天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

書聖王羲之は『蘭亭序』で「固知、一死生爲虚誕、齊彭殤爲妄作」と虚無的な諦めを捨て前向きに生きようとす

2010-06-19 12:16:05 | 日記
今日の日記は、私の中国・西安旅行記(13)です。集合写真のおまけで頂いた書聖・王羲之の『蘭亭序』(注:添付した写真は、最後の文章・晋右軍王羲之書)の続編です。この名文を書き下し文で、以下に掲載します。
『永和九年、歳は癸丑に在り。暮春の初め、会稽山陰の蘭亭に会す。
禊事を脩むるなり。群賢畢く至り、少長咸集まる。此の地に、崇山峻領、茂林脩竹有り又、清流激湍有りて、左右に暎帯す。引きて以て流觴の曲水と為し、其の次に列坐す。糸竹管弦の盛無しと雖も、一觴一詠、亦以て幽情を暢叙するに足る。是の日や、天朗らかに気清く、恵風和暢せり。仰いでは宇宙の大を観、俯しては品類の盛んなるを察す。目を遊ばしめ懐ひを騁する所以にして、以て視聴の娯しみを極むるに足れり。信に楽しむべきなり。夫れ人の相与に一世に俯仰するや、或いは諸を懐抱に取りて一室の内に悟言し、或いは託する所に因寄して、形骸の外に放浪す。
趣舎万殊にして、静躁同じからずと雖も、其の遇ふ所を欣び、蹔く己に得るに当たりては、怏然として自ら足り、老の将に至らんとするを知らず。其の之く所既に惓み、情事に随ひて遷るに及んでは、感慨之係れり。向の欣ぶ所は、俛仰のに、以に陳迹と為る。猶ほ之を以て懐ひを興さざる能はず。況んや脩短化に随ひ、終に尽くるに期するをや。古人云へり、死生も亦大なりと。豈に痛ましからずや。毎に昔人感を興すの由を攬るに、一契を合せたるが若し。未だ甞て文に臨んで嗟悼せずんばあらず。之を懐に喩ること能はず。
固に死生を一にするは虚誕たり、彭殤を斉しくするは妄作たるを知る。
後の今を視るも、亦由ほ今の昔を視るがごとくならん。悲しいかな。故に時人を列叙し、其の述ぶる所を録す。世殊に事異なりと雖も、懐ひを興す所以は、其の致一なり。後の攬る者も、亦将に斯の文に感ずる有らんとす。』
あまりに有名な書き出し『永和九年、歳は癸丑に在り。暮春の初め、会稽山陰の蘭亭に会す。』に続けて、王羲之は会稽の美しい山河に囲まれて、ふくよかな春風に祝福されるように始まった宴の様子を描写しています。このように、前段は明るいイメージの文章で満ち溢れています。
でも、王羲之が自身の感慨を述べる『其の遇ふ所を欣び、蹔く己に得るに当たりては、怏然として自ら足り、老の将に至らんとするを知らず』あたりから内省的な色彩を帯びていきます。「人はめぐりあった境遇の喜ばしく、自ら足りている時には、老いの迫っていることなど気づきもしない」と語っています。
そして、王羲之の思索は、『古人云へり、死生も亦大なりと。豈に痛ましからずや。』「いにしえの人は言った、生きること死ぬこと、共に大問題であると。」と、人の生死という命題に向っていきます。
さらに、王羲之は『固に死生を一にするは虚誕たり、彭殤を斉しくするは妄作たるを知る。』「死ぬことも生きることも所詮は同じであると決め付けるのは偽りで、長寿も夭折も一緒だと考えるような諦観はでたらめだ」と論じています。これは、困難な状況でも現実に立ち向かう彼自身の真摯な生き方を投影した名文です。彼は、虚無的な諦めを捨ててはっきりと生きることに向っています。
最後に王羲之は『世殊に事異なりと雖も、懐ひを興す所以は、其の致一なり。後の攬る者も、亦将に斯の文に感ずる有らんとす。』「時が移り世の中が変わろうとも、今日ここに宴を開いた自分たちの心を読み取ってほしい」と望み、この『蘭亭序』を終えています。
その後、王羲之は『蘭亭序』を、何十何百回と書き直したそうです。しかし、最初に書いたものを超えることはついに出来なかったのです。なぜなら、永和九年三月三日の宴で、王羲之に思いのまま筆を運ばせた内部から湧き出た情熱は、その場で完全に昇華されてしまったからです。
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