インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

人間という名の機械と波動

2011-04-11 06:20:39 | カスタネダ『呪術の実践』 !
カスタネダを聴きながらドライブしていると、山桜の激しさに目を奪われ、停めて眺める。



 ドライブといっても、山奥の家に帰省しただけで、そこにある例の上り坂には桜が咲き始めていた。



 隣にも赤い花(牡丹?)が咲いていて、こっちの方が存在感があった。



 それにしても、夢の中で手を見ることは出来ない。というか、単なる潜在意識が浮き上がったものとしか思えない。夢の中に「インディアン」の文字が出てきたが、それは諺か何かで(英語の大辞書を調べていた)、nobodeyというネガティブな頭から始まる文章であった。

 本当に「集合点」のようなものがあって、 それを移動させることができるのか。カスタネダの師ドン・ファンによると、「客観的な世界など存在しない」という。在るのは、「エネルギー場の宇宙」だけとし、我々が今見ているのは、子供の時に訓練し固定化した集合点の位置でとらえるエネルギー場にすぎないというのだ。

 まあ、確かに我々は先入観だらけで、そこにある馴染みあるものを見て、勝手に世界を組み立てているにすぎないのかもしれない。虚心に物事を見ることはせずに、すでに決められたチャンネルの映像を見ているわけだ。チャンネルが変わったら、その瞬間は大パニックになるに違いない(呪術師の先導者、ナワールの一撃で、それは可能なようだ)。

 ドン・ファンは「人間は機械のようなものだ」というが、そうなのかもしれない。何となく、「線が集合点を貫く」、「放射物を連合させる」といったような表現が、電波とかを思い出させる。そもそも電波とか目には見えないが確実に存在しているわけで、夜空には帯状のものが無数に飛び交っているわけだ。我々人間は、目で光波を、耳で音波をとらえ、その波の差によって、現象を認識している。波長が長ければ、関数の形からして振動数が少なく(単位時間当たりの)、例えば音波なら、波長が短いほど高音で、良く聞こえる(一応調べた)。

 テレビとかは、ラジオよりも振動数(周波数)が高く、だから伝達する情報量が多いわけであるが、建物の影とかでは伝わりにくい。想像力を膨らませるなら、太陽光線とかはめちゃくちゃ振動数が高く、膨大な情報量、エネルギーを伝えているわけだが、それで植物やら育っている。もし火山の冬とかになれば、光波は伝わらず、生命は滅びるわけである。

 そういう状況になるとまたチャンネルが変わるわけで、悲惨な現実を見るということになるのか。悲惨な現実といっても、「純粋にエネルギーが足らない状況」を既知の概念で組み立てているわけで、集合点を移動することによって、さらにチャンネルを変えることが可能になるのかもしれない。ナワールの一撃やら力の植物を借りずとも、空腹やら発熱、疲労で、自然に移動するのか。ただ、その状態を固定し続けられるかどうかは、訓練次第か。

 「イーグルの放射物」という集合点を貫く波動があるわけだが、それを知覚し、動かす能力も人間にはあるだけだが、どうやら人間はそれらの可能性を埋めたまま死んでいくようだ。2012年にかけて、そういう能力をスイッチオンしなければいけないのかもしれない。

酒も試しに飲んでみる

2011-04-06 19:30:23 | 悪魔か、踊りか、占いか、禅か、無か
  今、『呪師に成る イクストランへの旅』を読んでいるが、はっきりいってそんなに面白い本とは言えない(最初の辺だからか?)。人間関係は「出会い」の瞬間が全てかもしれないが、アリゾナのバス停留所の待合室でドンファンと出会ったカスタネダは、物凄い衝撃を受けたようである。そして大変な思いをして探し当てたわけだが、向こうもカスタネダが二重のエネルギー構造をしている(呪術師を率いる「ナワール」の資格がある)と見込まれ、教え込まれたわけである。集合点の移動とかも、ドンファンによって体験させられたようだ。

