天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

昨日鑑賞キネマ旬報10位『八月の濡れた砂』出演の本日逝去原田芳雄さんをウィキペディアは作品と掲載せず

2011-07-19 21:04:24 | 日記
今日の日記は、本日午前逝去された俳優の原田芳雄さんが1971年に出演した日活映画『八月の濡れた砂』(1971年製作 藤田敏八監督 広瀬昌助 村野武範 藤田みどり テレサ野田主演)のことです。
以下に、本日のネットニュース(時事ドットコム)よりその関連記事の一部を引用・抜粋します。
『・・俳優の原田芳雄さん死去=個性派、映画やドラマで活躍・・野性的な魅力で映画やドラマで活躍した俳優の原田芳雄(はらだ・よしお)さんが19日午前9時35分、肺炎のため死去した。71歳だった。(省略)高校卒業後、会社勤務を経て俳優座に。1968年の「復讐の歌が聞こえる」で映画デビューした。精悍(せいかん)な容貌を生かして、はぐれ者やアウトロー的な役柄で魅力を発揮。「八月の濡れた砂」「竜馬暗殺」「祭りの準備」などの作品に出演し、1970年代の日本映画を代表するスターの一人となった。80年代以降も「ツィゴイネルワイゼン」「どついたるねん」「浪人街」「父と暮せば」など、メジャー、マイナーを問わず数々の問題作、話題作に出演。主役から脇役までをこなす個性派俳優としての地位を確立した。晩年は温厚な父親役や老人役なども演じ、演技の幅を広げた。(省略)16日から公開中の主演作「大鹿村騒動記」の完成後、腸閉塞と誤嚥性肺炎を併発して入院。11日の完成披露試写会に出席したのが、公の場に姿を見せた最後となった。(2011/07/19-19:19)』
そして、添付した写真は、同社の写真ネットニュースより引用掲載した原田芳雄さんです。また、同ニュースでは次のように紹介されています。
『野性的な魅力で映画やドラマで活躍した俳優の原田芳雄さん(写真)が19日午前9時35分、肺炎のため死去した。71歳だった。「八月の濡れた砂」などに出演、70年代の日本映画を代表するスターの一人となった【時事通信社】』
実は、私は原田芳雄さんのまったく体調不良など知らず、たまたま昨日レンタルDVD店から、日活映画『八月の濡れた砂』を借りて来て、とても久しぶりにお茶の間鑑賞していました。
何故この日活作品を選んだのか?それは、私の7月10日付け日記『映画「私が棄てた女」風呂場で背中裸体を見せた浅丘ルリ子に日活衰退をくい止めようと必死な女優思いを痛感』で、日活ロマンポルノに転向する前の日活映画を皆さんに紹介したからです。そして、この『八月の濡れた砂』(第45回1971年度キネマ旬報ベストテン第10位)が本当の最後の作品と私は知っていたので、その必死な製作者の努力を再確認したくなって、お茶の間鑑賞しました。
そうしたら、出演されていた原田芳雄さん本日の突然の逝去報道です。私は、とても驚きました。今回は、俳優さんが逝去される前に、その出演した作品を鑑賞したからです。
この映画で原田芳雄さんは、とても存在感溢れる教会の異色な牧師役を熱演されていました。でも、時事通信社の訃報報道で一本だけ特別に大きく紹介されたこの映画『八月の濡れた砂』を、フリー百科事典・ウィキペディアでは、原田芳雄さんの出演した映画リストには掲載されていないのです。
「キネマ旬報ベストテンにランクインした作品を太字で記述」と書いておきながら、この第10位にランクされた『八月の濡れた砂』を、フリー百科事典・ウィキペディアは完全に忘れています。
だから、この百科事典・ウィキペディアの重大な出演作品の紹介失念を、最後の気力・霊力を振り絞り俳優の原田芳雄さんが、映画好きの私によく判るように教える為、私にこの映画を見る気にさせたと、今私は強く得心しています。
今、私はこの百科事典・ウィキペディアの編集者に強く抗議します。速やかに原田芳雄さんが出演した『八月の濡れた砂』を、作品リストに追加掲載すべきです。このまま放置することは、俳優・原田芳雄さんの実績を正しく公表しないことになり、故人に甚だ失礼な行為です。
原田芳雄さんは、まだ俳優としてやり残すことが多くあったのでしょう。私は、今慎んで心ならず逝去された原田さんの御冥福をお祈りします。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『007危機一発』I・フレ... | トップ | 映画『八月の濡れた砂』高校... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事