報道官は言った。
去年九月に既にテロリストの首謀者と目されるモハマッド・シディック・カーンが「おれ達は戦争をしているんだ。おれ達は兵隊なのだ」と宣言していた。このテープでも、イスラム世界に対する英国の犯罪がテロの理由だと述べられていた。タンウイーアとカーンは、一緒に2004年11月から2005年2月まで、パキスタンに滞在し、一時リーヅ大学で一緒に勉強していた。
ロンドン警視庁の長官代理のアンディ・ヘイマンは、「タンウイーアの映っているこのビデオは、7月7日のテロ一周年を狙って公表された。テロリストたちは、犠牲者の遺族の苦痛と悩みとを強めたいのだ。このビデオの存在については情報を得ていた」と述べた。
7日正午には、国中で、二分間の黙祷がささげられる。一周忌を過激派が新たな攻撃に利用するという心配から、安全措置が強化されている。6千人の警官が配置された。(以下省略)
[訳者の感想]ロンドン・テロから一年経って、テロリストたちがアルカイダとコネがあったことがはっきりしたようです。
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「アルカイダ、20人目の暗殺者の名前を公表」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年06月15日 | テロリズム
パリ発:2001年9月11日の旅客機を使ったテロ攻撃の20人目の暗殺者は、アルカイダのものと推定されるインターネットのメッセージによると、モロッコ系フランス人のザカリアス・ムサウイではない。「オサマ・ビン・ラディンは、サウディ・アラビア出身のツキ・ベン・フハイド・アル・ムタイリをテロ攻撃の20人目の実行者に選んだ」とアルカイダによって使用されているウエッブ・サイトは述べている。それに対して、ムサウイは、9.11のテロとは無関係である。アル・ムタイリは、期日が延ばされたために、攻撃に参加できなかったと書かれている。この言葉が事実であるかどうかは吟味できない。
[訳者の感想]ムサウイは終身刑が決まった後で、前言を翻し、自分は9.11テロとは無関係だと言ったそうです。
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「アルカイダのザワヒリの新しいメッセージ」と題する『シュピーゲル』紙の記事。

2006年06月10日 | テロリズム
カイロ発:ビデオにおいて、ザワヒリは、白いターバンを被り白い衣服を着て、黒い背景を背にしている。「神がイラクにおけるイスラムの予言者、イスラム教の英雄、聖なる戦士であるザルカウイを祝福されますように」と彼は昨日殺害されたテロリストを賞めた。更に彼は「十字軍兵士と背教の支持者に立ち向かっているイラクの反乱者に挨拶を送っている。
このメッセージの中では、主に問題とされているのは、中近東とスーダンにおける事態の展開である。この追跡されているエジプト人は、ビデオで、パレスチナ大統領のマームード・アッバスが計画しているイスラエルを承認するための国民投票を批判している。「私は、パレスチナについてのすべての国民投票を拒否するように呼びかける。なぜならば、パレスチナは、イスラムの家であり、何らかの妥協の対象ではないからである。」
ビン・ラディンの副官は、スーダンへの国連軍の投入をも拒否した。月曜日にスーダンの首都カルツームに入った安全保障委員会の調査団を彼は「スーダンを占領し、分割する」準備であると言い表した。
地下に潜ったタリバン指導者のオマール師は、ザルカウイの死によってイラクにおける抵抗運動が弱まるものではないと見ている。アフガニスタンにいる人間や彼自身は、「殉教」の後、数千名の若者が戦いを続けるだろうということを確信していると今日パキスタンで広まった声明の中で述べられている。「ザルカウイによって始められた戦いは、国民運動であり、すべての若者はザルカウイになる可能性をもっている。
ある声明においては、ザルカウイの死について次のように述べている。「私は全世界のモスレムに対して、このような出来事はアフガニスタンや世界の他の部分における十時軍に対する持続的な戦闘を弱めるものではないという報告を送りたい。」すべてのモスレムの若者は、自分の信仰と名誉と尊厳を護るために、この戦闘を続けるだろう。オマール師は、ザルカウイの家族に彼とアフガン国民の名において哀悼を表している。