 夢だけでなく、麻薬的植物も、「集合点を移動させること」のための入り口なのであろう。実際にペヨーテやら幻覚キノコを齧ってみたいが、そんなことは出来ないので、久々に酒でも飲むことにした。

 

 多分、低次元への移動になるかもしれないが、「履歴を忘れろ」「自尊心を無くせ」というイクストランへの旅の心がけで(?)、もう酒を飲んでも大した問題ではないだろう。もっとも「インディオ通信」を書く輩に、大した自尊心があるとも思えないが。

 こうやってブログを書きながら、頭の中で感覚を言葉に変換する作業を行っているようでは、別の世界を知覚するにはまだほど遠いだろう。酒がまわってきて、眠くなってきた。プライドを無くすのも、結局のところ、「社会の鋳型」に当てはめて物事をとらえたり、こだわったりして、エネルギーを無駄使いしている、ということのようだ。すべてのものを、我々は先入観で見ている。自分自身でさえも。それ故にその世界に住んでいるわけで、「自分中心」の世界から「社会中心」の世界へ移動できたとしても、それが全てではなくて、津波とか来てそれさえも崩壊してしまう。別の次元の世界があるわけだが…、酒を飲んで、意識が朦朧としてきたところで、今日はもうこれぐらいで(なんか懐かしい感覚だわい)

 

夢は続く

2011-04-06 06:12:13 | 潜在意識の世界
  今朝も夢を見た。内容は「予言的な」夢で、世間で「嘘だろ~」と思われている2012年のアセンション?がズバリ当たっていたという話で、ある男性が登場していた(顔ははっきり覚えている。しかし名前は「中丸薫」だったような…)。単なる幻覚かもしれず、疑わしいので書いても仕方がないが、関東地方が集中豪雨に見舞われたり、仲間とドライブ中に大事故するのを察知してドアを開けて逃げ出したり(そっちの方がやばいだろうが!)、何か全体的に「こんなに未来が分かっていいのだろうか?」「実は未来を知っている人はたくさんいるのです」ってな夢だった。起きる寸前に、やはり一枚の絵を見ていたが、本日の一枚は「テスカトリポカ」(古代メキシコの闇の神)であった(生贄にされるのか)。

 やはり夢の中で自分の手を見ることはできなかったが、もう少し強く夢の中で念じ、「意図」しなければならないのか。夢の中の人間や出来事に振り回されている。高いところから淡々と眺めるようになることは、多分、現実生活の延長だろう。夢見の修業は、日常生活にあり。

 そういえば、昨日の検索を見るに「大切なものを失うこと」で入って来られた方がいたようだ(2年近く前の水晶紛失事件)。東日本大震災で、津波とかで子供を失ったりしたら、親としたら堪らないものがあるだろう。会うは別れの始まりとはいえ、子供の場合、自分が死ぬまで居てくれるものとして考えているわけだ。世界が変わるわけで、古代メキシコの呪術師に言わせれば、無限なる存在によって「集合点を移動させられた」となるのか。

夢の中で自分の手がみられるのか?

2011-04-05 06:18:57 | カスタネダ『呪術の実践』 !
  寒暖の差が激しい。夕方は20℃を超えていたのに、朝は11℃だった。今朝は被災地は軒並み氷点下を超えているらしく、過酷である。古代メキシコの呪術師とかも、ストレスやら空腹・疲れの酷い状況で、集合点を移動させるのに成功し、『夢見の技法』をつくり出したようだ。我が輩も全身が冷たくて空腹で疲れていたような精神状態を体験したことがあるが(少しだけ)、物凄く直感が研ぎ澄まされ、最強なAIの将棋相手にいともたやすく勝った経験がある(試しにとはいえ、何てつまらんことをしたのだ!)。しかし風呂に入り、食べてぐっすり眠ったら、なまくらな元の状態に戻っちまったわい(今朝も朝飯をたっぷり食べています)

