田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

市民芸術祭マンドリン音楽祭を聴いて

2024-05-21 18:26:40 | ステージ & エンターテイメント
 マンドリンの繊細な調べがことのほか好きである。期待して出かけたのだが、半分満足し、半分少し疑問が残った…。その疑問とは、「はたしてマンドリンという楽器は合同演奏に向いているのか?」という素朴な疑問である。

    

 5月19日(日)午後、札幌コンサートホールKitaraで札幌市民芸術祭の一環として開催された「マンドリン音楽祭」に参加した。札幌市民芸術祭の各部門の催しは無料、または安価のために参加しやすい催しである。今回の「マンドリン音楽祭」も無料で開催された。
 音楽祭は3部構成となっていて、第1部「独奏・重奏の部」、第2部「学生団体合同演奏の部」、第3部「学生団体・社会人団体合同演奏の部」から成っていた。
 第1部の「独奏・重奏の部」では、次の3組がそれぞれ次の曲を演奏した。
 ◇デュオ・モ・ルエラニ〈マンドリン・マンドラ二重奏〉
        (K.ヴェルキ/古典的様式によるソナチネ3番ニ長調)
 ◇森羅万象〈マンドリン・ギター二重奏〉
(C.ムニエル/スペイン奇想曲)
 ◇Sound₋Hole〈マンドリン・マンドラ・マンドロンチェロ四重奏〉
        (ながえわかこ/「あさひかわ」四つの風景)
 それぞれがマンドリンの繊細な音を奏でる演奏で私の期待を満たしてくれた。特に、森羅万象のお二人の演奏は息の合った素晴らしい演奏だったと私には思えた。
 さて第2部の「学生団体合同演奏の部」であるが、この部には小樽商科大学プレクトラム・アンサンブル藤女子大学マンドリンクラブ「フジ・フロイライン」札幌月寒高校マンドリン部北海道大学チルコロ・マンドリニスティコ「アウロラ」の4団体66名が一堂に会しての合同演奏だった。演奏した曲目は…、
 ◇鈴木静一/狂詩曲「海」
 ◇E.グラナドス/歌劇「ゴエスカス」より間奏曲
 ◇丸本大吾/花の賛歌より Ⅲ.Flower  Ⅳ.Inheritance
 ◇鈴木静一/劇的序楽「細川ガラシャ」
 そして第3部の「学生団体・社会人団体合同演奏の部」では、札幌プレクトラム・アンサンブル北海道教育大学札幌校マンドリンクラブOB・O G会札幌マンドリン倶楽部北海道大学チルコロ・マンドリニスティコ「アウロラ」フィラルモニカ・マンドリーニ・アルバ・サッポロマンドリン・アンサンブル「カシオペア」藤女子大学マンドリンクラブ「フジ・フロイライン」マンドリン・アンサンブル「セレステ」プレットロ・ノルディコ函館北方マンドリンクラブ(特別出演)、と実に8団体105名という大規模の演奏となった。演奏された曲目は…、
 ◇丸本大吾/願いの叶う本
 ◇武藤理恵/コバルトブルーの奇跡~旅立つ君へ~
 ◇木村雅信/タンゴ・シンフォニカ op.288
 ◇K.ヴェルキ/序曲第4番ロ短調
以上の4曲だった。
 残念なことに私はこれら合同演奏の部で演奏された曲のほとんどが印象に残らなかったのである。それは演奏が拙かったからでは決してない。いや、錚々たるメンバーによる演奏はそれぞれ素晴らしかったはずなのにである。
 それはきっと、私の中でマンドリンの演奏はデュオやトリオ、あるいはクワルテットなど少人数による演奏こそが、マンドリンの良さが発揮されると思い込んでいたからではないかと思う。だから私は合同演奏を聴きながら、私の中のどこかで「違う、違う」と思いながら聴いていた節があったように思われる。
 私はできれば少人数とは言わずとも、団体ごとに演奏できなかったか、という思いが残る。きっとそれは音楽祭を主催する側の都合があったのだろうと想像はするのだが…。
 私は今年の春「Mandolin × Guitar Duo 森羅万象」が主催するコンサート「マンドリンの宴」において間近に少人数のマンドリン演奏を聴いてとても感動した体験が忘れられなかったせいなのかもしれない。
 もっとも、会場でいただいたプログラムには各団体のこれからのコンサートスケジュールが記載されていた。私のような思いをもった者はぜひ各団体のコンサートにお出かけくださいという主催者側からのメッセージなのかもしれない。
 そのメッセージを受け止め、できるだけコンサートに足を向け繊細なマンドリンの調べを堪能したいなぁ、と考えている。

さっぽろラウンドウォーク 事前踏査 セクション5

2024-05-20 19:51:42 | さっぽろラウンドウォーク
 気持ち良く晴れ上がった五月晴れの中、JR拓北駅⇒モエレ沼公園間の約13キロを気持ち良く歩き、事前情報もしっかり収集できた。併せて私は札幌学院大のコミュニティカレッジの講座を受講中なので、その予習、復習まで行うことができ一挙両得の事前踏査だった。
  
※ ちょっと見にくいですが、本日歩いたコースです(青色の線)。
 先週末のJRヘルシーウォーキングの疲労がようやく解消したことと、本日特に予定が無かったために懸案の「さっぽろラウンドウォーク」の事前踏査に取り組むことにした。
 朝9時、セクション4のゴールだったJR拓北駅まで列車で移動した。そして拓北駅を9時35分にスタートしたので、だいたい本番で予想している時間帯と同じ時間帯にスタートすることができた。

