白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(114)沖縄(うちなあ)芝居の名作「丘の一本松」(1)

2016-08-01 07:22:55 | 思い出
沖縄(うちなあ)芝居の名作 「丘の一本松」(1)



昭和9年ごろから沖縄では「国家精神の注入」として
「方言廃止」「標準語励行」運動が沖縄県学務部の主導で展開された 
方言による沖縄芝居、歌劇は罷りならぬという時代になった 
出来ない人は首から「方言札」をぶらさげられた 
ところが沖縄芝居の大宜味小太郎さんの書いたもの(「小太郎の語やびら うちなあ芝居」青い海出版社)によると
彼が二度目に大阪に出て来て沖縄県人会の勧めで沖縄芝居をやろうと「沖縄演劇舞踊団」を結成した際、
まだ大阪では方言が認められていたことに驚いた 
ところがしばらくして大阪全域の劇団関係者が大阪府庁の軍事部に呼ばれ
「今後演劇は標準語でやれ」とのお達しがあった 
すると関西喜劇のドン 曾我廼家五郎が憤然と立ち上がり
「われわれのんは関西弁やないと芝居にならん どないしてくれまんのや」
といい放って
たまたま隣にいた小太郎にも「あんたとこも沖縄の方言でないとやれないとちゃいまっか」と言ってくれ 
とうとう軍事部が折れて方言のママでいいということになった 
お蔭で沖縄では決して上演できない方言芝居を大ぴらに出来るようになった・・・とある


この大宜味小太郎の作といわれる「丘の一本松」という沖縄芝居の名作がある

多少 松竹新喜劇のことをかじったことのある方だったら良く似た題名の狂言があることにお気づきだろう 
そう「丘の一本杉」である

ところで僕が歌手の森千紗花さんのショウを演出したとき 
ゲストで出演してくれた沖縄の民謡歌手である西原薦一さんという方と知り合いになった 
ショウと一緒に上演した芝居「芸者染吉」
≪御堂筋拡張を巡り大阪市と結託したヤクザに一家皆殺しにされた娘が
大きくなって芸者になって親の仇を討つという話>
を絶賛していただいて 沖縄の芝居はこういう復讐劇(敵討もの)が多いんです これは受けますよ 
私沖縄芝居のゲストで出て沖縄芝居の皆さんとは良く知っています 
今度沖縄にいらっしゃるときはご紹介しますとのことだった


しばらくして沖縄に行くことがあり連絡したら
58号線沿いにあった県立郷土劇場に連れていってくれ
(その後国立劇場が出来て吸収され今はない) 
そこの管理をしていた(根城にしていた?)劇団与座の与座兄弟を紹介してくれた 
僕が新喜劇の演出もしていることを西原さんから聞いた二人はおもむろに
「我々の先輩たちが大阪から おそらく多くの脚本を勝手に持って帰ってきた 
その中には五郎劇や家庭劇の作品も多かった 許してください」と言われ面食らったが 
現地の沖縄テレビの人気番組「郷土劇場」などで中継されていたのを見ていた僕は
「例えば丘の一本松なんかはそうですね」といったら「やっぱりご存じなんだ」という 
あれは今までの沖縄の喜劇はお笑いだけの芝居が多かったので
あの泣き笑いが受け入れられたんだろうとも言った 
ともかく沖縄では名作中の名作であると断言された
 
「丘の一本杉」は本土では評価は今一つ
(松竹新喜劇では2013年巡業で40年ぶりに天外・扇治郎で公演された)だが
 
遠く沖縄の「丘の一本松」は いまだに名作として愛され続けていたのだ

                                (この項続く)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