 それにしても、夢を見ている最中、自分の手を見ることが、本当にできるのか。今朝も夢は見たのだが、それは流れるままに任せるような夢で、手をじっと眺めるような余裕というか状況などなかったような気がする。夢の中では確かに意識はするのだが、そんなに深く考える間もない、ぼんやりとした意識で、「おや、そういえば…」という間もなく、いきなり思い切ったことを叫んでいたりする。現実では頭では考えても黙っているし、考えただけで行動しないことの方がはるかに多い。いろいろ計算するわけである。その上で最悪の結果にならないように行動するわけだ。

 夢の中でも一応理性があるのだが、こちらも相手もストレートな世界で、喧嘩したり泣いたり、状況は動きまくる。じっと手を見るとしたら、かなり冷静な行為だ。夢の経験をいくつも積み重ね、もはや『クロッシング』に出てきたリチャード・ギア警官のように、「夢でのドタバタなら幾らでもあるさ」と超然としていなければならないだろう。夢の主催者?は、確実に夢見るものを振り回したがっている。

 現実世界もそうなのかもしれない。「エネルギーの蓄積と呪術な修練に努める」ことによって変わってくるのは、夢だけではないかも。

『夢見の技法』

2011-04-03 20:36:55 | カスタネダ『呪術の実践』 !
  最近、あまりに夢が酷く、カスタネダの夢見系の本が欲しくてたまらなくなった。そこで広島市まで探しに行く(なければ、佐伯区楽々園に出来た塩屋温泉だけでいいかと…)

 

 天満屋の2階フロア占領した「丸善&ジュンク堂」へ行く。広島市にも都市高速?のようなものが出来たが、ガラガラだった(風よけの壁?で景色もよく見えなかった)。田舎に長いこと住んでいると異様に大都市に思える。時間があれば比治山やら黄金山に上って撮りたかった。我が輩にとっては、福岡市やら大阪市の方が心を打つものがある。

  それはさておき、さすが中国地方最大書店だ。『沈黙の力』『呪術と夢見』以外、欲しいものは手に入った。『夢見の技法』、これが一番か。他にも、『リモートビューイングの世界』で問題となったロバート・モンローなるヘミシンクの発案者の本も買った。

 さっそく実家の机に並べてみるが、いつの間にか招き猫が置いてあって吃驚する(家で二番目に大きい奴。何で我が輩の机にあるのだ!)

  

 その晩から翌日にかけ、切迫感と根性で一冊音読したが(録音して運転中に聞く)、途中、読んで寝たとき、明日の出来事のような凄まじい夢を見たわけで(目覚めた時に、現実でなくて驚いた!)、これはもう、「夢見の実践」をするしかない。

 夢見は「無限への入り口」であり、努力すればするほど色んな体験やらパワーが手に入るようだ。まずは初歩的な段階で、「夢の中で自分の手を見ろ(何か一定のものを見ろ)」とある。我が輩のように、夢があれこれ変わるというのも、集合点が固定していないからで、夢の中で自分は何も「意図」していなくて、ただ振り回されているだけか。

  そういえば、大昔書いた「メキシコ国立人類博物館」について、ドンファンが言及しているシーンがあった。

 (博物館の中で)「ここにあるひとつひとつのものは集合点を移動させる目的を持っている」彼はつづけた。「どれでもいいからひとつのものを見つめて、心を静寂にして、お前の集合点が移動させられるかどうかを見るんだ」
「移動したかどうか、どうすればわかる?」
「いつもの理解力を超えたところにあるものが見えるし、それを感じることができるからすぐにわかるさ」


 『呪術の実践』や『無限の本質』と重なるところは結構あるが、こっちはより具体的で、より技術的である。夢の中で非有機的存在にあの世に連れて行かれる?とか(罠にはめられる)、そうならないために「意図を叫ぶ」とか、「夢の中で眠っている自分を見つける」とか、夢の中で自分が意識的に動き出したら面白いのかも、と思うのであった。