    
    ※ セクション5のスタート地点のJR拓北駅です。

 コースはJR拓北駅から直ぐに「あいの里緑道」に導かれる。

    
    ※ 拓北小学校側の「あいの里緑道」の入口です。

「あいの里緑道」はあいの里地区の住宅街を取り囲むようにして、その延長距離は約6キロだそうだ。私が「あいの里緑道」に初めて足を踏み入れたのは16年前の2008年8月である。その時は「なんて素晴らしい遊歩道なんだろう!」と感激したことを憶えている。
 緑道は緑の木々に囲まれ、足元にはレンガが敷き詰められ、緑道のところどころにはベンチや東屋が配されているなど地域の方々にとっては理想的なウォーキングコースと思えた。
 それがその後何度か訪れるたびに、緑道には雑草が目立ち始めているのが気になった。本日も拓北小学校のところから緑道に入ったのだが、レンガのほとんどが雑草に覆われ人が歩く細いところだけ僅かにレンガが顔を覗かせているところがあった。私はガッカリしながら道を進んだのだが、あいの里地区の北側部分(北海道教育大学の北側)に入ると以前のように整備された道が顔を出してくれてホッとしながら歩いたのだった。なんとか全体が整備されないものだろうか…。

    
     ※ あいの里の南地区の緑道は残念ながらこのような状態でした。
    
    ※ 住宅街から離れた北側の緑道はご覧のようにすっきりとして気持ちの良い緑道でした。

 コースは「トンネウス沼」を囲む「あいの里公園」に入った。スタートして約6キロ、公園のベンチで一休みするのもいいなぁ、と思いながら公園を通過した。

    
    ※ 途中で通過したJR「あいの里公園駅」です。

 そしてコースはJRの「あいの里公園駅」に導かれる。駅を通過して線路沿いを石狩川に向かって進む。石狩川にぶつかるところでちょうど良い具合に線路の下を潜り抜けられる人道トンネルがあり、石狩川を上流に向けて遡る堤防上を歩く。この直線のように伸びる3キロくらいの広い道の両側には何もないためにとても長い距離に感じてしまった。

    
    ※ JR学園都市線を潜るように人道トンネルができていました。
    
    ※ 人道トンネルを抜けるとご覧のように広く真っ直ぐな石狩川の堤防が走っていました。
    
    ※ 途中で一か所だけ石狩川の水面が見えるところがありました。

 その広い堤防の先に札幌の山奥から流れている豊平川が石狩川に合流する地点を通過した。私は2011年の冬に豊平川の河口から河畔を上流に向かってスノーシュートレッキングをしたことがある。その際にも豊平川が石狩川に流れ込むところを観察したことがある。その際、石狩川は氷結しているのに豊平川から流れ込む水は氷結していないところを見た。後で分かったことだが、豊平川は日本でも有数の急流だということだ。そのため流れる水が凍っていなかったのだと思われた。今日も石狩川の水はやや濁っていたが、豊平川から流れこむ水は比較的青く澄んでいたようだ。(遠目なので詳細は分からないのだが…)

    
    ※ 向こうが石狩川で、手前の豊平川が合流するところです。川の色の違いが判りますか?

 豊平川の水が石狩川に流入する地点から、コースは細い道に導かれゴールの「モエレ沼」を目ざした。周辺はリサイクル業者などが集まっている地域のためかトラックが盛んに行き交う道路だった。第2の休憩ポイントを探したが適当なところを見つけることができなかった。

    
    ※ 札幌には相応しくないような田舎道に導かれました。

 疲れがかなり溜まってきたなぁ、と感じ始めた頃に「モエレ沼公園」への導入路に導かれた。そして「水郷北大橋」という橋から「モエレ沼公園」へと入った。コースはゴールである「ガラスのピラミッド」には直接向かわず、「プレイマウンテン」を遠くに望む「モエレビーチ」を通過してゴールの「ガラスのピラミッド」に到着した。疲れが完全に取れていなかったのだろうか?13キロに3時間も要してしまった。完全なる親爺ペースである。

    
    ※ 田舎道からモエレ沼公園へ導かれる導入路です。
    
    ※ 手前の白い部分は「モエレビーチ」です。休日などには水が張られていて、子どもたちで大賑わいなのですが…。その向こうの山は「プレイマウンテン」です。
    
    ※ 本日のゴール。モエレ沼公園のシンボル「ガラスのピラミッド」です。

 その後、私は持参した弁当を「プレイマウンテン」の花崗岩の階段に腰を下ろして頬張り、その後「プレイマウンテン」の近くにある「テトラマウンド」をあらゆる方向から眺め、土塁を確認して「モエレ山」に向かった。

    
    ※ 「プレイマウンテン」の花崗岩の石段は雑草に隠れていました。
    
    ※ 「テトラマウンド」の下には確かに土塁がありました。

 「プレイマウンテン」と「テトラマウンド」は、講義を受けたことによってこれまで見たものとは少し違ったものに見えたのは錯覚だろうか?
 「モエレ山」にも一応登ってみた。今週の最終講義で「モエレ山」が取り上げられる。いったいどのような話が聴けるのだろうか?
    