オマール師は、2001年末のタリバン政権の崩壊後地下に潜った。彼はビン・ラディンと同様、パキスタンとアフガンニスタンの国境地帯に潜伏していると考えられている。
[訳者の感想]イラクでは、ザルカウイのやり方に対して批判的な人がかなりいるようですが、このニュースによるとアフガンのタリバンもアルカイダと同様、ザルカウイを殉教者と見ているようです。
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「ムサウイ、死刑を免れる」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年05月04日 | テロリズム
 アレクサンドリア/ワシントン発:モロッコ系フランス人ザカリアス・ムサウイは、2001年9月11日のテロ攻撃の共謀者として終身刑の判決を受けた。12名の陪審員は、1週間に渡る協議の後、検事の死刑要求を退けた。判決によれば、ムサウイにとっては、彼の生涯の終わりまで、釈放の機会はない。彼は恐らくコロラド州の高度の保安設備をもった刑務所で刑期を務めなければならない。そこでは囚人は一日に23時間独房にいなければならない。
 9.11のテロ攻撃との関連で告訴された唯一の人物であるムサウイは、何ら感情を動かすことなく判決を受けた。彼が法廷から連れ出されたとき、彼は「アメリカよ、お前は負けた。俺が勝った」と叫んだ。裁判官のレオニー・ブリンケマは、ムサウイを「非常に厄介な人物」だと言ったとき、彼は法廷記者の述べるところによると、指でヴィサインをした。
 ブッシュ大統領は、「彼は公正な裁判を受けた」とドイツ連邦首相アンゲラ・メルケルとの会談の際、述べた。「終身刑によって陪審員はムサウイの命を救ったが、それは彼が罪のないアメリカ人に関してする用意がなかったことだ」と大統領は述べた。
 陪審員は最初の裁判過程でムサウイが4機の旅客機を乗っ取ってニューヨークとワシントンとペンシルバニアで3,000人を死に追いやったモハメド・アタの周囲の暗殺者の共謀者あることを決定した。
 死刑判決を下すためには全員の合意が必要であった。裁判所の広報官であるエドワード・アダムズによると、陪審員は、ムサウイに特に重大な事情の責任を負わせることができるかどうか、意見が一致しなかった。5人の陪審員は、彼がテロ攻撃の際、端役を務めたに過ぎないと確信していた。ムサウイは、テロ攻撃の3週間前にミネソタで逮捕された。彼はそこで航空学校で訓練を受けていたが、彼の教師が疑いを抱いた。原告は、ムサウイがテロ攻撃に対して共同責任があると主張した。ムサウイは、アルカイダが旅客機を誘拐し、建築物に誘導しようとしていることを知っていた。もし、彼が事情聴取の際に、白状していれば、テロ攻撃は未然に防げただろうと原告は考えた。
 これに対して、ムサウイの意志に反して、その生命のために戦った弁護側は、被告が精神的に障害を持っていると言った。原因は彼の家族にあり、彼の三人の姉妹と父親とは病気である。英国で経済学を学び、修士の学位を持つムサウイは、自分自身をテロの指導者ビン・ラディンの熱烈な信奉者だと称した。彼はアメリカに入国する前にアフガニスタンにあるアルカイダの訓練所にいた。
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「米国、グアンタナモ収容所の囚人をドイツへ」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年04月15日 | テロリズム
ベルリン/ワシントン発:アメリカ政府は、12名以上のグアンタナモに収用されている囚人をドイツに押しつけようとしている。『ヴェルト』紙がベルリンとワシントンの外交筋から聞き出したところによると、その上、合衆国は、連邦政府に圧力を加えている。これまでのところ連邦政府は、アメリカの願望に抵抗している。公式には連邦政府は、問い合わせに対して何も表明していない。
