大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

会津藩士 旧姓上田元四郎

2009-07-09 | 會津
明治初期、静岡県西伊豆の近代教育に尽した旧会津藩士の足跡を探しに、
西伊豆の松崎町を訪ねた。松崎で教育に携わった会津藩士は西郷頼母、
林繁樹、山口昌隆、大嶋篤忠、墨田直水の五名。

明治五年(1972)三月、西伊豆一帯の子弟教育のため、近隣名主
依田佐二平、佐藤源吉、福本善太郎、奈倉惣三郎が協力して、郷学校、
旧江奈陣屋跡を利用して謹申学舎を開校して、当時、静岡学問所の
旧会津藩士林三郎の処に身を寄せていた保科頼母を招いた。

松崎町町制施行100周年記念して発刊された「松崎の人物史」に
大嶋篤忠の履歴が載っていた。(松崎小学校沿革誌)

生年月日 安政元年十月十一日
静岡県士族旧斗南藩旧姓上田元四郎
明治六年七月十三日 大沢学舎
明治十六年三月九日 江南黌

大沢村戸長の依田佐二平が自邸内に私塾大沢学舎を設立した明治三年五月に
旧会津藩士大嶋篤忠を招いたとある。

戊辰の戦いのとき、白虎隊より年下の少年たちで編成された西郷寧太郎を
組頭とする中軍護衛隊のなかに当時十四歳の上田元四郎の名があった。

上田元四郎こと大島篤忠が大沢学舎に招かれたのが、十七,八歳の時、
どうゆう伝手でこの西伊豆にきたのか興味は尽きない!
コメント
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