天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

中央教育審議会に柴山文科相が小学校教科担任制諮問する際私の実体験から音を楽しむ「音楽」だけ除外要望を

2019-03-19 16:50:07 | 日記
今日の日記は、札幌中央区民図書館で本日閲覧した読売新聞朝刊『小学校に教科担任制・・・負担軽減・英語教員増員も』の記事でふと思い出した、57年前の1961年、私が小学二年生だった1学期の悪夢の授業と思えた音楽で受けた評価成績【1】の事です。
札幌別宅では、新聞を宅配購読していないので、私は時々札幌中央区民図書館で、藤沢本宅で購読している読売新聞を読んでいます。本日その閲覧している際中に、今ブログ日記で小学校低学年頃の思い出を回想している私に、その同時期に起きた悪夢の音楽授業を強く彷彿させる記事に出くわしました。以下に、その記事の一部を引用・掲載します。
『【小学校に教科担任制・・・負担軽減・英語教員増員も】2020年度から、小学校で英語が教科化されることを見据え、文部科学省は、各教科・科目を専門の教員が教える「教科担任制」の小学校への導入を進める方針を決めた。柴山文科相が4月にも中央教育審議会に諮問する。プログラミング教育も必修化されることから、専門的な知識を持つ教員の配置が不可欠と判断した。学級担任の負担を軽減し、働き方改革にもつなげたい考えだ。』
私は、今まで無かった英語やパソコン等の特殊な授業項目には、専門の教科担任(小学校の高学年のみ)は必要だと思い大いに賛成です。しかし、小学校に入学したばかりの一二年生に、専門的な実技教育(音楽・体育・図画工作)は全く不要だと、私の実体験から断言できます。
以下に、私が小学二年生の時、音楽教科担任(注:音大を出たばかりの若い女の先生だった)から受けた授業の内、和音の独唱練習を紹介します。添付した写真は、もう完全に忘れてしまったが今でも思い出すと必ず虫唾が走る『和音の音階表?』です。
一年生の時は、学級担任が音楽の授業も行っていたので、その成績は曲りなりにも悪くともずっと【2】でした。しかし、2年に進級したら音楽だけは、新しく赴任して来た若い女の先生が全クラス(3つ)担当する事になりました。その教える授業内容も、とても小学2年生に必要か?と思える程とても高度な項目でした。
その中で、添付したような音階表を児童に配って、その音律通リに和音を歌わせるテストを、先生は何回も実施していました。1年生の時は文部唱歌をただ歌うだけの授業しか受けていない私は、短調・長調など区別など全く理解出来なかったのでとても苦痛でした。
だから、私は、上手く出来ずに何度もこの受けたテストに、とても嫌気が差して、先生に『音楽授業に、こんな練習が必要なのですか!』と、思わず文句を言ってしまいました。そうしたら、その先生は強く激怒して『もう授業を受けなくていい!』と言って、私だけ音楽テストを受けさせず、その音楽評価は最低ランク【1】となりました。
でも、その通信票を見た母親が心配して学級担任に相談に行ったりした甲斐?があってか、2学期には【2】に復帰(注:私は和音等で何も進歩はしていないが)出来ました。
だから、私は柴山文科相が中央教育審議会に諮問する際、小学低学年児童に高度過ぎる専門教育を強要(必ず音楽だけは除外べし)すると、私のような弊害が必ず発生すると、注意喚起を是非徹底して欲しいです。何故なら、そうしないと、音を楽しむ『音楽』が嫌になる57年前の私のような児童が多く生まれるからです。
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