まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

フレンチとワインと浅田尚美の夕べ

2016-05-11 12:18:04 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
今週末、こんなイベントが福島であるようです。



日本ソムリエ協会南東北支部がプロデュースする 「第3回フレンチとワインの夕べ」 です。

福島ソムリエ協会会長である 「マリアージュ」伊藤さんのお姿も確認できますね。

なんとこのイベントにジャズシンガーの浅田尚美さんが参加されるのです。

私の同級生のお姉さんです。

震災の年に開催された同期会のときにお姉様がジャズシンガーであるということを聞き、

すぐにアルバムを購入し、その後は Facebook を通じてご活躍の様子をフォローしていましたが、

残念ながらまだ直接その歌声に接したことはありません。

いつか福島に来てくれないかなあと思っていたところ、

同級生から今度福島に行くらしいよと連絡をいただきました。

ネットでこのイベントの情報を探しても出てこないので、

ひょっとするともうソールドアウトなのかもしれません。

せっかくの機会ですからもしも可能なら私もぜひ行きたかったのですが、

ちょうどこの週末に限って私は上京中なんですね。

完全なる行き違いです。

もう少しスタート時間が遅ければひょっとすると戻ってこられたかもしれませんけど…。

ああ残念。

伊藤さん、ぼくの代わりに浅田さんの歌を聴いて今度感想を聞かせてください。
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Q.基本的人権を保障していない国は?

2016-05-10 14:19:28 | グローバル・エシックス
今年度の 「倫理学概説」 の授業もやっと軌道に乗り、

GW前にまずは権利と人権はどう違うのかというところから話を始めました。

そういうことをちゃんと中学校や高校で教わっている人は少ないようで、

社会科や公民科の教員を目指している人も相当受講しているはずですが、

権利と人権の違いをきちんと答えられた人は、受講者80名中7名だけでした。

その回のワークシートでは、権利や人権についていろいろな質問をいただきましたので、

答えられるものについてはこのブログのなかで答えていきます。

この講義は隔年開講なので、以前にお答えした回答がブログの奥深くに隠れてしまっています。

まずはそれをご紹介しておきましょう。

  「権利と人権に関するQ&A」

  「Q.権利の資格を得る=義務を果たすということなのですか?」

この2つは大事なのでぜひ受講者の皆さんは読んでおいてください。

さて、今日取り上げるのはこんな質問です。

「Q.基本的人権を保障していない国を具体的に教えてください。」

この質問をくれた方はこんなふうに続けて質問してくれていました。

「Q.また、その国では基本的人権がない代わりに、
   日本には見られない制度や権利は存在するのかも知りたい。」

こういう質問にはどうお答えしましょうか?

これも以前に書いたブログ記事ですが、まずはこれを読んでみてください。

  「生きながら火に焼かれて」

基本的には本の紹介なんですが、だいたいどんなことが書いてあるか引用もしていますので、

この記事を読んだだけでもある程度のことがわかってもらえるでしょう。

基本的人権がない代わりにどんな制度が存在するかというご質問でしたが、

この本 (記事) では 「名誉の殺人」 という制度・風習のことが描かれています。

ウィキペディアの説明によれば、名誉の殺人とは以下のようなものです。

「女性の婚前・婚外交渉 (強姦の被害による処女の喪失も含む) を
 女性本人のみならず 『家族全員の名誉を汚す』 ものと見なし、
 この行為を行った女性の父親や男兄弟が
 家族の名誉を守るために女性を殺害する風習のことである。」