    ※ 東区の最高峰(高さ52m、標高62.4m)の「モエレ山」です。
    
    ※ 「モエレ山」山頂からプレイマウンテン、テトラマウンドなどを眺めたところです。

 ところで私たち「めだかの学校さっぽろラウンドウォーク踏破クラブ」の第1回目(セクション1)の本番がいよいよ23日(木)に実施することにしている。クラブ員は全員で6名なのだが、今回は4名で実施の予定である。天候がちょっと心配だが、実施できた場合は、またその様子をレポしたいと思っている。
 ◇事前踏査実施日 5月20日(月)
 ◇事前踏査距離  約13キロ

楽しませてもらった!ライフタイムウィンドオーケストラ

2024-05-19 19:17:13 | ステージ & エンターテイメント
 大音量が炸裂する管楽器の音は迫力十分だったし、馴染み深い曲が次から次へ演奏されて大いに楽しませてもらった。ところがそれにもまして、指揮者の水野厚さんの漫談調のMCが聴衆を笑いに包み、アットホームな雰囲気の中で進行したことも楽しく聴けた要因の一つだった。

    

 昨夜(5月18日)、カナモトホールにおいてライフタイムウィンドオーケストラのファミリーコンサートがあり参加した。
 ライフタイムウィンドオーケストラがどのようなオーケストラなのかは知らなかったが、参加が無料であったこと、オーケストラ名から硬い音楽を志向するオーケストラではないだろう、という思いから参加してみることにした。
 ライフタイムウィンドオーケストラについて、プログラムにオーケストラの歩みが載っているのを見ると、どうやら手稲区を中心として結成されたオーケストラのようである。当日の出演メンバーはなんと70名に達せんとするばかりの大編成だった。(もっとも賛助出演陣が30名もいたようであるが…)
 その大編成が繰り出す音は最初の曲のマーチ「ボギー大佐」から炸裂した。ホール内を圧するがごとくの大音量で響くマーチは圧巻だった。

    
※ 最近のコンサートでは珍しく「フラッシュを焚いての撮影はご遠慮ください」というアナウンスだった。ということはフラッシュを使わねば撮影可能と判断し、演奏中に一枚撮らせてもらったのがこの一枚です。

 この日披露された曲は次のとおりである。
《第1部》
 ◇K.J.アルフォード/マーチ「ボギー大佐」
 ◇久石譲・木村弓/スピリテッド・アウェイ
 ◇久石譲/Summer(ピアノソロフューチャー) ピアノ 高橋瞳
 ◇樽屋雅徳/マードックからの最後の手紙(2021年版)
 《第2部》 
 ◇F.マーキュリー/Don’t stop me now
 ◇E.モリコーネ/モリコーネ・パラダイス(アルトサックスと吹奏楽のための)   アルトソックス 独奏~難波陽介
 ◇B.グレイ/サンダーバード
 ◇K.バデルト/パイレーツ・オブ・カリビアン(サウンドトラック・ハイライト)
 ◇C.ボラン・I.ヘイズ/ボルサリーノ~黒いジャガーのテーマ
〈アンコール〉宮川泰/宇宙戦艦ヤマト
 このラインナップを見た時、私の予想は間違っていなかったな、との思いを強くした。しかし、私のようにその時々の時代に敏感に反応せずに生きてきた者にとっては、馴染みの薄い曲が多かったのも事実である。それでもSummerとか、モリコーネ・パラダイス、サンダーバードなどはどこかで聴いた曲だなぁ、との思いで聴くことができ、心楽しいひと時だった。
 それにも増して、指揮者の水野厚氏の曲の合間のMCが笑わせた。水野氏は中学校吹奏楽部の指導者を長く務められ、実績もある方のようだ。その彼がまるでお笑い芸人かのようにボケまくるのである。「ここは笑うところですよ」などと言いながら…。中には苦々しく思う人もいたかもしれないが、多くの聴衆の方々は水野氏のM Cも楽しんでいたようだ。私もその一人だったが…。乗りまくる水野氏はなんとアンコールの「宇宙戦艦ヤマト」では、マイクを握ってノリノリのワンマンショーまで披露した。

        
 ※ 遠くだったのでボケてはいますが曲間に水野氏が客席に向かって語りかけているところです。

 きっと水野氏が指導するオーケストラの練習風景は笑いの渦の中で進行しているのではないだろうか?
 ライフタイムウィンドオーケストラ…、また聴いてみたいと思わせてくれたオーケストラだった…。

モエレ沼公園を読み解く Vol.2

2024-05-18 16:55:01 | 大学公開講座
 モエレ沼公園の北端に立つ直径2メートルもの太さのステンレスの円柱を三角に組み上げたモニュメントが目立つ。この「テトラマウンド」もまたノグチにとっては記念碑的な作品であるという。その意味について解説を聴いた。

  
  ※ モエレ沼公園の北端に立つ「テトラマウンド」です。

 昨日、私が受講している札幌学院大のコミュニティカレッジの第2講が開講された。講座名は「モエレ沼公園の歩き方 イサム・ノグチの『レジャー空間の彫刻』を読み解く」、
そして第2講のテーマは「《テトラマウンド》という枯山水」と題しての講義だった。
 モエレ沼公園の「テトラマウンド」を見た時、三角に組み立てられた円柱も目立つが、その下部に大きく丸く盛り上がった土塁のように盛り上がった地形も目立つ。

       
  ※ 「テトラマウンド」に近づいてみると、彫刻の下に土塁のような盛り土があります。

 ノグチは1979年にアメリカ・デトロイトのハートプラザに “ドッジ噴水” と称するテトラマウンドを彷彿とさせる鉄柱から水をふんだんに噴出させる噴水を完成させている。また、1970年に開催された大阪万博においても水をふんだんに使った噴水の彫刻を完成させている。

