白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(119)パクリ歌「宗右衛門町ブルース」

2016-08-08 07:25:25 | うた物語
ぴんからトリオの「女の道」の大ヒット(公称300万枚)を受けて
二匹目のドジョウを捕まえようと東京では 殿様キングスが「なみだの操」を出し 
大阪では吉本専属の音楽ショウの平和勝次とダークホースが「宗右衛門町ブルース」を相次いで出した

結果はドジョウがいたらしく「なみだの操」
(タイトルは最初は「おんなの操」だったがあまりにも二番煎じっぽかったので「なみだの操」になった)
が累計250万枚 「宗右衛門町ブルース」は累計200万枚を超えた 
ちょっと流行ったと思われる千里万里の「大阪ラプソディー」が僅か40万枚だから 
そのドジョウは二匹目も三匹目も大きかったといえる

「宗右衛門町ブルース」の平和勝次は
宮川左近ショウのアコーディオンを弾いていた高島和夫の息子で
弟は篠山タンバという漫才師という芸能一家であった 
富士月子の弟子として浪曲師としてデヴュー 後音楽ショウに転向した

宗右衛門町ブルース


きっと来てねと 泣いていた
可愛いあの娘は ウブなのさ
なぜに泣かすか 宗右衛門町よ
さよなら さよなら また来る日まで
涙をふいて さようなら

銀杏並木に 春が来る
君にも来るよ しあわせが
なぜかさみしい 宗右衛門町よ
さよあら さよなら もう一度だけ
明るい笑顔を 見せとくれ

この歌を聞いたとき「あれっ」と思った
これは北原謙二の昔の曲と同じ曲だ いわばパクリだ 真相はこうだ 
最初は「女の道」と同様自主制作版300枚が認められ 東京で改めて吹き込み(元歌と同じ日本クラウンで助かった) 
この時パクリが発覚したが北原謙二にも作曲者にも許可をとってなんとか販売にこぎ着けた(平和勝次作詞 山路進一作曲)
しかし これが原因で大ヒットにもかかわらず 平和勝次(28)とダークホースは紅白には出られなかったと何かで読んだ
そして彼らは二弾目の「女の舟歌」を出して解散する
 
「なみだの操」の殿様キングスは音楽ショウも芸達者の宮路おさむのお蔭でおもしろかったが
吉本専属だったこのグループの高座は一度も見たことも聞いたこともない
おそらくぴんからトリオと同じく面白くなかったと思われる

元曲は「さよなら さよなら さようなら」(1962)という曲で作詞は星野哲郎であった(作曲は山路進一)
この曲の聞かせどころのサビ「さよなら さよなら さようなら」のフレーズのメロをうまくパクっている

元歌「さよなら さよなら さようなら」

赤いパラソル くるりと回し
あの娘しょんぼり こちらを向いた
町のはずれの つんころ小橋
さよなら さよなら さようなら
雀チュンと啼いて 日が暮れる

きっとまたねと 帽子をふれば
あの娘泣き泣き パラソルふった
忘れられない 初恋小道
さよなら さよなら さようなら
汽笛ポーと鳴れば 思い出す


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