天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

半世紀前18番言った私は音楽成績評価降下し逆に18番演目披露出来ない市川海老蔵の市川團十郎襲名中止を

2019-03-06 13:44:22 | 日記
今日の日記は、私が1967年中学2年2学期の音楽実技歌唱試験の開始時に、私の出席番号を不必要に【18番!】と思わず声に出してしまい、ルームメイトの大爆笑を生んだとても懐かしい出来事です。
当時の音楽実技テストに、各人の歌唱実演があり、その開始前に、各人のアイウエオ順に先生から自身の名前を呼ばれてから、歌唱実施を始めました。だから、自分の出席番号をあえて言う必要もなかったのに、私は何を思ったのか?自分の出席番号を、その時思わず言ってしまいました。
その言った出席番号が、普通の番号ではなく【18番!】だったから、聞いた教室内は大騒動でした。それは、江戸時代に歌舞伎の七代目市川團十郎が選定した宗家のお家芸演目『歌舞伎十八番』から派生した【おはこ・十八番】の言葉を強く連想して、クラスルーム皆(今の中学生は「おはこ・十八番」を知らかもしれないが、当時の中学生は皆知っていた。それだけ日本伝統文化に馴染んでいた証拠)が大爆笑したのです。この想定外のハプニングには、音楽指導の先生も苦笑いをしていました。
ましてや、これから歌唱する私は強く動揺して、普段の実力を発揮出来なかったです。さらに、音楽指導の先生は、私が音楽テスト授業を小馬鹿にしている(注:1学期評価5の実力を私自身が自慢し思いつけあがった所業と)と感じたかも知れません。何故なら、以後は音楽成績評価は5ではなく1ランク下がった4になったからです。”口は災いの元”とは、私に良く当てはまる格言だと、今当時を振り返って強く得心しています。私の持つ「発言力」が、思わず間違った方向に行ってしまったのです。
そして、今年1月14日、その七代目市川團十郎の宗家後継者として、十一代市川海老蔵が来年5月に「十三代市川團十郎白猿」を襲名する発表が歌舞伎座で成されました。私には、とても残念な出来事でした。何故なら、私は2013年2月14日付日記で『中村吉右衛門四女と結婚の尾上菊之助は三男子を儲け長男跡取り・次男吉右衛門養子・三男市川團十郎跡取り』で書いたように、未だ未熟・不行跡者の十一代市川海老蔵が、十三代市川團十郎の大名跡を継ぐことに、強く反対だったからです。
でも、その2年前には、彼(市川海老蔵)には市川團十郎の大名跡を継ぐ事など全く考えられない2017年7月歌舞伎座興行の演目表があったのです。添付した写真は、その興行パンフレットです。
その興行では、市川宗家の「歌舞伎十八番」の内、十八番『矢の根』を、縁者自身が出演していながら、その系統の市川海老蔵ではなく、無関係の沢瀉家系譜の市川右團次が演じているからです。私には全く考えられない配役キャストです。私の想像ですが、当時の松竹幹部は、市川海老蔵が宗家を継ぐなど全く考えていなかったかもしれません。
だから、今からでも遅くないですから、半世紀前に「18番」と言った私が音楽評価で成績急降下したように、逆に「18番」演目を披露出来なかった市川海老蔵の降格(市川團十郎の大名跡を継ぐ事中止)を、私は是非とも松竹幹部にお願いしたです。
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