     
 ※ 写真は悪いですが、デトロイトの「ハートプラザ」に造られた「ドッジ噴水」です。

 講師の児玉氏のお話から、ノグチは水が持っているエネルギーに着目したようだ。モニュメントから勢いよく飛び出す噴水の様子から自動車産業景気に沸く街デトロイトをイメージしたようである。また伸長著しい(1970年当時)日本を象徴すべく、会場に噴水公園を造成したようである。

    
    ※ こちらは大阪万博の際に公開された「噴水広場」の様子です。

    
    ※ 講師を務められた児玉哲明氏です。
   
 しかし、「モエレ沼公園」の「テトラマウンド」に噴水はない。その代わりのように丸い形の土塁が築かれている。
 ノグチはその後、アメリカ・インディアン築造の土塁に興味をもったという。 
 さらには京都・龍安寺の枯山水庭園にも興味を示し、龍安寺を訪れた際にたくさんの写真を熱心に撮ったとも云われている。
講師は言及されたかどうか記憶にはないのだが、私はこの話を聴いてノグチ氏の心の変化を感じた。つまり若い頃は水がほとばしる噴水に逞しい生命力のようなものを感じて盛んに噴水彫刻を創ったノグチ氏だが、彼自身が長ずるに及んで逞しい生命力にもいつかはそれが衰えることを感じて、土塁や水のない枯山水庭園に興味をもったのではないかと…。
その思いが、“ドッジ噴水” の様式を継承しながらも水は配せず、しかもテトラマウンドの下に土塁様のものを築いたのではないか、と考えたのだが…。
しかし、この思いは私の浅はかな感想でしかない。底にはもっともっと深い意味が込められているのだろうが、私のように考えるものがいてもいいだろう的な思いが発露してこうした感想を抱いてみた。
 講師の児玉氏が、今回の講義のテーマを「《テトラマウンド》という枯山水」と付けた理由の一端を私も考えてみた、ということである。
 さて、第3回となる最終講義は来る5月21日(金)である。テーマは「空から見る芸術としての《モエレ山》」である。どのようなお話が聴けるのだろうか?楽しみである。    

モエレ沼公園を読み解く Vol.1

2024-05-17 19:12:45 | 大学公開講座
 日系アメリカ人のイサム・ノグチの最後にして最大の作品が札幌にある「モエレ沼公園」であることは多くの札幌市民の知るところである。その「モエレ沼公園」を学術的に読み解くという札幌学院大のコミュニティカレッジに参加した。

 本日、そのコミュニティカレッジの2回目の講座があった。
 講師は北海道芸術学会員でジャーナリストの児玉哲明氏で、1930年代のニューヨークとイサム・ノグチについて長く研究を続けられてきた方という紹介があった。
 講座は5月10日(金)から3回に分けて毎週金曜日に開講されることになっている。その講座名は「モエレ沼公園の歩き方 イサム・ノグチの『レジャー空間の彫刻』を読み解く」と題して、各回のテーマを次のように設定している。
 ◇第1回 二つの《プレイマウンテン(遊び山)》
 ◇第2回 《テトラマウンド》という枯山水
 ◇第3回 「空から見る芸術」としての《モエレ山》
 私がこの講座を受講しようとした動機は、私にとって「モエレ沼公園」は広々としたロケーションと、そこに散在するイサム・ノグチが設計した造形群が魅力的であり、レジャーグランドとしても他の公園とは一線を画す魅力を感じていたのだが、その「モエレ沼公園を学術的に読み解くとはどういうこと?」という素朴な疑問からだった。また新設なった札幌学院大の新札幌キャンパスを一度見てみたいという思いもあった。
 新札幌キャンパスは、地下鉄「新札幌駅」に近接した「札幌市青少年科学館」の裏手に近代的な建造物として屹立していた。内部も近代的装いが施され、学生たちにとっては学びやすい、憩いやすい空間ではないかと思えた。

    
    ※ 新設なった札幌学院大学の新札幌キャンパスの外観です。

 さて今回は第1回講座の「二つの《プレイマウンテン(遊び山)》」の講義のみについてレポしたい。
 「モエレ沼公園」内には、「プレイマウンテン(遊び山)」と「モエレ山」という二つの山がノグチの作品としてあるが、今回児玉氏は高い方の「モエレ山」(標高52m)ではなく、敢えて低い方の「プレイマウンテン」(標高30m)をその対象とした。というのも、「プレイマウンテン」の方は、ノグチ氏が長年抱きながら実現できなかった構想を、「モエレ沼」において実現できたというストーリーがあるからだったようだ。

※ プレイマウンテンを北側から見た図です。この緩やかな道を辿ると頂上に導かれます。

 そのストーリートは、ノグチ氏は自らの芸術を模索する中で、自らの作品は抽象彫刻であるが、それを子どもの遊び場(プレイグランド)としてつくることに執念を燃やした芸術家だったという。

   
   ※ 反対の南側は、花崗岩をピラミッドのように階段状に積み上げています。
 
 その構想は1930年代からあって、1933年にノグチ氏はニューヨーク市に対して構想を具体化したプレイマウンテン(遊び山)を提案したが受け入れられなかったという。ノグチ氏にとって1930年代は氏が30歳代と若い時期である。それからの紆余曲折の中、ノグチ氏は彫刻家として大成していくのだが、プレイマウンテン構想は実現せぬまま時が経過していた。
    