 捕虜の集団で問題となっているのは、15人のウイグル人である。中国西部(新彊ウイグル自治区)に住んでいるこのイスラム教徒達は、北京政府に対して武装闘争を行っており、そのために迫害されている。2002年にこれらの男達は、タリバンあるいはアルカイダの戦士としてアフガンニスタンで捕虜となり、キューバのグアンタナモの捕虜収容所に連れてこられた。2003年末にすでに、アメリカ軍当局者は、これらのウイグル人は釈放可能かもしれないと考えた。彼らの何人かは、確かにアフガンニスタンの訓練基地を訪問したかもしれないが、無害であると格付けされたと軍の書類に基づいてアメリカのメディアは報道した。
 逮捕者は中国に引き渡された場合には、死刑になる恐れがあるので、米国は、この集団を引き受ける別の国を探している。アメリカ人の推測では、ドイツが適している。なぜならば、バイエルン州にすでに一連のウイグル人難民が生活しているからである。
だが、新しいドイツ連邦政府は抵抗している。その背景には、中国との関係についての配慮がある。アンゲラ・メルケル連邦首相は、5月末、北京を初めて訪問する予定である。北京の指導者達は、ドイツがウイグル人を引き取ることを非友好的な行為と感じるだろうとベルリンでは言われている。
ベルリンの外交筋では、米国は諦めないだろうということを前提にしている。『ヴェルト』紙の情報によると、ブッシュ大統領は、連邦首相が去る1月初めにワシントンを訪問した際に、このテーマを話し合っている。次回のワシントン訪問の際に、ブッシュは彼の頼みを繰り返すだろう。舞台裏では、ワシントンは、グアンタナモ捕虜収容所の解散を直接間接に力説してきた国々が、捕虜を引き取るべきだと主張している。ドイツはそういう国の一つである。
[訳者の感想]確かにドイツやフランスでは、拘置の理由もなく長期に収容所に入れておくことに対して反対の世論があったと思います。しかし、だからといって、簡単にウイグル人捕虜を引き取ることもできないというヂレンマを抱えているようです。ロシアもかっては1930年代にウイグル人の独立運動を弾圧した前歴があり、引き取る可能性は少ないと思います。日本政府に依頼が来たらどうするでしょうか?
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「今度はペンタゴンを全焼させるとムサウイうそぶく」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年04月13日 | テロリズム
ワシントン発:37歳のモロッコ人、ザカリアス・ムサウイに対する裁判で、原告は明日、証拠提示を終わる。それは恐らく「靴爆弾」リチャード・リードが証人として出廷することで終わるだろう。リードは、2001年12月にパリからマイアミ行きの飛行機の中で、靴の中に仕掛けられた爆弾を爆発させようとして、乗客によって妨げられた。彼はコロラド州フローレンスの監獄に恩赦なしの終身刑で服役中である。2001年9月11日のテロリスト達と一緒に米国の航空訓練学校に通っていたムサウイの述べたところによると、彼はリードと一緒に飛行機テロを実行する予定であったが、2001年8月16日に捕らえられた。彼はテロリスト仲間の唯一の生存者である。証拠提出は、情緒に訴える形で行われる。これまで公開されたことのない9.11の記録が提示される。火曜日には、ペンタゴンに突っ込んだアメリカ航空77便の内部の写真が初めて示された。ムサウイの弁護士は、これを止めさせようとした。写真は、焼けただれた死体を見せた。生存者は、自分たちの体験と生き残ったという負い目の感情について涙ながらに語った。ムサウイは、この証言を無感動に聞き、「今度やるときはペンタゴンを全焼させてやる」と叫んだ。
 昨日の裁判では、法廷で初めてペンシルヴァニア州の森林に墜落した「ユナイテッド・エアライン」93便のコックピット内部の音を収録したテープが回される予定であた。証拠提示の内で最も重苦しい瞬間だった。乗客がテロリストをやっつけようとした際に、UA93はペンシルヴァニア州のシャンクビル付近に墜落した。録音テープは、乗客の家族の干渉によってオーディオ・データとしては、証拠物件の中に採用されなかった。ただ記録を紙に書き直したものが現れるはずである。4月28日にはUA93を題材にした映画が公開される。