これは昔々の風習ではなく、現在も脈々と続く風習で、

2010年の1年間で約5,000名の女性がこれによって殺されているそうです。

この場合、殺されるのは女性だけであって、

この女性と婚前・婚外交渉 (場合によっては強姦) した男性はまったくお咎めなしです。

このように、女性の基本的人権が認められず、

男性にのみ特権が与えられているような社会、国家が現に今も存在しているわけです。

本を読むと、こういう国では女性は命の保障がされていないのと同様、

教育も受けることができないので、こうした風習をおかしいと思うこともできないようです。

あまりにも衝撃的な話なので、私もこの問題を 『高校倫理からの哲学3 正義とは』 に書いた、

「すべての人にあてはまる倫理はあるのか ―倫理とその普遍性―」 のなかで紹介しておきました。

興味のある方はぜひ読んでみてください。

そういえば質問ではありませんでしたが、こんな意見をワークシートに書いてくれた人もいました。

「私は男女平等の考え方には反対です。
 男と女はまったくちがう生き物なのになぜ同じ義務を負い、
 同じ権利を有する必要があるのか疑問を感じています。」

こう書いてくれたのは女性でした。

この人が男女をどういうふうに別扱いすべきだと考えているのか、これだけではよくわかりませんが、

「名誉の殺人」 のような別扱いも許容するのか、

いやさすがにそれは許容できないとするならば、

どういう思考枠組みを用いて許容できる別扱いと、許容できない別扱いを分けたらいいのか、

ぜひ考えていただきたいと思います。

私だったら、まずは基本的人権を男性にも女性にも平等に認めた上で、

さらなる追加的な別扱い (女性のリプロダクティブ・ヘルス/ライツの保護等) を施すべき、

と考えるのですが、この人はそもそも男女平等なんてナンセンスと考えているのでしょうか?

この問題についても先ほどの論文でわかりやすく書いたつもりですので、

ぜひ授業時間外学習の一環として読んでみてください。
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菜箸の謎

2016-05-07 13:52:16 | 人間文化論
長年使ってきた菜箸がだいぶ傷んできたので新しいのを購入しました。

菜箸買ったのは久しぶりです。

たまたまこういうのしか売っていなかったので、

前々から感じていた菜箸の謎を思い出してしまいました。



由緒正しい菜箸ですね。

最近こういうのじゃない菜箸もあるんですが、

由緒正しい菜箸はこのようにひもで結ばれています。



昔から不思議だったんですが、このひもジャマじゃないですか?

箸の自由な動きを阻害していませんか?

なんで2本をひもで結ぶ必要があるんですか?

これって誰もが一度は疑問に思う謎らしくって、

ググってみたら 「YAHOO!知恵袋」 とかで多くの人が質問していました。

その答えにどこまで信憑性があるのかよくわかりませんが、

ネット上で確認できた答えとしては2つの理由があるようです。

ひとつは1本1本バラバラになって片方なくしてしまわないように。

もうひとつはどこかに引っかけてぶら下げておくためだそうです。

ふーん。

でも別に1本だけなくなったりしませんよね。

もしもそうなら菜箸じゃない普通のお箸もひもで結ばなきゃいけなくなるし。

じゃあどこかに引っかけるためか。

でもうちの台所にそんな場所ないからなあ。

いちいちどこかに引っかけなくても特に菜箸の置き場所困ったりしないし。

引っかけて使うんでないとするとあのひもはやっぱりいらないな。

ひもは切り捨てて使うことにしたいと思います。

さて、ついでに古くなった菜箸を見て思い出したもうひとつの謎。

菜箸って使い続けているうちにこうなっちゃいますよね。



長さが違うんです。

先だけ見てみましょう。



この菜箸は箸先に段がついているタイプだったのでどれだけ短くなったのかが歴然です。

左側のやつは右側のと比べて2段分短くなってしまっています。

一緒に使っていたはずなのになんで片方だけこんなに短くなってしまったのでしょうか?

ところが、この菜箸は3組セットで売っていたんですが、

別の組を見てみるとこうでした。



おお、なんだ元はといえば8段もあったのか。

それと比べてみるとこうです。



一番左のやつだけでなくその右のやつも4段分くらい短くなっていたんですね。

それにしても菜箸ってなんでこんなに短くなっていくんでしょうか?

別にカッターナイフの刃先みたいに1段ずつカットしていったわけではありません。

フツーに料理していただけなんですがいつの間にか減ってしまっているんです。

何かの機会に折れたという記憶もありません。

短くなった分はどこに行ってしまったんでしょうか?

料理のなかに入っちゃって食べてしまったってことですか?

菜箸はなぜ短くなるのか?

短くなった分はどこに行ってしまったのか?