    
   ※ イサム・ノグチ氏が1933年にニューヨーク市に提案したプレイマウンテンです。
      モエレ沼公園のプレイマウンテンによく似ています。

 ノグチ氏の晩年、札幌市からゴミ集積場だったモエレ沼の公園化の話が持ち掛けられ、そこに彼の念願の構想が実現することとなった。1988年11月、ノグチ氏は「モエレ沼公園」の模型(マスタープラン)を完成させた。ところがノグチ氏は同年12月急病によって急逝してしまったが、後継者の手によって建設が進められ2005年グランドオープンした。

   
   ※ プレイマウンテンの頂上からモエレ沼公園を俯瞰した図です。真ん中の白いものは
     コンサートなどを開催できるミュージックシェルです。ここプレイマウンテンで野
     外コンサートなどをぜひ体験したいと思います。
    
 そうした背景を知り、次回「モエレ沼公園」を訪れた時には、これまでとは違った目でプレイマウンテンを見ることになるだろう。
 なお、Wikipediaではプレイマウンテンについて次のように説明している。
「ノグチが1933年(昭和8年)に発案したセントラル・パークに遊園地をつくるプランの『遊び山』の構想が初めて実現したもの。ピラミッドをモチーフにした99の石段を積み上げた斜面と、白い1本の道が頂上へと続く斜面がある山(高さ30m)」


特殊詐欺?君子、危うきに近寄らずかな?

2024-05-16 19:52:36 | 「めだかの学校」関連
 高齢者の特殊詐欺被害が多発しているという。関連講座で自己診断したところ「だまされやすい」という診断結果が出た。くわばら、くわばら…。ふだんかかわりのないことには近づかないことが何より、ということを肝に銘じた。

   

 話題は少し古くなったが、今週の月曜日、5月13日(月)は「めだかの学校」の学習日だった。
 現在「めだかの学校」では「賢いシニア生活を送るために」というテーマで外部講師を招き学習を展開している。今回は4月に続いて第2回目の学習だったが「犯罪被害を防ぐ~ネット、S NSの脅威~」と題して、札幌市地域振興部の課長様の講義を受けた。
 席上、「だまされやすさを測る心理傾向チェック」と題するチェックシート(図を参照ください)で自己診断を求められた。私の自己診断結果は「危険度レベル1」と出た。「危険度レベル2」ほど深刻ではなかったが、私の心理傾向が危険な傾向にあることは間違いない。このことを私は肝に銘じたいと思った。

    
 講座では、高齢者がだまされた事例を次々と紹介された。すると「自分がだまされるわけがない」と考えていた高齢者がいとも簡単にだまされた事例が多いことが一つの傾向のようだった。講師は云う。「相手は人をだまそうとしているプロです。私たち一般人が敵うわけがありません」と…。
 私は先の心理傾向チェックにおいて「だまされやすい」心理傾向にあると自己理解しているので、「危ういものには近づかない」ということをこれまで以上に自分自身に徹底したいと思う。
 最近の詐欺被害の事例のほとんどは “電話” を介したものである。お金に関する話が出るなど “おかしい” と思った時にはすぐに相談をしましょう!注意を受けた。そして下のように相談先として「警察相談ダイヤル」♯9110を紹介された。

    

 講義を終えた後、「めだかの学校」の会員だけで話し合いの場をもった。その中で各々の生活を振り返った。会員のほとんどは現在のところ危険な事例を体験した方はいらっしゃらなかった。また、スマホの使用事例も通話と調べものに使用するくらい、ということであまり危険は感じてはいないようだった。
 しかし、それがある意味危険なのかもしれない。私は「いつ危険な場に遭遇するか分からない。身近に危険が潜んでいると考え、危ういものには近づかないことを徹底しませんか?」と呼びかけた。
 「賢いシニア生活を送るために」の講座はこれからも続く。危険を回避し、安全な老後を送るために互いに学び合っていきたいと思っている。

どうしたの?快調ファイターズ戦を観戦

2024-05-15 19:43:37 | スポーツ & スポーツ観戦
 昨年までの低迷はどこへやら?前半戦を快調に戦う日本ハムファイターズの戦いぶりをこの目で見ようと、昨日友人たち3人とエスコンフィールドに出かけて対西武戦を観戦したのだが、この日の戦いもまた胸のすく快勝だった!

 昨日(5月14日)午後、エスコンフィールド日本ハム VS 西武の対戦を友人たちと一緒に観戦した。
 実は4月に友人たちと食事をした際に「たまあに野球観戦もいいねぇ」ということになり、「我々オジンとしてはナイターより、昼の試合の方が帰ることを考えたら良いねぇ」という話になった。そこで日本ハムの対戦スケジュールを見てみたところ、平日の午後の試合開始という願ってもなかなかない対戦が見つかった。それが5月14日(火)と15日(水)の午後1時試合開始の対西武戦だった。
 そして友人たちとスケジュールを調整し、5月14日に観戦すること決定し、3塁側内野席のチケットを手配した。3塁側を選んだのは、日本ハムのダッグアウトがよく見えるだろうという考えからだった。

   
   ※ 試合前、お爺3人組で球場の外で記念写真をパチリと…。

 昨日は好天だったが平日にも関わらず入場者数は24,000人余りだったいう。最大収容人数35,000人(客席は29,000人)というから70%弱の入場割合で、上々の集客数である。観客の中に小中高生の姿が目立った。伝えられるところによると、球団が積極的に道内の小中高に入場のセールスをしたようだ。結果、道内32校の学校から4,800人の児童生徒たちが教育(修学)旅行、課題活動という名目で観戦に訪れたそうだ。