 原告は記録を実演することを主張したがその理由は、彼らの死刑求刑がムサウイが2001年8月16日以後に計画されていたテロ攻撃についての知識を漏らさず、それによって何千人もの被害者の測りがたい苦しみに対して責任があるという事実に基づいているからである。来週、最終弁論を行う予定の弁護団は、被告が統合失調症であると主張するだろう。統合失調症の患者は、アメリカでは処刑されない。弁護団は、ムサウイを分析し、典型的な行動パターンを示唆する証人を招く予定である。その上、彼らは、アメリカ政府がムサウイの黙秘がなくても航空機によるテロ攻撃の予兆を持っていたが、被告の黙秘よりも官僚的な思考のせいでテロ攻撃を防ぐことができなかったということを証明しようと試みるだろう。
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「アルカイダの雇用契約書」と題する『シドニー・モーニング・ポスト』紙の記事。

2006年02月23日 | テロリズム
それは給与、有給休暇、引っ越し料、葬式手続きについて書かれた雇用契約書であるかもしれない。但し、この場合、雇用者はアルカイダであり、新兵の仕事は、「ジハードを遂行すること」である。
契約書にサインすることによって、新兵は、アルカイダの標的となる。「神の宗教を支持し、イスラムの規則を守り、イスラムのカリフ制を回復すること。」
この契約書は、アフガニスタンとイラクでアメリカ軍が押収した何千もの文書の一つであって、国防省のデータ・ベースに収められている。
28の初期の実例は、ウエストポイントにある米国軍事大学の「対テロ・センター」で機密文書からはずされて、公刊された。
この文書は、「アルカイダ」の内部構造を説明し、彼らの戦術についての議論に光を当てる。それらの文書はまた1982年のシリアにおけるイスラム主義者の粉砕のような過去の失敗を分析しており、ジハードのための新しい領域について思弁を巡らし、ソマリアから米軍を追い出した際のアルカイダの役割についての宣伝が足りないことを嘆いている。
ある文書は、アフガニスタンにあるアルカイダの砦が失われたことについての落胆を暴露している。アブデル・ハリム・アドルと名乗る書き手は、「ムクタール」と呼ばれる人物にオサマ・ビン・ラディンの頑固さと多数の兄弟達が捕虜になったことについて苦情を述べている。
「われわれは世界の笑いものになるだろう」と彼は言う。彼はアルカイダに「行動に走るのを止めて、六ヶ月の間にわれわれを悩ませた相次ぐ致命的災難を全部考える時間を与えるように」要求している。
ウエストポイントの軍事大学は、これらの文書はアルカイダについて重要な知識を与えると付け加えている。
最も重要な文書は、アルカイダの徴兵政策を暴露している。「雇用契約」は、徴兵の必要条件をリストアップしている。必要条件は、従順、秘密厳守、他のグループとの結びつきを避けること、身体的に健康であること、宗教・道徳問題で完全であること、アルカイダへの誓約を暗唱することなどである。
アルカイダの内規の草稿の一つは、妻一人が加わる毎に1か月700ルピーが追加支払いされる。結婚したメンバーには、家具を購入し、ヘルスケアのために2万ルピーが支払われる。
内規は、「エミール」と「司令官会議」を先頭にする組織構造を記述している。それは「対外関係部」や「執行会議」や「軍事委員会」や「治安委員会」や「政治委員会」に分かれる。
「軍事委員会」には、「核兵器部門」があるが、それ以上の詳しい説明はない。
仕事の記述は、詳しく述べられている。「エミール」を特徴づけるために、「指導者(恐らくビン・ラディンを指す)は、余りにエミールであろうとしてはならず、責任を遂行するのに十分な知識を持たねばならない」と述べている。
「軍事委員会」の議長は、40歳以上でなければならず、大学卒で、できれば、軍事大学の卒業生であることが望ましい。」
テロリズム・センターの研究所長であるジャッレト・ブラクマンは、サウディ・アラビアにいるアルカイダの支部や、東南アジアの「ジャマー・イスラミア」のような過激派グループは、今なお、形式的な雇用契約を使用していると考えている。
広報宣伝に対するアルカイダの注意は、明白である。2000年6月にアフガニスタンのカンダハルで書かれたビン・ラディン宛の覚え書きは、もっとよいプロパガンダの重要性を強調している。書き手の「アブ・フテイファ」は、ビン・ラディンを「スター」だと賞賛しているが、アルカイダが政治的空白に罹っていると不満を述べている。
