怒濤のイベント告知攻勢が続いていますが (3日前、2日前、昨日)、本日も続けます。
来週の土曜日に金山町で 「エチカ福島第6回」 が開催されることは、
「てつカフェ」 のブログのほうですでにお伝えしましたが、
残念ながら私はそちらには参加できません。
もうだいぶ以前から出張の予定を入れてしまっていたからです。
来週の土曜日は静岡に行ってきます。
3年も前の話になりますが、静岡大学の竹之内裕文さんが静岡で哲学カフェを始めたいということで、
創設記念講演会に呼んでくれたことがありました。
その後、「哲学カフェ@しぞ~か」 は順調に活動を続けられているようですが、
昨年よりさらに新しい試みとして 「死生学カフェ」 というものが別に始まりました。
竹之内さんはもともと仙台で 「タナトロジー (=死生学) 研究会」 を主宰しておられた方ですので、
その一報に接したときは 「さすがは竹之内さん!」 と拍手喝采したものです。
で、ぜひとも一度視察におうかがいしたいもんだと思っておりましたが、
2ヶ月に1回のペースの開催で、しかも 「てつがくカフェ@ふくしま」 の日程とかぶることが多く、
なかなかその機会がありませんでした。
ですが、このあいだの 「特別編6」 以来 「@ふくしま」 のほうは月初めの開催に変わっていますので、
今こそ 「死生学カフェ」 に参加するチャンスではありませんか。
しかも、2回先の日程も決まっていない 「@ふくしま」 とは異なり、
先のポスターに明記されているように、「死生学カフェ」 のほうは1年分の日程が決定しています。
スゴイなあ、エライなあ、竹之内さん!
というわけで5月21日 (土) にはゼッタイに静岡に行ってやるぞと、
早い段階から決心していたわけです。
次回は通算8回目にあたるようですが、テーマは以下です。
「死生学カフェ」 は Facebook ページしか持っていないようなので、
頑なに Facebook を拒んでいて見られない人のために引用しておきましょう。
次回の死生学カフェのご案内
日時 5月21日(土)15:00~18:00(受付14:30~)
テーマ 「『葉っぱのフレディ』を読んで」
死生学カフェ初めての試みとして、絵本の朗読をしてから対話に入ります。今回は『葉っぱのフレディ』を選びました。「生きること」「死ぬこと」について考えさせられる絵本です。有名な絵本なので、書店でも図書館でも目にすることが出来ます。未読の方はぜひこの機会にご一読をおすすめします。当日は冒頭で朗読をしますので、読んだことがない方でも、お気軽にご参加いただけます!
ということだそうです。
有名な絵本ですね。
死と生について考えるのに最適な一冊と言っていいでしょう。
この絵本を題材にどんな対話が繰り広げられるのか楽しんできたいと思います。
なお、「死生学カフェ」 の Facebook ページを見ていたら、
「死生学カフェで大切にしたいこと」 という文書も見つけましたので、それも引用しておきます。
日常の中で、死や生にかかわる話をできる場を作りたい、安心して語り、そして聴くことの出来る場を作りたい。
死生学カフェを立ち上げ、またこれまで行われた数回のカフェを振り返り、世話人間ではカフェについてどのようなことを皆様に提示していけばよいのか、繰り返し話し合ってきました。
そして、「死生学カフェで大切にしたいこと」という文章が出来上がりました。
「死生学カフェ」という名に興味をお持ちいただいた皆様に、是非ご一読頂ければと思います。そしてこれからも、皆さんと共にこの場を作り上げていくことができたら幸いです。
*会場へいらした方には、同じ内容の資料を配布させていただいています。
~死生学カフェで大切にしたいこと~
人生は不思議で悲哀に満ちていて、私たちはたえず「どのように生きるか?」という問いを投げかけられています。
死生学カフェは、生と死にかかわる多様な課題について、多様な人たちとの出会いを大切にしながら、探求していく場です。
それゆえ死生学カフェは、特定の人たちのものではなく、生と死に関心を寄せるすべての人のための場です。
自分と異なる体験や考えを排除するのでなく、むしろお互いの違いを豊かさとして楽しみましょう。
性別、社会的属性、価値観、思想を異にする参加者、このカフェでなければ出会えない人たちとの対等で開かれた対話に挑戦してみましょう。
1. 「死とともに生きる」という課題を共有しましょう。