   
   ※ 試合前、私が期待する野村選手は3塁のノックを受けていました。

 対戦の結果はすでに報道などで知らされているので簡単にその結果をレポすると、先発の山崎福也投手が巧みな投球術で西武打線を手玉に取り1失点で完投し、早くも今シーズン4勝目を挙げた。打線の方はそれほど活発というわけではなかったが、伏見、マルチネスの適時打、相手守備陣の乱れも手伝い4対1と危なげない勝利を収めた。

   
   ※ この日の先発・完投勝利の山崎福也投手の投球フォームです。

 この数年、万年最下位の座が定位置だった日本ハムが堂々の第2位をキープしている。いったい、どうしたのだろう?けっこう日本ハムをウォッチングしている私としては今一つ腑に落ちないところである。

   
   ※ 勝利が決定した瞬間、女房役の伏見捕手と勝利を称え合う山崎投手です。

 確かに投手陣は整備されてきた感がある。先発陣が役割を果たし、リリーフ陣の安定感も素晴らしい。打線もこれまでとはずいぶん顔ぶれが様変わりしたようだ。それが今のところ上手くかみ合っている感があるのは事実である。
 道民の一ファンとしてはとても嬉しいのだが、この好調がいつまで続くのかという一抹の不安もどこかにはある。

   
   ※ ベンチで試合を見守る新庄監督です。

 エスコンフィールド内の壁の一角に描かれた往時の日ハムの大スター、ダルビッシュ、大谷翔平が在籍した時代の強い日本ハムが再来することを願っている。

     
    ※ ダルビッシュ、大谷選手の大壁画(?)の前でも記念写真を一枚パチリと。
  
 お爺ちゃんたち3人は、日本ハムの快勝を見届け、大いに満足をして球場を後にしたが、「今回のように年に何度かは球場で観戦するのもいいねぇ」と話し合いながら帰路に就いたのだった…。                                

ヘルシーウォーキング㉛ in秀峰「駒ヶ岳」と大沼湖畔周遊ウォーク

2024-05-14 18:38:12 | JRヘルシーウォーキング
 右手に大沼の水面を見ながら、左手には湖畔に広がる深い森を眺めつつ、大沼を右回りに一周した。深い森からは鳥たちの恋のさえずりが絶えず聴こえる中、やや単調ではあったが周遊後半は木々の間から駒ヶ岳を眺めながら湖畔周遊を楽しんだ。

    

 5月12日(日)、前日の二つのウォーキングで疲れた私はぐっすりと眠ることができ、そのおかげで疲労から回復することができた私は大沼湖畔に移動して、この日のウォーキングを楽しんだ。
 天気はこの日も朝から晴れていた。観光地の大沼もまだ朝の8時30分では人の姿もまばらな中、大沼公園駅をスタートした。最初は鉄路に沿って大沼と小沼を隔てる狭い陸路を通り、湖畔一周の道路に出た。

    
     ※ 今回のS & G地点となった「大沼公園駅」です。
 
 道路は一車線の細い道路だが、歩道はしっかりと確保されていた。緑濃い中、右手に大沼、左手には大沼の深い森が続く中を歩く。深い森の中からは盛んに小鳥たちのさえずりが聴こえてきた。きっと春になって鳥たちにも恋の季節がやって来たのだろう。晴れた空から注ぐ陽の光は、小枝を通して路上に届くのだが、それが木漏れ日となって路上に模様を描いているのを見ながらのウォーキングは心楽しいものがあった。

    
    ※ スタートして直ぐに出会った大沼の水面です。
    
   ※ 同じくスタート直後の大沼の水面には写真のような小島がたくさん見えました。
    
    ※ 行く手の左側は深い森が広がっていて野鳥が盛んに鳴き声を発していました。
    
    ※ 道路の表面の模様は木漏れ日が映し出す光景でした。

 大沼の周遊するコースの中に特に目立った施設や見どころは少ないようだ。敢えて言えば「大岩園地」、「東大沼キャンプ場」くらいだろうか?あとは淡々と路上を歩むだけのコースである。

    
    ※ コース中盤近くにあった大沼に飛び出たところが「大岩園地」です。

 時おり出会うのは車がほとんどであるが、道路と並行してサイクリングロードが走っているため、ランナーが走っていたり、サイクリングを楽しんだり人とも出会った。大沼一周14キロのコースは平坦でランニングの練習コースとしては最適なのかもしれない。ただ私のように歩いている人はお目にかかれなかった。もっとも、ヘルシーウォーキングを楽しむ人は私と同様に右回りを指定されているので同方向を歩くかぎり出会えないのも道理かもしれない。

    
    ※ レンタサイクルで周遊する観光客の人たちです。
    
    ※ 周遊コースでランニングに励んでいる人たちにたくさん出会いました。

 「大沼」自体はマップで見るように紡錘形に近い形なのだが、観光客の多くが立ち寄る大沼の公園広場と全く正対するように反対側に位置するのが「東大沼キャンプ場」である。ここに立ち寄ると、この日が日曜日だったことで前日からキャンプの楽しんでいた若者のテントが立ち並んでいた。

    
    ※ キャンプ場はまだ最盛期ではないためあちこちへとテントが散在していたためこのように一つのテントしか写せませんでした。

 キャンプ場から後半の帰り道は立ち寄る施設もなく、ただただスタート地点を目ざしてのウォーキングとなった。時折り、木々の間から大沼越しに見える駒ヶ岳の雄姿がとても鮮やかだったのが疲れを一時癒してくれた。    
  
    
     ※ ウォーキングの後半、大沼の南側を歩くと湖面の向こうに駒ヶ岳の雄姿を望むことができました。

 しかし、全体としてはやや単調なコースで、歩いての一周にはやや不向きなのではと思えた。観光的に大沼の自然を感じながら満喫する手段としては、レンタサイクルでサイクリングコースを巡るのが最適かな?と思えた大沼周遊コースだった。

    
    ※ ゴール前に大沼観光の中心地の公園広場に立ち寄ると、たくさんの小さな島々を眺めることができ、その島々を周遊してきました。

 それでも私にとって2日間で、3コース37キロ+α(歩数計では48キロと出た)を歩き通せたのは大きな自信になった2日間だった。さあ、次のJRヘルシーウォーキングはどこ?
    
