天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

文系教科が得意な私は47年前現役合格可能な千葉大学工学部建築学科を受験しその作戦がズバリ的中し歓喜す

2019-03-03 11:38:40 | 日記
今日の日記は、ちょうど47年前(1972年3月3・4日)に体験した国立大学一期校(千葉大)入試の懐かしい思い出です。
現在2月下旬に実施されている大学入試センターの共通試験とは全く違い、私が入試を体験した頃は、その試験問題は各大学が独自に作成し、国公立大学の試験日は、2回(一期校:旧帝大他・3月3日と、一期校合格発表後の3月20日以降・他国公立大学の二期校)に分けて実施されていました。そして、その受験科目や配点も入試を行う各大学が独自に決めていました。
私の3歳違いの実兄が二浪の末、ようやく合格し学費の高い青山学院大学経営工学部に自宅通学していた為、私は親の家計負担を考慮し、現役で合格可能な大学(職業選択で潰しが利く工学部建築学科)を目指す事にしました。
その検討の結果、最難関校(東大・東工大等)でなく首都圏(自宅からの通学圏)で唯一一期校として同日試験日にグループ化されている千葉大学工学部建築学科(当時は人気が有り合格率15倍以上だが)を目標としました。
さらに、その入試スケジュールだけでなく、理系工学部でありながら試験科目が5科目(国語・社会・数学・理科・英語)もあり、その配点基準も同じでしたので、文科系科目も得意な私向き(オールマイティというより器量貧乏?)だと思いました。添付した写真は、同年3月1日実施された県立高校卒業式に、卒業証書と一緒に手渡された「通知票」(成績証明書)です。
この成績表は、2学期終了後(注:添付用紙は古い用紙で3学期となっているが、2年前の学園紛争の末大学と同じ前期・後期の2学期となった)学期末に、5段階評価(5が最優良の数限定無く絶対評価)で各履修教科ごとに評定されています。
その評価表によると、現代国語5・古典乙Ⅱ5・政治経済4・日本史4(5ではないが、私の最も得意な教科:駿台大学模試で科目別4位を獲得)世界史5・物理B5・科学B5・数学Ⅲ5・英語4です。また、この成績が大学合格後の日本育英会の奨学金獲得に繋がった。
大学入試の選択科目は、社会は5評定の世界史ではなく4評定の日本史を選び、理科は同じ評定5でしたが授業時間が多い物理Bを選択しました。そして、国語は理系学部では選択は無く、現代国語と古典科目の複合問題になっていました。
5科目の500点満点(同じ配点は当時の工学部では全く異例)ですが、私は数学や物理・英語では高得点を上げる事は出来ないので、最も得意な日本史と国語(古文・漢文が得意:当時から日記ブログのタイトルが示すようにその素養有り)で、他受験者より高得点を稼ぎ合格する作戦でした。
その作戦はズバリ的中し、19日発表の合格掲示板に、私の名前と受験番号を見つける事が出来ました。その時の歓喜は、私は今でも忘れられないです。
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