白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(150)「学生時代」の替え歌

2016-10-14 07:17:33 | うた物語
「学生時代」

蔦の絡まるチャペルで 祈りを捧げた日・・・・
 
昭和39年平岡精一が作詞作曲 青山学院高等部を出たペギー葉山が歌ってヒットした「学生時代」は我々の時代(昭和41年~)になり替え歌となって甦った 
勉学、読書 クラブ活動、恋愛 夢多かりしさわやかな「学生時代」のイメージが180度転換したからである
 
まずはブント(社学同)系のセクトの定番で

(1) ビラの舞い散るキャンパスで ストライキをアジった日
デモ多かりしあの頃の 思い出をたどれば
懐かしい同志の顔が(憎らしいポリの顔が)一人ひとり浮かぶ
重い丸太抱えて(重い赤旗抱えて)通ったデモコース
秋の日の三里塚 汗と流血の匂い
石ころ飛ぶ羽田 学連時代(学生時代)

(2)インターを歌いながら 革命を夢見た(インターナショナルの歌)
何の授業にも出ずに 単位も取らずに
胸の中に秘めていた 暴動への憧れは
いつもはかなく敗れて 一人帰る下宿
本棚に目をやれば あの頃読んだマルクス(革マルは黒寛)
素晴らしいあの頃 学連時代(学生時代)

(3)サーチライトに輝く 装甲車を乗り越え
共にスクラムを組んで 闘った学友
そのやつれた横顔 兄のように慕い
いつまでも日和らずにと 誓った女子学生
清水谷 明治公園 懐かしいデモは帰らず(関西では円山公園 御堂筋)
素晴らしいあの頃 学連時代(学生時代)

この歌は日大闘争ではこうなる

立て看の連なる並木で アジびらを配った日
デモ多かりし あの頃の 思い出をたどれば
懐かしいミン(日共系民青が彼らの敵だった)の顔が ひとつひとつ浮かぶ
重い旗竿を担いで デモったあの頃
下高井戸 御茶ノ水 神田三崎町
懐かしいあの頃 日大闘争

そして元歌はこうだ

1 蔦の絡まるチャペルで 祈りを捧げた日
夢多かりし あの頃の 思い出をたどれば
懐かしき友の顔が 一人ひとり浮かぶ
重いカバンを抱えて 通ったあの道
秋の日の 図書館の ノートとインクの匂い
枯葉の散る窓辺 学生時代

2 讃美歌を歌いながら 清い死を夢見た
何の装いもせずに 口数も少なく
胸の中に秘めていた 恋への憧れは
いつも儚く敗れて 一人書いた日記
本棚に目をやれば あの頃読んだ小説
過ぎし日よ 私の学生時代

3 蝋燭の灯に輝く 十字架を見つめて
白い指を噛みながら 俯いていた友
その美しい横顔 姉のように慕い
いつまでも変わらずにと 誓った幸せ
テニスコート キャンプファイヤー 懐かしい日々は帰らず
素晴らしいあの頃 学生時代
素晴らしいあの頃 学生時代

(3番はさり気なくその年代にありがちな S(エス)の世界を描いている)

平岡清二もペギー葉山もこの曲がかように変貌するとは思ってもいなかったであろう
そう 学生時代そのものが変貌してしまったのである

実際の学生時代は元歌のようにきれいな思い出の中にあるものではなく
愚かな劣等感や不安や後悔で一杯なものだ
その意味では替え歌の方が僕にとってぴったりな「学生時代」ではある

僕が通っていた関学もプロセスタント系のキリスト教の綺麗な学校であった
教会もチャペルもあった 讃美歌も歌った 
この教会の牧師の息子が当時 文学部の委員長で全学ストを指揮した
父親はすぐに教会を辞め 近所でパン屋を始めた

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