    
    ※ ゴールの大沼公園駅前の様子です。

◇ウォーク実施日  2024年5月12日(日)
◇歩いた距離    14 .0 km
                                           

ヘルシーウォーキング㉚ in西洋式農法発祥の地、七飯・赤松街道ウォーク

2024-05-13 18:36:06 | JRヘルシーウォーキング
 北海道新幹線の直ぐ脇を延々と歩き続け、次には田植え前の水田地帯を往き、最期は赤松街道を往くというルートはある意味で退屈だった。函館市のウォークに続いての12.5キロはお爺にはけっこう負荷のかかったものとなった。

   

 5月11日(土)、函館市のヘルシーウォーキングを午前11時過ぎに終えた私は、参加者割引を利用して函館の「ハセガワストア」の名物「焼き鳥弁当」を頬張り、七飯町に移動した。
 七飯駅からウォーキングを開始したのは12時35分だった。

    
    ※ 小ぶりながらも瀟洒に見える七飯の駅舎です。

 駅から直ぐにJR函館本線と並行するように走る北海道新幹線を目指し、新幹線のコンクリート橋の下を潜り、新幹線と並行して走る道路へ出た。そこは七飯町ではなく北斗市の市域ではないかと思われた。

    
    七飯駅からそれほどの距離でないところに北海道新幹線が走っていました。
     線路は写真のように全体がコンクリートで嵩上げされたところに走っていました。

 新幹線が走るところ(新函館北斗駅の近く)は土地が低いのだろうか、往く手の右側は見渡すかぎりコンクリートの橋脚で嵩上げされたところを走っていた。一方、左手には広大な水田地帯が広がっていた。ところがその水田と思われるところには田植え時期が近いと思われるのに水は張られていないばかりか、水田に水を引く水路にも一滴の水も見られなかった。「えっ?今年は稲作をしないのかな?」と思った私は、帰宅してから北斗市に問い合わせた。ところが担当者の回答はどうも要領を得ないものだった。「これから水を入れるのかもしれないし、他の作物を作るのかもしれない」と…。見たところ苗を育てるビニールハウスも見当たらなかった。あるいは転作するのかもしれないと思いつつも、疑問が残ってしまった。

    
    ※ 線路の反対側には水も張っていない広大な水田(?)が広がっていました。

 およそ3キロの新幹線沿いのウォークの中、新幹線が一度通過した。しかし、姿が見えたのは新幹線列車の屋根の部分のみだった。私はまだ北海道新幹線に乗ったことはないが、乗客はおそらくコンクリートの壁を見るのみではないか、と思われた。

    
    ※ コンクリート壁の上辺をよく見てください。青色の新幹線の屋根が見えます。

 「新函館北斗駅」が視界に入ってきたところから右折して、今度は七飯町の道の駅「なないろ・ななえ」を目ざしてのウォークとなる。こちらの方は視界の両側は水田地帯が広がるばかりの単調な風景がやはり3キロくらい続いた。

    
    ※ 広大な畑地帯に忽然と現われた(?)新函館北斗駅周辺を遠望しました。
      右手の建物が新函館北斗駅です。
    
    ※ 北海道新幹線の線路わきを離れ、国道5号線に向かう道路です。

 行き当たったところが札幌⇔函館間を結ぶ国道5号線である。そこに道の駅「なないろ・ななえ」があった。

    
    ※ 国道5号線沿いに建つ七飯の道の駅です。奥の黒い建物。

 今回は立ち寄ることをバスしたが、道の駅に併設するように「THE   DANSHAKU LOUNGI」という施設が建っている。私は以前に訪れた時に立ち寄っているが、七飯町の近代農業の功労者である川田龍吉男爵がアメリカから輸入した農工具などを展示し、近代農業の歴史や当時の生活様式を伝えるミュージアムになっている施設となっていてなかなか興味深い。

    
    ※ 道の駅の隣に建つ「THE   DANSHAKU LOUNGI」です。

 そしてコースは長い長い赤松街道を往くことになる。赤松街道とは、国道5号線の七飯町の町域部分に植わっている赤松の並木を指すものである。その由来は、明治9(1876)年に明治天皇が七飯町を行幸されたことを記念して移植され、並木となったそうである。

    
    ※ 赤松の並木が健在だったころの写真です。(ウェブページから拝借)

 私は以前に何も知らずにこの通りを車で走って大感激したものである。見事な赤松の並木は札幌などでは見ることのできない景色だったからである。ところが、私が歩いた七飯駅までの北半分は、すでに当時の面影を欠いたものになってしまっていた。それは赤松が街の発展の妨げとなるため一部が伐採されたり、あるいは病気のため枯れてしまったりしたのか、欠けているところが目立っていた。私が以前に目撃したところは、あるいは町の南側部分だったのかもしれない。いずれにしても往年のような見事な赤松並木を見ることはできなかったのはちょっと残念だった。

