まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.なぜ福島に来たのですか?

2013-05-02 17:27:22 | 哲学・倫理学ファック
A.福島大学に採用してもらったからです。

今回は答えを先に書いてみました。
福島って私にとってはまったく未知の土地でした。
福島大学に赴任することが決まったとき、
ひとりも福島に知り合いはいませんでしたし、
それどころか福島県がどこにあるのか私はよくわかっていませんでした。
福島大学から採用が決まりましたという知らせをいただいて、
私が最初にしたことは日本地図で福島県を探すことでした。
はじめ北陸のあたりを探して見つからなくて (たぶん福井県と勘違いしていたのでしょう)、
右上のほうにやっと見つけて、ああ福島って東北なんだあと思ったものです。
ただこれは、私が東北や福島に関して無知だということではなくて、
実は未だに群馬県がどこにあるかもよくわかっていませんので、
東北に限らず地理全般が苦手だということだとご理解ください。

最近では大学の教員を採用する際に、面接をしたり、模擬授業をさせられたりということも、
ごくフツーのことになってきているようですが、
20年ぐらい前はまだ 「FD」 という言葉もなくて、
大学教員の教育能力が問われたりすることはまったくありませんでした。
大学教員の選考は研究能力の有無のみで行われており、
したがって、論文審査のみで採用が決まっていました。
要するに、履歴書と研究業績一覧と書いた論文の抜き刷りやコピーだけ送っておくと、
何ヶ月か後に突然、残念でしたと書類一式が送り返されてくるか、
あるいは、おめでとうございますと電話がかかってくるかのどちらかになるわけです。
その前に最終選考で面接のため福島に来るなんていうこともまったくなかったのです。
いやあ、ちょっと考えられないようなシステムですね。
だからこそ私のような人間でも採ってもらえたのでしょうが…。
とにかく私の場合は本当に幸運にも、
福島大学からおめでとうございますの電話をいただくことができたわけです。

哲学・倫理学の分野で大学教員になるのがどれほど難しいかということについては、
以前に書いたことがあるので、そちらをご参照ください。
私は法政大学の大学院を出ましたが、当時は、
オーバードクターの方々も含めて先輩たちはほとんど大学に就職した人はいませんでした。
私が大学院に入学する前にさかのぼると何人か採用された人もいないわけではありませんでしたが、
私が大学院に入学して以降はまったくのゼロでした。
法政大学大学院の先輩たちはものすごく優秀な方が多かったのですが、
それでも誰も就職できなかったのです。
東大や京大など旧帝大系の大学院を出た人たちであっても就職は厳しくなりつつありましたから、
先輩たちの状況を見ても、まあそんなもんなんだろうなあと私は思っていました。
ましてや先輩たちを差し置いて自分が大学に採用してもらえるなんて、
微塵も想像したことありませんでした。
ただ、博士課程を卒業して (正確には単位取得退学)、非常勤講師のコマを持たせてもらったら、
いろいろな大学の公募に出してみるんだよと先生や先輩方に教えられ、
どうせ、先にも述べたように、必要書類を揃えて送るだけでしたから、
どこの大学かとか何にも選り好みせずに、その大学がどこにあるかも知らないまま、
1ミクロンの期待ももたずに目に止まった公募人事に応募したわけです。
そうしたら年も押しつまって、福島大学に応募したなんてこともすっかり忘れた頃に、
おめでとうございますの電話をもらってしまったのでした。
自分でも信じられませんでしたし、恩師に報告してもしばらく信じてもらえませんでした。
それくらいありえないことだったのです。

ご質問は 「なぜ福島に来たのですか?」 でしたっけ?
そりゃあもう福島大学が採用してくださったから以外の何ものでもないですよ。
むしろ私が聞きたいくらいです。
「Q.なぜ私は福島に来られたのですか?」
まったく謎です。
ただただラッキーとしか言いようがありません。
とにかく採用してくださった福島大学には感謝の言葉しかありません。
福島大学ありがとうっ


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2 コメント

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Unknown (かずくま)
2013-05-02 18:20:51
羨ましいなあ、、、
いや、それだけ実績と将来性が備わっていらっしゃったわけですよね。
頑張るか^_^;
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トンビ? (まさおさま)
2013-05-03 18:06:57
かずくまさん、コメントありがとうございました。
いやいや、あんな論文読んだだけでは実績も将来性も把握できませんよ。
たまたま読んだ人たちに気に入られたんですかねえ?
あるいは、いろいろと意見が割れた末に (東大閥と東北大閥とが血みどろの抗争を繰り広げ)、
みんなが妥協できるギリギリの線 (どこの派閥にも属していない誰も知らない小僧) が、
油揚をさらっていったとか?
とはいえ、油揚をさらえる程度の実績はあったのだと信じたいです。
かずくまさんも頑張ってください。
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