白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(120)大沢清治と清川虹子(1)

2016-08-09 10:35:43 | 人物

      大沢清治と清川虹子(1)
白鷺だより(108)引き抜き(5)の伴淳の項でちょっとふれたが
清川虹子と東宝専務弟の大沢清治との恋の顛末を詳しく書こうと思う

昭和12年ロッパ一座が宝塚大劇場で「歌う金色夜叉」を公演していた時 
ゲストで出ていた清川虹子たち女優陣は夙川のホテルに泊まっていた
「歌う金色夜叉」は菊田一夫作 服部良一作曲のオペラで 
主役はオペラ歌手の徳山環(男性・当時の流行歌手でもあった 
「紀元は二千六百年」、「太平洋行進曲」「大政翼賛の歌」「愛国行進曲などの軍歌も数多く吹き込んでいた 
5年後昭和17年敗血症のため38歳で死亡)
ロッパ、お宮役の三益愛子、派手目の金貸し赤樫満枝役の清川虹子ら全員が歌う舞台だった

その公演中にホテルの支配人が
「東宝の専務の弟さんがお友達とお見えで女優さんたちにちょっと顔を出してほしいとおっしゃっている」
というのでみんなブツブツいいながらも顔だけ出そうとノーメークで出かけた 
それが清川と大沢清治との初めての出会いだった

大沢商会というのは京都で柱時計の製造を営む傍ら海外ブランドの輸入業にも手を染め
当時京都の太秦にJOスタジオというスタジオを持っていて 
そのJOスタジオと清川らがいたPCL映画と東京宝塚劇場が合併して「東宝」が誕生した 
その最初の専務が彼の兄の大沢義夫である
(のち社長,ついでに書くとこの年林長二郎が暴漢に襲われたのは彼の別邸に挨拶に入った時であった) 
その夜はみんなでトランプかなんかして「これが御曹司」かと思う位であんまり好印象ではなかった 
ところが翌日梅田の阪急百貨店に買い物に行った帰り 電車の中で再会
「金色夜叉」での演技を誉めてもらい また見にいらっしゃってと友達付き合いが始まった
関西での休日には釣りやダンスに誘われ その後も上京の度に面白い店に行っては食事をしたりした 

その頃いよいよ大陸の方がキナ臭くなって ふと彼がもらした一言
「僕にも赤紙がくるんだろうな」・・・・
とたんに淋しくなり彼の定宿山王ホテルについていき彼の部屋に行った 
そしたらボーイがきて「お泊りですか?」と聞かれて「違います、違います」
と言い訳をしてそのまま帰ってしまうほど純情な二人だった 

それからしばらくして人目忍んで沼津に行き初めて二人は結ばれる 
清川はこれが最初で最後だと言い聞かせたが一旦火が付いた男の気持ちは収まりようがない

清川は二回結婚していること 男の子が二人いること 家柄が釣り合わないことを
ありのまま手紙に書いて彼を諦めさせようとするがダメだった 

そしてとうとう一緒にくらすようになった

 もちろん大沢家も二人が一緒になることは猛反対 清治には良縁の縁談が持ち上がっていたのです 
お相手は時の首相東条秀樹のご令嬢との噂でした 
それでも一歩も譲らなかった清治はとうとう大沢家の逆鱗にふれてしまい親族会議で禁治産者にされ 
大沢商会の役員の地位も親兄弟の縁もすべて失ってしまう 
二人の愛を貫くための犠牲でした 

それに応えるべく彼の真心に添おうと思っても彼女にも東宝側から様々な圧力がかかり
結局東宝に入るときの保証人ロッパにまで敵に回してしまいます 
何度か二人で死を考えたあと「死ぬ気で頑張ってみんなを見返してやろうよ」
といって内縁のまま結婚生活にはいった 

昭和16年 清治が29歳清川は27歳、主婦業に専念するため清子は全ての仕事から身を引いたのでした 
清川が寂しい思いをしないように彼女の友達、例えば山田五十鈴、滝沢脩 花柳章太郎 花岡蘭子らを
家に呼んでは楽しい団欒の時を与えてくれた

二人が暮らすようになって一年目のこと 
清治の父が受勲のため上京する列車の中で突然亡くなり 清治は京都に呼び戻されます
そして葬儀のあと家族にこう迫られます
「これをしおに清川とケリつけて帰ってこい 亡くなったお父さんもそれを願っているはずだ」
クリスチャンだった清治は
「天国に召された父さんはいまはな(清川の本名は関口はな)がどんな女かきっとご覧になっているはずだ そして僕たち二人を許してくれてるはずだよ」
と言い放った
                        以下次回



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