[訳者の感想]アルカイダが一体どういう風な組織を持っているのかこれまで分かりませんでしたが、この押収文書の公開で、少し分かったように思います。しかし、テロ組織としてはともかく、政治的組織としては余り十分な体制を整えているようには見えません。それでも自爆テロの志願者が後を絶たないのはなぜでしょうか。
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「若くて、反抗的で、爆発しやすい」と題する『ツァイト』紙の解説記事。

2006年01月08日 | テロリズム
彼らは世界を変革したのだろうか?21世紀の最初の惨事を引き起こすのに、核弾頭つきロケットを持ったハイテクの軍隊は必要でなく、絨緞を織るのに必要なナイフを持った19人の若者しか必要でなかった。2001年9月11日にニューヨークとワシントンで引き起こされた破壊の程度にイスラム教テロリスト達が二度と及んでいないことは確かである。だが、モハメド・アタの方法は、成功を収めた。自殺テロは、今日、以前にまして、無力な者達の象徴的な究極的ちからとして歴史の中に残っている。
2005年7月7日に、少なくとも56人を殺傷したリュックサック爆弾を背負っていた4人の若いパキスタン人の場合も自殺による暗殺者だったのについては、ロンドン警察は、これまで疑いを表明した。だが、爆発物が遠隔操作で点火されたとしても、ともかくイギリス育ちの四人の青年は、民間人の真中に爆弾を持ち込む価値があると考えたのだ。ジハード青年がキングス・クロス駅から散開して以来、想像できなかったことが、もはやありえないことではなくなった。戦争も弾圧も国外追放も経験したことのない若いヨーロッパ人が、西欧社会に対して致命的な憎悪を感じたのだ。だが、9月11日の人間ミサイルとは違って、リーズから来た犯人達は、代理人テロリスト、盲目の代弁者のように見える。つまり、彼ら自身のではない狂信主義の代弁者、最小の手段で最大の損害を与えようとする指導チームの代弁者、彼らに抑圧として押し付けられた欲求不満の代弁者のように見える。最後に、脅かされたモスレム共同体の抵抗闘争の代弁者のように見える。
これらすべての動機は、既に自殺により殺人の歴史の中で与えられている。もちろん、これまでは、それらの動機は、ばらばらに分かれていた。最初の自殺による暗殺者と見なされるのは、11世紀と13世紀のアサシン派である。シリアとペルシャでは、この教団のメンバーは、背教的なイスラム教徒に襲い掛かった。公道上で相手に短剣を突き刺した暗殺者は、彼らの行為が自分の死も意味することを覚悟していた。彼らは純粋な宗教的熱狂からこのような行為を行った。これに対して、日本軍は、1944年から45年にかけて、冷静な戦争経済から約2千人の神風特攻隊員をアメリカの軍艦めがけて落下させた。天国への約束を刷り込まれて、イランのホメイニ師は、イラクとの戦線で1980年代に数千人の子供を地雷と砲撃の餌に送り込んだ。
これに対して、自殺テロの変形の動機は、個人的な侮辱と政治的転覆の意志にある。興味のあることに、1980年代の初めから、最も多くの自殺テロを行った集団は、最も宗教的ではないグループの一つだった。スリランカの分離主義的地下軍隊である「タミールの虎」は、2000年までに、168件の自爆テロを行った。中東のイスラム主義のテロ集団は、これまでに合わせて82件しか自爆テロを行わなかった。
1983年10月23日、一握りの「フェダシン」(犠牲覚悟者)は、ベイルートで彼らが超大国に対して何ができるかを証明した。2.5トンのTNT爆薬を積んだトラックに乗った自爆テロリストは、レバノン駐留のアメリカ海兵隊の司令部を破壊し、241名のアメリカ兵が死んだ。二番目の爆発では、58名のフランス軍落下傘部隊の兵士が死んだ。この流血の惨事から数ヶ月後に、アメリカとフランスとイスラエルは、レバノンから撤兵した。(以下13行省略)
