白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(319)朝丘雪路逝く

2018-05-20 16:20:27 | 人物
 朝丘雪路 逝く

「明日の幸福」の稽古で広間の壁に飾る額の絵で監修でもある八重子さんが「これは東郷青児の絵でなくっちゃ」とこだわった 若い舞台監督はキョトンとしていたが「二科会のドン」と言われた東郷青児の娘たまみが水谷良重 朝丘雪路とともに「七光り三人娘」として売り出され歌手デビューしたことなど知るよしもない 丁度「明日の幸福」の初演の頃の話だ

西城秀樹の死亡ニュースの陰で星由里子さんが大きな報道もなく亡くなったようにもっとひっそりと朝丘雪路が亡くなっていたというニュースが入って来た
晩年アルツハイマー病と闘っていると聞いてはいたが病院ではなく旦那の津川雅彦の看病の末ご自宅で亡くなったという

星さんとは梅コマ昭和49年 花登さんと引っ付いたと言われる「じゅんさいはん」は近くにいたがまだコマにも入っていなくて(この公演を機に花登の前妻由美あずさ派であった大村崑は間に入って花登と袂を分かつ)結婚第一作昭和51年「おそめはん」は担当せず 彼女がほぼレギュラーだった北島公演ではショー専門だったから芝居は縁がなかったので ひたすら花登さんの著作権継承者としてのお付き合いだけだった

平成11年19月 中座最後の公演は星さん主演で例の「じゅんさいはん」だった 
蝶々さんがゲストに出た回を一番後ろで立って見た 蝶々さんは「だれか中座をこうてえなあ」と叫んでいた

朝丘さんとは梅コマで一度だけ お付き合いしている

昭和52年5月の女優名作劇場「マダム貞奴」
杉本苑子 原作 田中喜三 脚本 戌井一郎 演出
共演 河原崎国太郎 勝呂誉 大出俊 嵐芳夫 紀比呂子
併演は構成演出 山本紫朗「風流花拍子」
のち扇雀が得意とした「深川マンボ」を初めて見た

このあとこの梅田コマ女優名作劇場は岡田茉莉子 司葉子 有馬稲子らに引き継がれる

いいところのお嬢様ってこんな感じかなと思わせるおっとりとした方だった
舞台監督に河村弁三郎がいて 何かあると彼に言って通訳してもらった
河村さん(べんちゃん)はその後現場を離れて津川さんのグランパパのスタッフとなった
宮永雄平と共に我々新人のあこがれの舞台監督だった

平成3年 朝丘さんが山本譲二と「滝の白糸」をやると聞いて御園座を覗いた
津川さんが新派の名作を新しい演出で見せる「新波」公演の4回目(明治一代女 五辨の椿 お蔦主税)
津川さんの意気込みだけが印象に残った


朝丘雪路 

宝塚の芸名 誰にも汚されていない道をイメージ

親が寝静まった頃 内緒で見ていた「イレブンPM」に大橋巨泉と一緒に出ていて「ボイン」の流行語を拡げる
 
深水流という日本舞踊の流派を創設 自ら家元(深水美智雪)を名乗る

「七光り三人娘」は服部良一門下の三人が それぞれ伊東深水(画家)14代守田勘彌 初代水谷八重子、東郷青児(洋画家)の愛娘であったことを逆手に取り水谷が自虐的に命名、
東郷たまみが父親の画業を継いで歌手を辞めたが 良重は母親八重子の名跡を継いで新派を背負っている 

歌手としてのヒット曲は「雨がやんだら」「ふり向いてもくれない」


2018年5月20日 4月27日に死去していたことを報道される 82歳没



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