菜箸の謎は深まるばかりです。
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第8回「本deてつがくカフェ」のチラシ&ポスター

2016-05-06 16:34:26 | 哲学・倫理学ファック
いよいよ明日は第8回 「本 de てつがくカフェ」 です。

昨年の第7回 「本 de てつがくカフェ」 のポスターもぢゅんちゃんが作ってくれたんですが、

特に今回はぢゅんちゃんの本が課題図書ですので、

当然ぢゅんちゃんがポスターを作ってくれるだろうなと期待していたところ、

こちらから催促するまでもなくぢゅんちゃんが作ってファイルを送ってきてくれました。

今回はポスターだけでなくチラシも作ってくれていました。

西沢書店や県立図書館に置いてもらうためです。

ところが、それらのファイルを見てみたところ、

「なぜだよ、ぢゅんちゃん?」 と思わされるツッコミどころが2つありました。

ひとつは課題図書の表紙のイメージが使われていなかったことです。

前回の開沼さんの本でやったときのポスターでは、

ちゃんと 『はじめての福島学』 の画像がフィーチャーされていたのに、

今回は自分の本でやるというのになぜそこを打ち出さないっ

その代わりに 「イヴのもり」 でのてつカフェ風景の写真が入れられているだけでした。

これはイカンと思い、私のほうで本のイメージ画像も追加して作成したチラシが次のものです。

A4サイズ両面印刷となっており、こちらが表。



こちらが裏。



本来、本のイメージは表面に入れたいところでしたが、

全体のつくりとして、表が哲学カフェの説明、裏が本deてつがくカフェの説明となっているので、

本の写真は裏面に入れることにしました。

ぢゅんちゃんの作った原案は全部フォントが同一で、なんのメリハリもなかったので、

私のほうで本のタイトルや日時、場所などはちょっと大きく強調しておきました。

さて、もうひとつ驚いた点は衝撃的で、ポスターのほうなんですが、

A4サイズがA3サイズに拡大されているくらいで、中身はほぼチラシと同じだったんです。

サイズが大きくなったことによって、てつカフェ風景の写真が2枚に増えているんですが、

変更点はそれくらいで、あとはチラシと変わらないんです。

したがってポスターなのに両面刷りなんです

いやいや、それはないだろう。

これをどうやって貼ればいいんだ

というわけで、こちらは大々的に手を入れなければなりませんでした。

チラシの裏面を中心に、よけいな説明文は省略し、画像は本のイメージだけ使って作り直しました。

出来上がったものがこちらです。



ぢゅんちゃんとぼくの合作のポスターです。

うーん、まあぢゅんちゃんの当初案よりは100倍よくなってると思うけど、

それにしても 「うーん」 だなあ。

ま、明日 「イヴのもり」 で実物を見てみて率直な感想をお聞かせください。

やはりこういったことはそろそろ外注しないといけないかもなあ。
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Q.哲学では数式とか使わないんですか?

2016-05-04 14:42:57 | 哲学・倫理学ファック
これはいい質問ですね。

この問いには2段階でお答えしたいと思います。


A-1.哲学は実証的に答えを出すことのできない問題を扱う学問ですので、

    基本的には数式は用いず、言語のみによって思考していきます。


哲学は実証的に答えを出すことのできない問題を扱う、ということに関しては、

「NHK文化センター 「哲学って何だろう?」 第3回講座」 をご覧ください。

その記事のなかには書いてありませんが、

学問が実証化していく際に重要な役割を果たしたのが数学でした。

実験や観察によって得られたデータに対して数学を適用して、数式として表すことができ、

それが追試験によって検証されたものが科学的知識として承認されることになります。

そういう意味で数式というのは現代の学問 (=科学) にとっては重要な意味をもちます。

しかし、この世のすべてを何でもかんでも数式で表すことは今のところできません。

科学者のなかには、今のところはまだムリだけれど、

いずれすべてを数式で表せるようになるだろうと考えている人もいるようですが、

哲学者の多くはそもそも数式で表せないような問題がこの世にはあるのだと考えていると思います。

私もそう考えるひとりです。

ですので、哲学では数式は (基本的には) 使わないのです。


しかしながら、こういう哲学のあり方に疑問が唱えられたこともありました。

もっと哲学は他の諸科学と同様、厳密な学になるべきではないのか、

そのためには哲学の真理も数式で表せなくてはならないのではないか。

そう考えた人々は、哲学の仕事を厳格な思考法則を打ち立てることと考え、

言語の代わりに数学の演算規則を用いて論理学を再構築しようとしました。

(論理学と哲学の関係についてはこちらをご覧ください。)