だが、静かなリーズに住むティーンエイジャーを虐殺へと駆り立てた原因は何か?イギリスの事件がわれわれを不安にする理由は、犯人を駆り立てたのは古典的な動機ではなかったという点にある。そこに示されているのは、自殺テロのポストモダンのグローバル化された変形である。犯人のうち3人は、30才のモハメド・カーンの影響を受けた。彼は、カリスマ的な指導者で、地域の青年クラブで若いパキスタン人には余りに分かりやすいある世界観を説いた。最後に彼らは英国の他の民族集団と違って負け犬だと感じた。パキスタン人の五人に一人しか、中学卒にならない。彼らの未来の展望は、他の少数民族と比べて、非常に暗い。よりによって、リーズ大学は、数年前に、ある研究の中で、若いパキスタン人があきらめと白人に対する反感に悩んでいると警告した。この劣等感が流血の攻撃に転化するのは、彼らが、貶められたと感じた人々を貶めようと決心した場合である。更に、パキスタンのマドラサ(宗教学校)や、リーズの青年クラブで、ある権威が、西欧にだけ責任があるというイデオロギーを伝達すると、政治的心気症は完成する。
わが身を吹き飛ばす理由があるかどうかと、あるケースワーカーが先週ロンドンで若いモスレムの集団に質問した。「うん、もちろんあるさ。だって、イラクやアフガニスタンでわれわれの兄弟が殺されているんだから」と答えたと『フランクフルター・アルゲマイネ』紙は引用している。テロに対する戦争を、少なからぬイマムや誘惑者はイスラム教に対する戦争だと解釈しなおしている。「ブッシュやブレアやシャロンがしたことを見てみろ。奴らはイスラム教徒を瓦礫の中に埋めたんだ。奴らは『コーラン』に小便を引っ掛けた。やつらすることを止められないなんて言うなよ」と人気のあるインターネット・サイト「jihadunspun.net」は、読者に呼びかけている。メカニズムは簡単だ。信仰を同じくする兄弟たちに対する抑圧を自分の抑圧にする者は、自分の世俗的な怒りに宗教上の自由の戦いという輝きを与えているのだ。こうして、国境を越えたイスラム的同体感情が生まれる。それとともに、西欧が与えることのできない帰属意識が生まれる。オランダに住む若いイスラム教徒の世界像と敵のイメージを研究したハーバード大学の女性研究者ジェシカ・スターンは、次のように述べている。「今日、腹を立て反抗的であるということは、腹を立て、反抗的でしかも暴力的であるということを意味する。」
[訳者の感想]『ツァイト』紙にしばしば寄稿しているヨッヘン・ビットナー氏の論説です。社会的な差別が宗教的信念と結びついている点にロンドン・テロの動機を見出している点では目新しい論点はないようです。なぜ多くの若いパキスタン人がイギリス社会で落ちこぼれてしまうのかという理由がよく分かりません。パキスタン人がイスラム原理主義に同感しやすい理由が何かも知りたいと思います。
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「ザルカウイの運命についてのさまざまな憶測」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事。

2005年11月21日 | テロリズム
厳格な安全措置の下で、アメリカ軍部隊は昨日の日曜日にイラクの都市モスルで一軒の家を包囲した。その家には、前日、8人のアルカイダのメンバーと目される人物が集まった。ワシントンのテロ防止の専門家は、殺された者達の身元は知られていないと述べた。
彼らの中にヨルダン人テロリストのザルカウイはいたのかという質問に対して、この専門家は、彼が殺されたかどうか確認する努力をしていると答えた。イラク当局によると、この家には、イラクにおけるアルカイダの指導的なメンバーがいたと推測される。
ある警察のスポークスマンは、部隊は、日の出にイラク北部の都市モスルで一軒の農家を捜索しようとし、その際、銃撃戦となった。テロリストの内3人が爆発物に点火して、自殺し、5人は銃撃戦で死んだ。5人のイラク人警官も殺され、11人のアメリカ兵が負傷した。
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「アルカイダ、ロンドンテロを認める」と題する『シュピーゲル』紙の記事。

2005年09月20日 | テロリズム
テロ組織アルカイダのナンバーツーである、ザワヒリが組織の名前で、はっきりとロンドンテロ攻撃の責任を認めた。アラブ系のテレビ局「アル・ジャジーラ」が放映したビデオで彼は犯行を白状した。
カイロ発:「祝福されたロンドン征服は、アルカイダが傲慢な十字軍である英国に対して遂行する名誉を持つ征服戦争の一つである」とビデオの中でザワヒリは述べた。
