これはまたネガティブな質問ですね。
前回書いたように、自分が哲学・倫理学の教員になれたというのは、
本当に奇蹟的なこと、フツーじゃありえないような僥倖だと思っていますので、
基本的には感謝こそすれ、後悔してることなんてまったくありません。
それが今回の問いに対する回答として一番ふさわしいんじゃないかと思いますが、
せっかく問われたので、いろいろと考えてみました。
するとひとつだけ思い当たることが出てきました。
哲学・倫理学は日本社会ならびに日本の大学で差別・迫害されています。
福島大学でもどんどん人を減らされ、今や自分たった1人になってしまい、
自分の後任の人も取ってもらえるかどうかわからないという状況です。
自分がこれだけ哲学・倫理学から恩恵を受けたにもかかわらず、
それを学界ならびに後進の研究者たちに恩返しすることができないというのは、
私の中でけっこう後悔というか悔しく思っていることかもしれません。
私が福大に就職したとき、経済学部に共通教育の哲学を担当する先生がおひとり、
私と同じ教育学部には社会科教員免許用の哲学の先生がおひとりいらっしゃって、
そこに倫理学担当の私が赴任して、計3名の哲学・倫理学教員がいました。
それ以前には教育学部だけで哲学2名、倫理学2名の教員がいて、
それにプラス共通教育の哲学の先生がいらっしゃるという時代もあったそうです。
しかし、公務員がどんどん削減される時代に突入して、
大学も法人化されて国家公務員でなくなりましたし、
そうなると退職した順番にすべてのポストで後任採用するわけにはいかず、
どうしても必要かどうかという優先順位がつけられるようになってきます。
そうなってきたときに哲学・倫理学は弱いんですねえ。
日本では昔から哲学・倫理学は、実際に役立つ実学ではなく、
社会に出ても何の役にも立たない虚学だと言われてきたのですが、
目先の金儲けに走る昨今の日本ではその傾向がよりいっそう強まっています。
欧米では、物事を根本的にじっくりと論理立てて考える力があるということで、
哲学や倫理学を修めた人は実業界でも一目置かれ重用されているのですが、
覚えた知識が直接的に富を生み出すかどうかという、
きわめて短絡的な学問観がまかり通っている日本では、
哲学・倫理学は役に立たない学問の代表みたいに扱われているのです。
教育学部の中でも、たしかに哲学や倫理学は、
社会科教員免許を取るために必要な科目として免許法上位置づけられてはいますが、
高校の公民科倫理の教員にでもならないかぎり、
小学校や中学校の社会科の中で哲学や倫理学の知識を教える場面はほぼありませんので、
そうすると日本史や世界史、地理の教員は優先的に後任補充されても、
哲学や倫理学は別に専任教員取らなくても非常勤の先生にやってもらえばいいよね、
といった感じにどんどん後回しにされてしまうのです。
けっきょく私のほかに2名いた哲学の先生方が退職されたあとは、
後任補充はしないと決めたわけではないのですが (そこは私ががんばりました)、
他に優先的に補充すべきポストがあるので当面は取れないよね、
という形でもうずーっと後回しにされ続けています。
私は 「福島大学は哲学のない大学だ、それでいいのか?」 と言い続けていますが、
ただまあ私としても大学の苦しい台所事情は重々承知していますので、
他にどうしても優先しなきゃいけない人事があることは認めざるをえません。
今、私は大学の改革の仕事に携わっているわけですが、
今回の改革の中でとうとう後任補充されていない哲学の2つのポストのうちのひとつは、
正式にもう大学としては断念して完全に消滅させることになりそうです。
この改革に取り組み始めた当初はなんとかこれを復活させようと努力し、
改革本部の皆さんからも賛同を得て一瞬何とかなりそうな気配もあったのですが、
その直後に人件費削減の大波がやってきて水泡と帰してしまいました。
まさか自分 (が関わっている改革案) が哲学のポストに引導を渡すことになってしまうとは、
まったく予想もしていませんでした。
これは本当に大きな後悔として私の中に残ることでしょう。
というわけで今回のお答えは次のようになります。
A.哲学や倫理学に理解のない日本という国で哲学・倫理学の教員になったために、
数少ない哲学・倫理学のポストがどんどん削減されていくところを、
間近で指をくわえて見ていなければならないというところが、
哲学・倫理学の教員になって後悔していることです。
今回は暗い話になってしまい申しわけありませんでした。
でも質問自体が暗かったんだから、明るく答えようがありませんよね。
早いとこ教育や学問に理解のある政権が成立して、
若者を育てるためにきちんと投資してくれるような世の中にならないかな。
右を向いても左を見ても、近視眼的な金儲け至上主義者しか見当たらないから、
日本ではどう転んでもそんな夢のような話は実現しないんだろうな。
前回書いたように、自分が哲学・倫理学の教員になれたというのは、
本当に奇蹟的なこと、フツーじゃありえないような僥倖だと思っていますので、
基本的には感謝こそすれ、後悔してることなんてまったくありません。
それが今回の問いに対する回答として一番ふさわしいんじゃないかと思いますが、
