インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

お人好し

2011-04-27 05:34:40 | 考えるインディオ
  夢のせいではないが、どうも朝から気分が重い。どうも、世の中、お人好しが負担を余計に受けることになっており、我が輩も日常生活でそんな感じなのである。もちろん、見て見ぬふりをすることは出来るし、「自分が楽をできること」を選択できるのであるが、どうも良心が痛むし、「まあ、助けてやるか」ということになる。相手は楽になるけれども、こちら(お人好し)は割を食う。

 このブログを見ている方々も、性質上?、冷淡になれない方が多いと思われるが、お人好しであるということは疲れる。エネルギーを無駄に浪費しているに違いない。しかしやらないと、心が痛み、内的対話で余計エネルギーがなくなるのである。

  人間は利己的であり、自分にとって非常に都合がいい生き物である。苦しいときに、お人好しが出てくれば、とことん利用するだろうし、感謝はするだろうが、見返りに「ありがとう」といえば良い場合だけなら、実に安いものである。

 今回の東北震災のボランティアの人々も、「何かスカッとしない」思いをした人が多いに違いない。これぐらいは自分でやらなければならない最低限のことがあるわけで、それすらやらないのを見ると、何か良いように利用されているのでは、と思いたくもなるだろう。利己的な人間をまざまざと見せつけられるのである。

  福島原発関連の仕事も、放射性物質が高い数値で検出された以上、誰もやりたくないに違いない。しかし誰かが防護服を着て作業しなければならないわけで、それも多分、お人好しが行くことになるのであろう。そして我々は傍観者として「カネをもらってやる仕事だから当然だ」とか、「誰かがやらなければ仕方がないから、仕方がない」(しかし自分は絶対にやりたくない)と、黙って時が過ぎるのを待つのである。事態が落ち着けばいいのであるが、状況が状況なだけにそう簡単ではない。それでも「早く何とかしてくれ!」と他人任せで利己的なのである。

  ただ人間の本質は、そういう非常事態に露出するわけで、「彼は信頼できるな」「これは最後に裏切るな」というのが手に取るようにわかる。「お人好し」も「お人好し」の仮面を被りながら、いろいろ観察し、いろいろ世界について考えさせられるわけであるから、それはそれでためになる(とういうことは、我が輩は純粋なお人好しではないか)。

 もっとも、我が人生でも、これまで色んなお人好しに助けてもらったし、因果が巡りにめぐって、目の前に現れているだけなのかもしれない。かくして朝っぱらから内的対話でエネルギーを多大に浪費するのであった。