今日の日記は、今読んでいる小倉紀藏著『韓国人のしくみ <理>と<気>で読み解く文化と社会』(2001年刊・講談社現代新書)で語っている在日韓国人の芸人・マルセ太郎の日本人と韓国人の”飛行機が落ちたときの反応の違い”です。
添付した写真は、その著書の表紙です。
この著者は、ソウル大学哲学科博士課程を修了した韓国学研究者で、現在は京都大学の教授(専門は韓国哲学、韓国文化社会論)です。その彼が11年前に出版した韓国人論がこの本書です。
この著書の中で、私がとても共感した興味深い記述がありました。在日韓国人の芸人・マルセ太郎が、母国人について語った薀蓄のある言葉です。以下に、その記述を抜粋・引用掲載します。
『芸人のマルセ太郎氏(私注:1933年12月6日~2001年1月22日:大阪府出身のパントマイム芸人)は在日韓国人です。彼は、日本人と韓国人とでは、飛行機が落ちたときの反応がまるで違う、といいます。日本人の遺族はどんなに悲しくてもしくしくと静かに泣く。・・ところが韓国人の遺族は感情を爆発させて、おいおいわあわあと大声で泣き叫ぶ。その場に航空会社の職員などが顔を出そうものなら、遺族たちは赤鬼のような顔をしてどなり散らし、職員のネクタイをしめ上げて、たいへんな騒ぎとなる。このような感情の表出の違いを、小さい頃から恥ずかしいと思っていた、とマルセ太郎氏は告白します。「日本人は感情を抑えて上品だ。それに較べて韓国人は感情を抑えない。これは下品なんだ」と思っていたのだ、というのです。・・これは社会の階層構造の問題でもあります。・・韓国の民衆は、<気>のみ<気>のままで生きていたわけです。この民衆層は、当然感情を露骨に表す層です。・・これに対して、日本は、明治以降の「国民の意識上での武士化」によって、特に都市部においては、庶民までが「感情をみだりに表出させない」という<理>を注入されました。・・泣かない。感情を表出しない。そういう美徳が、徹底的に教化されたわけです。その違いが、感情の表出の違いになっているのは明らかです。』
この”感情の表出の違い”は、日本映画『サンダカン八番娼館 望郷』での大女優・田中絹代の抑えた哀しみに満ちた演技と、従軍慰安婦と名乗り出た韓国人女性のとてもオーバーな表情での抗議パフォーマンスの違いにも、如実に良く顕れています。
また、この韓国人女性のオーバーな表情での抗議行動を、韓国の大手新聞紙は”明らかな証拠”と短絡的に決め付ける始末です。その間違った韓国のジャーナリズム姿勢には、著者が指摘した”明治以降の日本の「国民の意識上での武士化」によって、庶民まで尊重した<理>”を、私は全く見出せません。
だから、この韓国人を正しく解説したこの名著を読んでいて、私は、日本人とは全く違う韓国人の悪しき国民性が良く判りました。
添付した写真は、その著書の表紙です。
この著者は、ソウル大学哲学科博士課程を修了した韓国学研究者で、現在は京都大学の教授(専門は韓国哲学、韓国文化社会論)です。その彼が11年前に出版した韓国人論がこの本書です。
この著書の中で、私がとても共感した興味深い記述がありました。在日韓国人の芸人・マルセ太郎が、母国人について語った薀蓄のある言葉です。以下に、その記述を抜粋・引用掲載します。
『芸人のマルセ太郎氏(私注:1933年12月6日~2001年1月22日:大阪府出身のパントマイム芸人)は在日韓国人です。彼は、日本人と韓国人とでは、飛行機が落ちたときの反応がまるで違う、といいます。日本人の遺族はどんなに悲しくてもしくしくと静かに泣く。・・ところが韓国人の遺族は感情を爆発させて、おいおいわあわあと大声で泣き叫ぶ。その場に航空会社の職員などが顔を出そうものなら、遺族たちは赤鬼のような顔をしてどなり散らし、職員のネクタイをしめ上げて、たいへんな騒ぎとなる。このような感情の表出の違いを、小さい頃から恥ずかしいと思っていた、とマルセ太郎氏は告白します。「日本人は感情を抑えて上品だ。それに較べて韓国人は感情を抑えない。これは下品なんだ」と思っていたのだ、というのです。・・これは社会の階層構造の問題でもあります。・・韓国の民衆は、<気>のみ<気>のままで生きていたわけです。この民衆層は、当然感情を露骨に表す層です。・・これに対して、日本は、明治以降の「国民の意識上での武士化」によって、特に都市部においては、庶民までが「感情をみだりに表出させない」という<理>を注入されました。・・泣かない。感情を表出しない。そういう美徳が、徹底的に教化されたわけです。その違いが、感情の表出の違いになっているのは明らかです。』
この”感情の表出の違い”は、日本映画『サンダカン八番娼館 望郷』での大女優・田中絹代の抑えた哀しみに満ちた演技と、従軍慰安婦と名乗り出た韓国人女性のとてもオーバーな表情での抗議パフォーマンスの違いにも、如実に良く顕れています。
また、この韓国人女性のオーバーな表情での抗議行動を、韓国の大手新聞紙は”明らかな証拠”と短絡的に決め付ける始末です。その間違った韓国のジャーナリズム姿勢には、著者が指摘した”明治以降の日本の「国民の意識上での武士化」によって、庶民まで尊重した<理>”を、私は全く見出せません。
だから、この韓国人を正しく解説したこの名著を読んでいて、私は、日本人とは全く違う韓国人の悪しき国民性が良く判りました。