わたしたちは、「死とともに生きることを学ぶ」(死生学)という姿勢を大切します。死をタブー視したり、遠ざけたりするのではなく、また逆に、いたずらに特権化するのでもなく、「死とともに生きる」智慧を真摯に学んでいきましょう。
2. 生と死は未知だからこそ一緒に探求しましょう。
参加者の中には、かけがえのない人との死別を経験された方、深刻な死の体験をされた方がおられるかもしれません。私たちはその貴重な経験に真摯に学びたいと考えます。ただ同時に、生と死には常に未知の部分が残されている、だからこそ探求するという謙虚さを大切にしたいと願っています。
3. 対等で開かれた対話を心がけましょう。
カフェには、社会的地位や権威から自由に、対等の立場で議論するという伝統があります。カフェは市民に開かれた討論の場を提供し、それを通して市民社会の成立に大きな役割を果たしてきました。このカフェの精神を継承し、相手に対して尊敬の念を抱きつつ、対等な立場で、開かれた言葉で対話を試みましょう。
4. 聴くことから始めましょう。
聴く人がだれもいなければ対話は始まりません。対話の第一歩として、相手の語りに真剣に耳を傾けることから始めましょう。といっても、すべての発言に納得したり、共感したり必要はありません。むしろ納得いかないところ、安易に共感できないところを糸口にして、相互理解を試みながら、注意深く(carefully)対話を創造していきましょう。
生と死は、すべての人間の共通課題です。真摯に、しかし焦らず、共にじっくり探究していきましょう。皆さんにとって豊かな出会いと自由な対話の場となるように、世話人はお手伝いします。一緒に死生学カフェを創り上げていきましょう。
世話人一同
「死生学カフェ@しぞ~か」 に学ばせていただきながら、
ぜひ福島でも死生学カフェを開催したいと思っています。
対話に参加して楽しみつつも、じっくりと先達の工夫や経験を盗んできたいと思います。
来週の土曜日に金山町で 「エチカ福島第6回」 が開催されることは、
「てつカフェ」 のブログのほうですでにお伝えしましたが、
残念ながら私はそちらには参加できません。
もうだいぶ以前から出張の予定を入れてしまっていたからです。
来週の土曜日は静岡に行ってきます。
3年も前の話になりますが、静岡大学の竹之内裕文さんが静岡で哲学カフェを始めたいということで、
創設記念講演会に呼んでくれたことがありました。
その後、「哲学カフェ@しぞ~か」 は順調に活動を続けられているようですが、
昨年よりさらに新しい試みとして 「死生学カフェ」 というものが別に始まりました。
竹之内さんはもともと仙台で 「タナトロジー (=死生学) 研究会」 を主宰しておられた方ですので、
その一報に接したときは 「さすがは竹之内さん!」 と拍手喝采したものです。
で、ぜひとも一度視察におうかがいしたいもんだと思っておりましたが、
2ヶ月に1回のペースの開催で、しかも 「てつがくカフェ@ふくしま」 の日程とかぶることが多く、
なかなかその機会がありませんでした。
ですが、このあいだの 「特別編6」 以来 「@ふくしま」 のほうは月初めの開催に変わっていますので、
今こそ 「死生学カフェ」 に参加するチャンスではありませんか。
しかも、2回先の日程も決まっていない 「@ふくしま」 とは異なり、
先のポスターに明記されているように、「死生学カフェ」 のほうは1年分の日程が決定しています。
スゴイなあ、エライなあ、竹之内さん!
というわけで5月21日 (土) にはゼッタイに静岡に行ってやるぞと、
早い段階から決心していたわけです。
次回は通算8回目にあたるようですが、テーマは以下です。
「死生学カフェ」 は Facebook ページしか持っていないようなので、
頑なに Facebook を拒んでいて見られない人のために引用しておきましょう。
次回の死生学カフェのご案内
日時 5月21日(土)15:00~18:00(受付14:30~)
テーマ 「『葉っぱのフレディ』を読んで」
死生学カフェ初めての試みとして、絵本の朗読をしてから対話に入ります。今回は『葉っぱのフレディ』を選びました。「生きること」「死ぬこと」について考えさせられる絵本です。有名な絵本なので、書店でも図書館でも目にすることが出来ます。未読の方はぜひこの機会にご一読をおすすめします。当日は冒頭で朗読をしますので、読んだことがない方でも、お気軽にご参加いただけます!
