天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

千田稔著『華族事件録』かつて蜂須賀侯爵を持て囃した朝日新聞は掌を返したよう今度は根拠なく批判偏向報道

2015-05-17 12:22:32 | 日記
今日の日記は、今自宅で読んでいる千田稔著『明治・大正・昭和 華族事件録』(2002年新人物往来社刊)で書かれている昭和初期の朝日新聞の全く節操のない報道(今もそのDNAが脈々と受け継がれている)ぶりのことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
以下に、その侯爵・蜂須賀正氏(明治29年生まれ昭和28年死去・1896~1953年)に関する、昭和8年2月4日付報道からの昭和9年(1934年)5月8日『東京朝日新聞・若き侯爵の乱行で、浮沈の蜂須賀家』までの、全く根拠や節操のない極端な偏向報道を、引用掲載します。
『東京朝日新聞昭和8年2月4日付報道によると、「正氏は、父死去の報に接すると、昭和8年(1933年)1月16日にシベリア鉄道で帰国の途にのぼる。奉天からは飛行機に乗り換え、2月3日に羽田飛行場に着陸する。飛行家の正氏らしい演出の加えられた帰国である。彼は飛行機に乗る理由として、スポーツとアフリカ探検の2点をあげて、こちらに来ても航空方面で許される限り活動して見る積りです。と述べている。」・・世論が新聞に望んだか、新聞が世論を誘ったか、はっきりはしないが、いずれにせよ、世論と新聞は飛行家正氏の帰国を歓迎し、彼に期待を寄せ始める。英国から正氏所有の飛行機が到着する前に、朝日新聞は、正氏に同社飛行機を操縦させようとする。そして、3月25日、正氏は、朝日新聞から「日本唯一のオーナー・パイロットとして将来の力強い活躍を期待されている」と賞揚されて、颯爽と立川飛行場の同社格納庫を訪問する。9月10日には、正氏は、大阪経由で東京と大刀洗(福岡県)の往復飛行をして、朝日新聞は、「蜂須賀侯の快挙」と報じる。・・正氏は、得意の絶頂にいた。・・しかし、こうした飛行機操縦は、多額の経費がかかるとして、彼の旧臣たちは懸念し、徐々に批判的になる。こうした事態が露見すると、東京朝日新聞(昭和9年5月8日)は、「若き侯爵の乱行で、浮沈の蜂須賀家」と、社会面冒頭に六段にわたって派手に報道する。かつては正氏の飛行家としての現状と将来を持て囃した同紙は、てのひらを返したように、今度は正氏の批判にかかる。同紙の記事には、かつては正氏の飛行計画を積極的に支援し、持ち上げていた時の語調は微塵も見られない。しかも、実際の生活を見ても、正氏には派手に遊里に放蕩するという乱倫の行動は見受けられない。彼に「乱行」などなかった傍証として、昭和14年には紺綬褒章を受けたり、スイス政府からエトアール・ボレール勲章を贈られていることがあげられる。正氏が「乱行」をしたというのは、誇張ではなかろうか。』
この著者の朝日新聞報道に関する記述(注:約15年前の上梓されており、現在の朝日捏造報道をそれほど問題化されていない)を読んで、私は、再び朝日新聞社の根本的な欠陥報道姿勢に強い憤りを持ちました。何故なら、もう80年前以上の戦前から、正しい事実など社会に公表せず、世論誘導や当時の風潮に便乗する全く節操のない報道姿勢を社内DNAとして所持していた事を、私が今回初めて知ったからです。
この悪しき朝日新聞の社内DNAが脈々と受け継がれていることは、日本軍強制連行韓国人従軍慰安婦の捏造報道事件ではっきりと判っています。もうこれからもこの悪しき姿勢は改善される余地は、全くないと考えるのが自然です。だから、国賊・朝日新聞社は早急に無くなるべきと、私はこの著書を読んで強く痛感しています。
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