インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

夢か現実か

2011-04-20 06:10:07 | 潜在意識の世界
  だいぶ朝日が早くなった(まだ寒いが)。今朝も夢を見たのだが(浸っていた)、あんまり覚えていなくて、むしろその前の日の夢の方が鮮烈だった(しかしブログを飛ばしてしまった)。かなり複雑な「絵」を見たのである。それがまた夢の中で使用されて、夢の中で生きている自分?の問題を解決方向に導いたわけである。まるでミステリー映画である。

 現実の人生も、過ぎ去ってみれば、単なる夢のようなものだったかもしれず、ひょっとして今でも夢を見続けているのかもしれない。ただ肉体を持っているわけで、痛みやら苦しみを感じれば、「現実」というか、「夢ではない肉体な存在」を強く意識するわけである。より現実的に生きようとするのは、その「痛み」が恐ろしいからで、それは人間行動を極端なものにするだろう。たとえば身内ががんで死んだりしてその苦しみ様の凄まじさを目撃したりすると、体が勝手に福島から遠くに逃げざるを得ないわけである(我が輩の祖母も90で…)。

 だからといって、肉体的現実が全てとも思えない。確かに肉体的経験は忘れ難いが、夢の出来事も、なかなか忘れ去られない。鮮烈な夢であればあるほど、まるでミステリー小説の冒頭な出来事のごとく、一週間経っても、一か月経っても、あるいは一年も経っても覚えているのである。そのうち、肉体的経験も薄らいできているので、「あれは現実だったか、夢だったか」混とんとしてくるかもしれない。

 最近、夢を見るのが非常に楽しくなってきて、今でも映画とか観るのだけれども、「所詮つくりごと」である感は否めない。この現実世界とて、夢と同じように謎だらけで、1か月後、半年後とかは予測できても(??)、10年後とかは予測できない。個人の抱えた問題も、時が経て解決するというわけでもなく、経験すれば経験するほど、夢を見れば見るほど、無限の謎に包まれていく。

 今、パソコンを叩いているこの瞬間、頭の中はわけが分からなくなっているため(一体何を書いているのだ?)、頬をつねって現実に戻るのである(ただ寝ぼけているだけだったり)。