ということだそうです。
有名な絵本ですね。
死と生について考えるのに最適な一冊と言っていいでしょう。
この絵本を題材にどんな対話が繰り広げられるのか楽しんできたいと思います。
なお、「死生学カフェ」 の Facebook ページを見ていたら、
「死生学カフェで大切にしたいこと」 という文書も見つけましたので、それも引用しておきます。
日常の中で、死や生にかかわる話をできる場を作りたい、安心して語り、そして聴くことの出来る場を作りたい。
死生学カフェを立ち上げ、またこれまで行われた数回のカフェを振り返り、世話人間ではカフェについてどのようなことを皆様に提示していけばよいのか、繰り返し話し合ってきました。
そして、「死生学カフェで大切にしたいこと」という文章が出来上がりました。
「死生学カフェ」という名に興味をお持ちいただいた皆様に、是非ご一読頂ければと思います。そしてこれからも、皆さんと共にこの場を作り上げていくことができたら幸いです。
*会場へいらした方には、同じ内容の資料を配布させていただいています。
~死生学カフェで大切にしたいこと~
人生は不思議で悲哀に満ちていて、私たちはたえず「どのように生きるか?」という問いを投げかけられています。
死生学カフェは、生と死にかかわる多様な課題について、多様な人たちとの出会いを大切にしながら、探求していく場です。
それゆえ死生学カフェは、特定の人たちのものではなく、生と死に関心を寄せるすべての人のための場です。
自分と異なる体験や考えを排除するのでなく、むしろお互いの違いを豊かさとして楽しみましょう。
性別、社会的属性、価値観、思想を異にする参加者、このカフェでなければ出会えない人たちとの対等で開かれた対話に挑戦してみましょう。
1. 「死とともに生きる」という課題を共有しましょう。
わたしたちは、「死とともに生きることを学ぶ」(死生学)という姿勢を大切します。死をタブー視したり、遠ざけたりするのではなく、また逆に、いたずらに特権化するのでもなく、「死とともに生きる」智慧を真摯に学んでいきましょう。
2. 生と死は未知だからこそ一緒に探求しましょう。
参加者の中には、かけがえのない人との死別を経験された方、深刻な死の体験をされた方がおられるかもしれません。私たちはその貴重な経験に真摯に学びたいと考えます。ただ同時に、生と死には常に未知の部分が残されている、だからこそ探求するという謙虚さを大切にしたいと願っています。
3. 対等で開かれた対話を心がけましょう。
カフェには、社会的地位や権威から自由に、対等の立場で議論するという伝統があります。カフェは市民に開かれた討論の場を提供し、それを通して市民社会の成立に大きな役割を果たしてきました。このカフェの精神を継承し、相手に対して尊敬の念を抱きつつ、対等な立場で、開かれた言葉で対話を試みましょう。
4. 聴くことから始めましょう。
聴く人がだれもいなければ対話は始まりません。対話の第一歩として、相手の語りに真剣に耳を傾けることから始めましょう。といっても、すべての発言に納得したり、共感したり必要はありません。むしろ納得いかないところ、安易に共感できないところを糸口にして、相互理解を試みながら、注意深く(carefully)対話を創造していきましょう。
生と死は、すべての人間の共通課題です。真摯に、しかし焦らず、共にじっくり探究していきましょう。皆さんにとって豊かな出会いと自由な対話の場となるように、世話人はお手伝いします。一緒に死生学カフェを創り上げていきましょう。
世話人一同
「死生学カフェ@しぞ~か」 に学ばせていただきながら、
ぜひ福島でも死生学カフェを開催したいと思っています。
対話に参加して楽しみつつも、じっくりと先達の工夫や経験を盗んできたいと思います。