彼は同時に、日曜日に行われたアフガニスタンでの議会選挙を批判した。「選挙は軍閥の監視の下で行われた」と彼は明らかにアフガンニスタン政府を当てこすった。アフガンニスタンでの選挙に対して言及していることから、このビデオテープがごく最近のものであると推測される。
これまでいくつかの集団がオサマ・ビン・ラディンの率いるアルカイダの名前で7月7日の地下鉄とバスに対するテロ攻撃を告白した。このテロ攻撃で、56人が死に、700人以上が負傷した。犯人は4人の英国生まれのイスラム教徒だと思われている。
アル・ジャジーラ放送局は、9月初めにテロリストの一人であるカーンの犯行を認めるビデオを放映した。この中でカーンは、アルカイダ組織に対する彼の賛嘆を言い表した。放送局の予告に反して、このテープでは、テロ組織自体の告白は、見られなかった。アルカイダと結びつきのある二つのグループが同様に犯行を認めた。警察は、テロ攻撃にはアルカイダ組織の影がちらつくと断言していた。
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ユダヤ人のテロリスト、リンチで殺される」『ヴェルト』紙の記事。

2005年08月05日 | テロリズム
イスラエル警察の述べたところでは、ユダヤ人の暗殺者がバスの中で5人のアラブ系イスラエル人を射殺したために、憤激した群衆によってリンチされた。
エルサレム発:イスラエル警察の発表によると、一人のユダヤ人の過激派が今週、木曜日バスの中で5人のアラブ人を射殺した。キッパを被り、イスラエル軍の軍服を着た髭を生やした暗殺者は、目撃者の証言によると、興奮した群衆によって、圧倒的にイスラレル国籍を持つアラブ人が住んでいるシュファラムでリンチの結果殺された。シャロン大統領は、この惨劇を「一人の血に飢えたテロリストの忌むべき行為」と断罪した。
イスラエルの政治家やメディアは、このアラブ系イスラエル人への攻撃を、8月17日に予定されているガザ地帯からのイスラエル軍の撤退を阻止しようとする試みであると考えている。保安省の大臣ギデオン・エズラは、「酷いテロ的な攻撃」について語った。イスラエル南部の都市オファキムでガザ地帯からの撤退に対して抗議デモを行っていたユダヤ人入植者達もこの行為を非難した。「殺人は殺人である。完全な拒否以外の反応はあり得ない」とデモの指導者であるベンジ・リーバーマンは言った。
イスラエルのテレビは、暗殺者を19才のエデン・ズベリであると確認した。彼はヨルダン川西岸の過激なユダヤ人居住地域の出身である。しかし、この地区の住民は、この言い分を退けて、ズベリは、タプア地区に住んだことはないと述べた。
イスラエルの保安省は、数ヶ月前から、ユダヤ人過激派の攻撃について警告た。彼らはあらゆる手段を使ってガザ地区のユダヤ人居住地域を明け渡すことを妨げようとしていた。「それは撤退とは切り離せない」と退職した元イスラエル軍大将ヨムトヴ・サミヤは述べた。アラブ系イスラエル人の国会議員モハメド・バラケはテレビの10チャンネルでテロの
犠牲者はすべてもっぱらアラブ人が居住しているイスラエル北部の町シュファラムの出身であると述べた。
過去において、既に、ユダヤ人過激派のアラブ系住民に対する攻撃がいくつかあった。最も酷い例は、1994年にヘブロンにあるアブラハムの墓の記念広場で、29人のアラブ系住民を射殺したバルーフ・ゴルドスタインである。
[訳者の感想]われわれはイスラエル国籍をもったアラブ人がいることを忘れがちですが、この事件で、ユダヤ系イスラエル人もまたアラブ系イスラエル人に対してテロリストになりうることが分かります。テロはイスラム教徒の専売特許ではなさそうです。統計によるとイスラエルでは、全人口の80%がユダヤ人、20%が少数派民族のようです。この大半がアラブ系のイスラエル人だろうと思われます。
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「イスラム狂信主義の背後に隠れている無信仰」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2005年08月02日 | テロリズム
