白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(357) 梅沢武生聞書き(4)「男の花道」

2019-08-07 13:00:37 | 梅沢劇団
梅沢武生聞書き 「男の花道」

映画「男の花道」は昭和16年 長谷川一夫、古川ロッパ主演で大ヒット
監督はマキノ雅弘
次年のお正月映画だった 脚本の小国英雄は講談の「名優と名医」から盗んだ
その人気ぶりは翌年6月 大江美智子の鈴鳳劇ですぐ舞台化南座で公演されたことで判る
東京松竹座で一か月60回の続演の記録を打ち立てた
ちなみに瀬川春郎作並びに演出となっている
以降南座では瀬川如皐 名義になっている(大江美智子座長公演に限る)
次に書く梅沢はそれ以外の劇団で初めて南座で「男の花道」を公演したのである
戦後は 昭和31年 中村扇雀 伴淳三郎で再映画化
小国英雄 作 関沢新一 脚色とクレジットされている
扇雀は昭和44年梅コマ コマ歌舞伎で「男の花道」を上演(共演は島田正吾)
この時は小国英雄 原案 巌谷慎一 脚本演出 となっている

コロッケ 梅沢冨美男公演の楽屋にお邪魔して出し物が「男の花道」だったのでてっきりラストの殿様役で出てるだろうと思っていたら芝居は出てないという 僕が来ると聞いて早い目に楽屋入りをしてくれていて僕を待っていてくれたらしい ありがたいことである
モニターの舞台中継を見ながら武生座長は南座公演のことを思い出していた
僕が梅沢劇団に初めて会ったのは昭和59年、その二年後のことである

記録によると 昭和61年7月4日~15日 京都南座
昼の部 1男の花道 2母を訪ねて 3トミー魅惑のすべて 4今模様狸御殿
夜の部 1津田騒動二人娘 2ある夜の忠治 3,4 昼と同じ
これは前年12月梅田コマでやった内容と全く一緒だった
昼の部「男の花道」が著作権侵害(梅沢武生脚本)だと当人(小国英雄と思われる)がチョット筋ものを連れてやってきたが(おそらく南座のことだ 話はつけてあって)客席で大笑いして帰しなに中村歌右衛門は加賀屋歌右衛門にするようにと言ったという
この話を後で調べると歌右衛門は四代目から成駒屋を名乗り それまでは加賀屋だった 

突然京唄子の娘さん(せっちゃん)前回の新歌舞伎座に挨拶にやってきて「母は一度ほ梅沢劇団に出たい」と言っていたという話をした 
京唄子は中座、新歌舞伎座、御園座までやってきて 座長がサービスで「今日は唄子師匠が観に来られています」と紹介すると大きな拍手をするというのが定番だった 武生座長はいつも一度出て下さい 冨美男と躍らせますからというと「冨美男さんより武生座長と踊りたい」と言っていたらしい

武生さんには唄子さんにこの「男の花道」に出て貰いたいという夢があった
梅沢バージョンでは加賀屋豚衛門(梅沢冨美男)という売れない女形と本物の歌右衛門とを土生玄碩(コロッケ)が間違ったことから悲劇(喜劇)が始まるのであるが京唄子バージョンでは冨美男は豚衛門一役で通し 玄碩共々いざ切腹となった時に歌右衛門が出て
弟子の豚衛門の代わりに踊るという
「誇りはいずれ捨てるもの その捨て場所を選んだだけでござります」
しからばとスックと立って流れる山本リンダの曲で「ウララ ウララ ウラウララ~」
ずっこける一同 幕
この話を武生さんは何度したであろう 

想えば大江美智子らの女剣劇芝居に憧れた少女時代 
この「男の花道」の南座初演の時は17歳
おそらく小遣いを工面して見ているに違いない
3年後終戦の年に唄子は女剣劇宮城千賀子の劇団に入る

さて新歌舞伎座の公演は新歌舞伎座開場60周年記念とやらで人気歌手の組み合わせ公演が目白押しだ 
今回もコロッケ 冨美男の異色の組み合わせの公演であるが 組み合わせの妙なんてものはサラサラなく 芝居以外では共演もなくそれを楽しみにしてきたお客を裏切ることになる
幸い人気者二人で客の入りは好調だというが 疑問の残る公演ではある

                (2019年 8月5日 新歌舞伎座 観劇)



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