天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

朝鮮は茶販売権ある禅寺が弾圧で勢力失い茶習慣も普及せず、高知は鹿鳴館化でカツオたたきにニンニクを添加

2010-03-06 13:15:06 | 日記
今日の日記は、今私が読み直している対話集『歴史の交差路にて(日本・中国・朝鮮)』(司馬遼太郎・陳舜臣・金達寿共著:1991年講談社文庫刊)の「お茶の習慣とニンニク」のことです。この著書を4日私が紹介したら、私の日記を閲覧しているネット読者から、『朝鮮でお茶が無くなった経緯についても詳しく教えてください!』との要望がありました。ですから、以下に、司馬さんと金さんの二人鼎談より、その該当する箇所を抜粋して、長文になりますが、引用掲載します。
『・司馬「お茶は、朝鮮では高麗の時でしたかー伝来して一時寺院などで飲まれたいたけれどもー栽培するための自然条件としてはちょっと無理で、結局、用いられなくなったようですね。」
・金「僕は、お茶というのは日本茶ばっかりだと思っていたんです。朝鮮にはないものと思ってました。そしたら<茶の花の咲くころ>って戯曲がありまして、それで、茶の花というものが、朝鮮にもあるのかいというわけ。僕は知らなかったからね。それで、今度韓国へ行った時、智異山(ちりさん)を訪ねて、そこの泉隠寺というお寺で一泊したんですよ、そうしたらそこで、お茶を出してくれた。その茶は、日本式のやり方をするんだな。つまり、お湯で一回お茶碗を温めて、それからこう・・。そりゃ、日本ほど優雅じゃないけども、そういう形でお茶を出してくれた。朝鮮の土地は酸性だから、そこでできたお茶はうまいそうですが、しかし、これはあまりうまくなかったです(笑)。あれは、禅宗の坊さんですね。そのお茶は智異山の自然生なんですよ。あるいは、そこで栽培してるものなのかしれませんが、とにかくそれを飲まされたんです。朝鮮では、禅宗の坊さん達だけは今も茶をたしなむ。だから、朝鮮の茶もやっぱり仏教の禅宗とともに・・」
・司馬「そりゃもう、禅宗が入ってくる時、セットですよ。」
・金「これは食品研究家の鄭大聲ですが、この人の説では、朝鮮ではお寺が茶の一手販売権を持ったというんですね。それで、李朝になって仏教の弾圧と同時に経済的な特権を取り上げられた。それで朝鮮では茶がだめになり、そのかわり日本で非常に盛んになった。」
・司馬「日本では、一般の民衆の場合には、だいたい江戸期になると、もうお茶でした。ところが、おもしろいことに、高知県だけお茶が入ってないんですよ。高知の人達は、客に行った時に、ビール出すか焼酎出すかです。今だに、客が来たからといってお茶を出す家は少ないね。」
・金「あそこはカツオのたたきでニンニク食うから、そのためかな(笑)。」
・司馬「あの高知県のニンニクは、あれはよく判らないですけど、昔は日本人は一般に食べてたんです。まあ、風邪の時などの薬としてでしょうが。維新後、太政官令で、たしか横浜を対象にしてだと思いますけど、ニンニクは食うな、西洋人が嫌がるから・・ただ、高知県には盛大に残る。明治維新から廃藩置県までの、三、四年間、旧藩が県と称しとったでしょう。旧藩が一種の独立的な予算と行政権を持っていて、フランス人教師なんか雇った。高知でも兵学校教師として雇ったフランス人とステーキとは結びつけにくいんだけれど、彼らに肉を食べさせなきゃいけない。それに困ってカツオのたたきができたというんです。私もタタキの起源としてはこれを信じています。フランス人がそのカツオのたたきに、ニンニク付けろと言った。ニンニクなら風邪引いた時に使うからいくらでもあると言って、ニンニクをやった。それを高知の人間が見ていて、あれはうまそうだというので、カツオのたたきが普及した。したがってニンニクも普及した。」
・金「それはまさに、高知の”鹿鳴館文化”だね(笑)。」』
金達寿さんは、お茶販売の経済的特権を持った禅寺が宗教的弾圧により、その勢力を失うとお茶の習慣も普及せず消えていったと考察しています。また、司馬さんが語っているように、お茶の習慣が希薄であった旧藩高知県が雇ったフランス人の兵学校教師は、生のカツオを多少焼いただけのカツオのたたきを問題なく食べたみたいです。そして、その教師は、その時さらにニンニクを所望しています。私見ですが、カツオの持つ生魚臭さを消し去る為、ニンニクが持つ臭さを逆利用したのかもしれません。
そして、話はまったく替わりますが、この西洋人の食物嗜好を考えてみた時、私が応援する劇場演技者女性に対してある疑問を、私は唐突ながら思い巡らしてしまいました。その劇場演技者女性の自身ブログ「Profile」欄に、「苦手な食べ物・生魚で、好きな食べ物・お肉」とあります。この食べ物嗜好に関して、「彼女は土佐名産カツオのたたきを問題なく食べられるのか?」とのいたって単純な私の疑問です。
しかし、私は、まったくその単純な疑問を、直接劇場で彼女に質問する機会を、まったく理不尽なことですが、完全に奪われています。これは、私にはとても悲しいことです。
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