かくして19世紀の後半から20世紀にかけて現代論理学は大きな飛躍を遂げ、

記号論理学 (数理論理学) と呼ばれる分野が整備されました。

そこでは曖昧な言語ではなく論理式と呼ばれる一種の数式を用いて思考が進められていきます。

したがって第2段階の答えは次のようになります。


A-2.哲学のなかにも論理式と呼ばれる一種の数式を用いる記号論理学という分野が存在します。


論理式というのは、次のような論理記号を用いて表記されます。

論理結合子 使い方  意味   
連言「∧」   P∧Q  PかつQ
選言「∨」   P∨Q  PまたはQ
否定「¬」    ¬P   Pでない
含意「→」   P→Q  PならばQ
同値「←→」  P←→Q  PはQと同値である

これらを使って、例えばこんな論理式を書くことができるわけです。

(((p → q) ∧ (r → s)) ∨ (¬q ∧ ¬s))

とまあこんな感じです。

本物の哲学科の 「論理学」 の授業だと、こういうのを使って延々と計算させられたりするのですが、

看護学校の 「論理学」 の授業ではこんな論理式の計算をさせられたことはないでしょうね。

かく言う私も本物の 「論理学」 は苦手で、特にこの記号論理学にはまったく付いていけませんでした。

だから、ここまでの説明も自分でよくわからずに書いているところがあって相当怪しいです。

興味ある方はけっしてここでの説明を真に受けずに、

自分で入門書などを読んで確かめてみることをオススメします。

というわけで、今日の質問に対するお答えは、

哲学にも数式を使う分野があるらしいよという程度でお茶を濁しておきたいと思います。
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Q.何に考えをまとめてるの?

2016-05-02 16:52:51 | お仕事のオキテ
このところ 「キャリア形成論」 の質問に答えてばかりで (その1その2その3)、

相馬の看護学校の質問が後回しになっていたのは、

スポーツ大会だったりゴールデンウィークに突入したりで半月ほど授業が飛んでいるからです。

そろそろゴールデンウィークもたけなわとなってきましたが、

看護学校の皆さんはまだこのブログ見てくれているでしょうか?

今日取り上げる質問はこれです。

「Q.何に考えをまとめてるの?」

この質問の 「何に」 というのが何を聞こうとしているのか判然としないのですが、

「考えを何に書き留めているのか?」 という意味だとするならば、

それに関してはすでに以前にお答えしたことがありますので、そちらをご覧ください。

  「Q.考えたことを書き留めるときの注意点は何ですか?」

要するに、いつでも書き留められるように手帳かケータイのメモ帳に書くようにしています、

というのがお答えで、さらにそれがどんな手帳であったり、どんなケータイかと言えば、

  「システム手帳買い替え」

  「iPhone4Sの問題点 (その1) (その2)

などをご覧ください。

しかしながら、そういう意味で 「何に」 と聞かれているのではないのかもしれません。

別の方からはこんな質問ももらっていました。

「Q.まとめ方のオススメは?」

こちらの意味だとすると答え方が全然違ってきてしまうのですが、

自分のブログをあちこち読み返してみても、この問いに直接お答えした記事が見当たりませんでした。

なんか前に書いたことがあったような気がするんだけどなあ?

「Q.どのような方法で (何を使って) 考えをまとめているのか。オススメの方法は?」

という意味の質問だとすると、以下のようにお答えしたいと思います。

A.考えをまとめるときはマインドマップを使っています。

マインドマップというのはこういうものです。



1枚の紙に放射状にキーワードを並べていくノート法のひとつです。

これはとても便利で、論文の構想を練るときもこれですし、

講演をするときの資料もこれですませてしまうことがあって、

上の写真は実際に講演のときに配付したものです。

学生たちには、読んだ本の内容をまとめるときにマインドマップ形式でまとめてもらっています。

自分のシステム手帳には白紙のレフィルを入れておいて、

電車のなかで何か考えるときにこの形式でキーワードを書き出したり、

人の講演を聞きにいったときなどにメモを取るときもマインドマップ形式でノートを取っています。

下の写真は前回の 「てつがくカフェ@ふくしま」 のときにメモったものです。



マインドマップを使うようになってから、アイディアをまとめたりするのが早くなったと思うので、

うちのゼミ生にもオススメしていますし、皆さんもぜひ試してみてください。
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