白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(137)新今宮駅前

2016-09-10 08:35:35 | 思い出
         
 新今宮駅前にあった市交通局のバス車庫跡地の再開発案にミュージカル劇場を作って 
中にミュージカル俳優を育てる養成所を作るという計画があった 
その頃僕は近くの天下茶屋というところに住んでいて 梅コマで何本かのミュージカル経験もあったので 
もしその劇場が出来たらスタッフに応募しようと考えていた 自転車で5分もかからない通勤場所は魅力だった 
ところが蓋をあけたらその場所は半分はスパワールド あと半分はフェスティバルゲートなる魔訶不思議な遊園地が出来上がった 
1997年のことだった

海底に沈んだ古代都市をテーマに奇抜な外観を持ち その建物の間をジェットコースターが走るという都市型遊園地が竣工費約500億円にも及ぶ大阪市の土地信託事業として始められた 開業当時は押すな押すなの人出で好況だった(子供にせがまれていたが結局行けず終いだった)がやがて同じ大阪にUFJが開業、それに加えて第三セクターによる放漫経営でアトラクションの陳腐化を迎え徐々に客足が落ち 2004年経営破たん 大阪市による200億円の損失補填も行われた 破たん後はジェットコースターや回転木馬以外のアトラクションは営業停止に追い込まれ 一部テナントも細々と営業していたが(空き店を利用して小劇団が公演をやっていた、また大阪プロレスも本拠地にしていたこともある)ジェットコースターは2007年エキスポランドの事故を受けて休止やがて休業に追い込まれる (このエキスポランド事故は結局エキスポランド休止にまで追い込み 我々が毎年やっていた「お化け屋敷」のショウは永久に中止になった)
2008年館内道路が閉鎖され(ルンペン対策)2011年とうとう解体工事が始まった
現在は跡形もない この跡地はパチンコ屋のマルハンが2009年に入札で買い取り(14億と言われた)韓流のテーマパークを作る予定だったが日韓関係が悪化して計画が見直され現在はトンキホーテとパチンコ屋が共存している
 
520億はどぶに捨てたようなもので 最初の計画のミュージカル劇場を作っておけば100億も出せば立派な劇場くらいは出来たと思うし 大阪発のミュージカルの一本くらいは残せたはずだし またミュージカルスターの何人かも排出できたはずだ
そしてもし劇場が出来ていれば僕の演劇人生もかわっていただろう

一方動物園側に出来たスパワールドは未だに健在である

この土地のもう少し新今宮駅寄りにもっと広大な空き地がある
一時は浪速警察の工事中は仮庁舎として使っていたが 本来は近くにあるあいりん地区の有事の時に使用される場所である 
西成暴動の時は装甲車が並び ここから機動隊が出陣した もう時効だろうから言うが僕もその暴動に参加していた 
西成警察前の道路一杯の群衆めがけて放水していた 何日か後に通るとそこにあった木々が枯れていた 
おそらく水の中になんらかの薬品が入っていたのに違いないと思った

いずれこの土地も払い下げられ無駄に使われるのだろう 
同じ無駄でも有効に使われる無駄は形は残らないが心の中に残るものである(マンションが建設中ということだ)