せっかく問われたので、いろいろと考えてみました。
するとひとつだけ思い当たることが出てきました。
哲学・倫理学は日本社会ならびに日本の大学で差別・迫害されています。
福島大学でもどんどん人を減らされ、今や自分たった1人になってしまい、
自分の後任の人も取ってもらえるかどうかわからないという状況です。
自分がこれだけ哲学・倫理学から恩恵を受けたにもかかわらず、
それを学界ならびに後進の研究者たちに恩返しすることができないというのは、
私の中でけっこう後悔というか悔しく思っていることかもしれません。
私が福大に就職したとき、経済学部に共通教育の哲学を担当する先生がおひとり、
私と同じ教育学部には社会科教員免許用の哲学の先生がおひとりいらっしゃって、
そこに倫理学担当の私が赴任して、計3名の哲学・倫理学教員がいました。
それ以前には教育学部だけで哲学2名、倫理学2名の教員がいて、
それにプラス共通教育の哲学の先生がいらっしゃるという時代もあったそうです。
しかし、公務員がどんどん削減される時代に突入して、
大学も法人化されて国家公務員でなくなりましたし、
そうなると退職した順番にすべてのポストで後任採用するわけにはいかず、
どうしても必要かどうかという優先順位がつけられるようになってきます。
そうなってきたときに哲学・倫理学は弱いんですねえ。
日本では昔から哲学・倫理学は、実際に役立つ実学ではなく、
社会に出ても何の役にも立たない虚学だと言われてきたのですが、
目先の金儲けに走る昨今の日本ではその傾向がよりいっそう強まっています。
欧米では、物事を根本的にじっくりと論理立てて考える力があるということで、
哲学や倫理学を修めた人は実業界でも一目置かれ重用されているのですが、
覚えた知識が直接的に富を生み出すかどうかという、
きわめて短絡的な学問観がまかり通っている日本では、
哲学・倫理学は役に立たない学問の代表みたいに扱われているのです。
教育学部の中でも、たしかに哲学や倫理学は、
社会科教員免許を取るために必要な科目として免許法上位置づけられてはいますが、
高校の公民科倫理の教員にでもならないかぎり、
小学校や中学校の社会科の中で哲学や倫理学の知識を教える場面はほぼありませんので、
そうすると日本史や世界史、地理の教員は優先的に後任補充されても、
哲学や倫理学は別に専任教員取らなくても非常勤の先生にやってもらえばいいよね、
といった感じにどんどん後回しにされてしまうのです。
けっきょく私のほかに2名いた哲学の先生方が退職されたあとは、
後任補充はしないと決めたわけではないのですが (そこは私ががんばりました)、
他に優先的に補充すべきポストがあるので当面は取れないよね、
という形でもうずーっと後回しにされ続けています。
私は 「福島大学は哲学のない大学だ、それでいいのか?」 と言い続けていますが、
ただまあ私としても大学の苦しい台所事情は重々承知していますので、
他にどうしても優先しなきゃいけない人事があることは認めざるをえません。
今、私は大学の改革の仕事に携わっているわけですが、
今回の改革の中でとうとう後任補充されていない哲学の2つのポストのうちのひとつは、
正式にもう大学としては断念して完全に消滅させることになりそうです。
この改革に取り組み始めた当初はなんとかこれを復活させようと努力し、
改革本部の皆さんからも賛同を得て一瞬何とかなりそうな気配もあったのですが、
その直後に人件費削減の大波がやってきて水泡と帰してしまいました。
まさか自分 (が関わっている改革案) が哲学のポストに引導を渡すことになってしまうとは、
まったく予想もしていませんでした。
これは本当に大きな後悔として私の中に残ることでしょう。
というわけで今回のお答えは次のようになります。
A.哲学や倫理学に理解のない日本という国で哲学・倫理学の教員になったために、
数少ない哲学・倫理学のポストがどんどん削減されていくところを、
間近で指をくわえて見ていなければならないというところが、
哲学・倫理学の教員になって後悔していることです。
今回は暗い話になってしまい申しわけありませんでした。
でも質問自体が暗かったんだから、明るく答えようがありませんよね。
早いとこ教育や学問に理解のある政権が成立して、
若者を育てるためにきちんと投資してくれるような世の中にならないかな。
右を向いても左を見ても、近視眼的な金儲け至上主義者しか見当たらないから、
日本ではどう転んでもそんな夢のような話は実現しないんだろうな。
私の専攻は哲学科でも史学科出身でもなく、生まれてまだ歴史の浅い経営学部でした。
しかし哲学と数学が大学時代 最も私を魅了した学問であり、勉強すればするほど、他のあらゆる学問の根幹になっていることに気づきました。1単位にもになりませんでしたが、あの時学んだことは社会生活を営むことになった今でも後悔はしていません。
私は大学の運営や経営について無知ですので、えらそうなことは言えませんが、日本の大学、社会がもう少し哲学、倫理について精神的にも物質的にも敬意を払うべきなのではと思います。
先生のような研究者、ほんとうの教育者が報われる社会になるといいですね。 駄文失礼しました。
しかし、頑張らねば、と思いました。