ロンドンの地下鉄テロの一年前、イギリス人の監獄精神科医セオドア・ダルリンプルは、英国の監獄に入っている若いイスラム教徒が、他の少数派に所属する者を出し抜いていることに気づいた。それどころか、彼らはジャマイカ出身の若者をも追い抜き始めた。彼らの数だけでなく、彼らの犯罪の重さにおいても他の少数派を追い抜いた。もっと別の点もダルリンプル博士は気づいた。若いモスレム達は、彼らの宗教にいかなる関心を全く持たなかった。彼らが固執した唯一の問題は、女奴隷が家にいるが、白人の下層出身の愛人と楽しんでいるという彼らの結婚の伝統だった。だが、それ以外には何も彼らが固執するものがない。若いモスレムは、獄中ではお祈りをしない。彼らはハラルの掟に従ってされた肉を望まなかった。(イスラム教徒は、普通、ハラルの掟に従ってされた肉しか食べてはならないと定められている。訳注)彼らは『コーラン』を読みふけらない。彼らはイマムが彼らを訪問することを望まない。彼らは宗教的な所属を示すいかなるシンボルも身につけず、ただ前歯に金をかぶせる。それは彼らが犯罪的な下部組織のメンバーであることを示している。この目印を彼らはジャマイカ人と共有しているが、ジャマイカ人と彼らとの間には敵意しかない。
セオドア・ダルリンプルは言う。「イスラム教は、私の町のモスレムの若い男に対していかなる道徳的に改善する影響も、道徳的に妨げとなる影響も持っていなかった。彼らの驚くべき数がヘロインの常習者だった。それは、彼らと同年代のシーク教徒やヒンヅー教徒では知られていないも同然の習慣である。彼らはヘロインの取引をし、この商売に属するあらゆる形の犯罪をやってのける。」
この描写の中に、7月7日の爆弾テロについての意味を見るとしたら、それは行き過ぎだろうか。そうだとするなら、狂信主義の秘密、彼らの閉じられ、閂をかけられた部屋は、全くの無信仰であるだろう。コーランの暴力的レトリックによって非常に野蛮化されて、彼らの犠牲者達と一緒に自爆するしかなかったあの若いモスレム達は、彼らの大音響の爆発でもって、アラーに対する密かな疑いにけりをつけようと試みたのだろう。イスラムの狂信者達が、言葉巧みに乱暴に西欧の魂のなさ、精神的価値の欠如、デカダンス、唯物論、不品行を非難する場合、その背後には、ポルノ映画館で耳をつんざくロック音楽に合わせてバケツ一杯のコカコラを頭から被りたいという深い願望が隠れている。
女流作家カミラ・シャムシーは、ロンドンの地下鉄テロの実行犯は、全く普通のイギリス人であったことを指摘している。それは、疑いもなく正しい。しかし、それからは彼らがまた全く普通のモスレムであったという認識は出てこない。彼らを犯罪に導いたのは、イギリスの多数派社会の人種主義であったとしたら、直ちに問われるのは、なぜ、他の少数派に所属する者、例えば、ヒンヅー教徒やシーク教徒や中国人は、生きた爆弾にならないのかという問いである。このテロ攻撃が英国人がイラクに侵攻したことに対する罰だと言うなら、サダム・フセインに対する戦争に参加しなかったエジプト人は、なぜ、シャルム・エル・シェイクで罰せられなければならなかったのかと問われなければならない。
実際には、西欧の死に値する罪は、その「ジャーヒリア」である。もともとは、この言葉は、「無知」を意味し、アラブ人達がまだ偶像を崇拝していたモハメッド以前の時代を意味していた。イスラム原理主義の精神的基礎を築いたエジプト人サイード・アル・クトブは、しかし、「ジャーヒリア」を何か別のものであると理解した。われわれの時代に国家と信仰との分離において頂点に達しているコーランからの背反であると解した。それは彼にとっては、野蛮の最も悪い形式であった。若いロンドン子が自分の周りに「ジャーヒリア」しか見ず、それゆえ激しい憎悪を感じるようにし向けたものは何であろうか。答えは次の通りである。彼らはモスレムである。彼らを内部から浸食していたのは、この色とりどりの、開かれた、あらゆる点で彼らよりも絶望的なほど優れている社会に対して対置することのできるものをモハメッドの宗教は彼らに何も与えないだろうという予感である。
[訳者の感想]8月2日付けのハンネス・シュタインの記事です。テロリスト達を捉えていたのが一種のニヒリズムだったとするかなり大胆な推測が展開されています。かなりイスラム教徒に対する悪意がむき出しになっている文章だと思います。なぜ、ヨーロッパ育ちのイスラム教徒が、アラブ育ちの若者と同様に、テロに走るのか、もっと社会学的な解明が必要だろうと思います。
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