    
    ※ 私が歩いた中で、最も状態の良かったところの赤松街道の様子です。

 疲れがピークに達した赤松街道歩きはかなりきついウォークだったが、約2時間40分で完歩することができた七飯町ウォークだった。  

◇ウォーク実施日  2024年5月11日(土)
◇歩いた距離    12 .5 km

※ 昨日、PCに取り込むことのできなかった写真ですが、なんとか取り込むことができました。そこで昨日アップしたものにも写真を貼付することができましたので、できればご一覧ください。

ヘルシーウォーキング㉙ in津軽海峡の絶景と開国ロマン漂う函館ウォーク

2024-05-12 20:22:02 | JRヘルシーウォーキング
 北海道でいち早く発展した函館は異国情緒が漂う観光都市である。見どころを巧みに織り込んだコースは距離10.5キロと短めではあったが、好天にも恵まれ楽しく歩くことができた。

    

 5月11日(土)早朝、遠く函館までスタート時の午前9時に余裕をもって間に合うように我が家を午前3時に出た。
 函館駅前は外国人を含め多くの観光客で朝から賑わっていた。函館には何度も訪れているが、いつも車を使用しているため駅そのものを見ることがなかったのだが、今回訪れてみて駅舎も駅前の様子も「さすがに観光都市だなぁ」との思いを強くした。駅舎内は土産物屋さんが軒を連ね、駅前は鮮やかな花壇が観光客を歓迎していた。

    
  ※ 函館駅前の様子です。左手に見事な花壇があるのですが収められませんでした。    

 その函館駅の一角に陣取った「JRヘルシーウォーキング」の事務局で受付を済ませ、早速ウォーキング開始である。まずは駅横に展開する「函館朝市」の前を通り、それに続いてホテルや水産会社などのビルの谷間を行くと、これも函館観光の目玉の一つ「金森赤レンガ倉庫群」が見えてくる。その倉庫群の前は箱館港である。

    
    ※ 函館駅前の直ぐ横手には函館朝市の店が軒を並べていました。
    
    ※ 函館観光の目玉の一つ金森赤レンガ倉庫群です。

 そしてコースは港地区から函館山に向かうように数多くの坂があるのが有名だが、その中の「基坂」というから数ある中の坂の基本ということだろうか?その坂を上り切ったところに「元町公園」がある。その元町公園の一角には青と黄色に彩色された「旧函館区公会堂」がある。

    
    ※ 基坂を往くウォーキング参加者です。
    
    ※ 元町公園の奥に旧函館区公会堂が華麗な姿で建っていました。

 そこからコースは由緒ありそうな石畳の道を行くと教会や寺社が立ち並ぶ地区となる。昨年は改修中だった「函館ハリスト正教会」も改修を終え、その全貌を見せていた。

    
    ※ 由緒ありそうな石畳の道路です。
    
    ※ その一角に建つ函館ハリスト正教会です。

 そしてさらに進むと「函館公園」に導かれる。この「函館公園」は「五稜郭」と共にソメイヨシノの名所である。もちろん今はその季節は過ぎ去っていたが…。

    
    ※ 函館公園のエントランスです。遠くに函館山が見えます。

 コースは続いて由緒ありそうな「函館八幡宮」の鳥居の前を通過する。鳥居からは急な階段が続き本殿は目にすることができないくらい大規模な神社のようだったが、立ち寄る余裕はなかった。

    
    ※ 函館八幡宮の第一鳥居です。本殿は遠く高い森の中に鎮座しています。

 そしてコ―スは「立待岬」に向かう。「立待岬」は津軽海峡に突き出た断崖である。「立待岬」からはちょうど函館駅側とは反対の箱館市街が望見できた。

    
    ※ 津軽海峡に突き出た「立待岬」の突端です。

 その「立待岬」に向かう上り坂の途中には歌人の石川啄木一族の墓が道端に建っていた。

    
    ※ 函館に縁の深かった啄木一族のお墓です。

 「立待岬」からは函館駅側とは反対の海岸線をひたすら北へと帰り道のように歩いたが、周辺は漁業関係者の住宅が多い漁師町といった風情だった。この日は晴れていて前半は歩いているとけっこう暑かったが、海岸線に出ると浜風が気持ち良かった。そして函館市の函館港と津軽海峡を隔てる陸地の最も細くなったところを横断するようにしてゴールの函館駅に還ってきた10.5キロのウォーキングコースだった。

    
     ※ 漁師町の風情が残る海岸近くの住宅地です。
    
    ※ 好天のこの日、海岸線から吹く海風が心地良かったです。

 函館市は近年、人口減が著しいと聞いている。しかし、国道5号線で札幌方面から函館駅を目ざすと、ちょうど函館市を縦に縦断するように走る。そのかぎりにおいては、相当な大都市に見えてあまり衰えを感じないように見える。しかし、それはあくまで外からの目であって、実状は相当に厳しいのかもしれない。北海道の玄関口であり、歴史もある函館市がいつまでも魅力的であってほしいと願うのは私だけではあるまい。何度でも訪れてみたい魅力ある函館がいつまでも元気であり続けたいと願いながら、「津軽海峡の絶景と開国ロマン漂う函館ウォーク」を終えた。 

                              
    ※ ゴールの函館駅前のモニュメントですが、下を向いているのでしょうか?それとも仰向けの姿勢でしょう???

◇ウォーク実施日  2024年5月11日(土)
◇歩いた距離    10 .5 km