インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

夢の中で自分の手がみられるのか?

2011-04-05 06:18:57 | カスタネダ『呪術の実践』 !
  寒暖の差が激しい。夕方は20℃を超えていたのに、朝は11℃だった。今朝は被災地は軒並み氷点下を超えているらしく、過酷である。古代メキシコの呪術師とかも、ストレスやら空腹・疲れの酷い状況で、集合点を移動させるのに成功し、『夢見の技法』をつくり出したようだ。我が輩も全身が冷たくて空腹で疲れていたような精神状態を体験したことがあるが(少しだけ)、物凄く直感が研ぎ澄まされ、最強なAIの将棋相手にいともたやすく勝った経験がある(試しにとはいえ、何てつまらんことをしたのだ!)。しかし風呂に入り、食べてぐっすり眠ったら、なまくらな元の状態に戻っちまったわい(今朝も朝飯をたっぷり食べています)

 それにしても、夢を見ている最中、自分の手を見ることが、本当にできるのか。今朝も夢は見たのだが、それは流れるままに任せるような夢で、手をじっと眺めるような余裕というか状況などなかったような気がする。夢の中では確かに意識はするのだが、そんなに深く考える間もない、ぼんやりとした意識で、「おや、そういえば…」という間もなく、いきなり思い切ったことを叫んでいたりする。現実では頭では考えても黙っているし、考えただけで行動しないことの方がはるかに多い。いろいろ計算するわけである。その上で最悪の結果にならないように行動するわけだ。

 夢の中でも一応理性があるのだが、こちらも相手もストレートな世界で、喧嘩したり泣いたり、状況は動きまくる。じっと手を見るとしたら、かなり冷静な行為だ。夢の経験をいくつも積み重ね、もはや『クロッシング』に出てきたリチャード・ギア警官のように、「夢でのドタバタなら幾らでもあるさ」と超然としていなければならないだろう。夢の主催者?は、確実に夢見るものを振り回したがっている。

 現実世界もそうなのかもしれない。「エネルギーの蓄積と呪術な修練に努める」ことによって変わってくるのは、夢だけではないかも。