田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌Cafe紀行 №122 サッポロ珈琲館 北円山店

2020-03-21 16:29:15 | 札幌Cafe紀行

 ビルの谷間にひっそりと建つ古民家を再利用した珈琲館は、内部は和モダンといったつくりで落ち着ける空間だった。久しぶりの本格的なカフェ訪問だったが、オーダーしたカフェオレも、プレーンワッフルも満足の一品だった。

       

 今日は風が冷たい一日だったが、空は晴れていたので一昨昨日に続いて春の兆しを探しに自宅周辺を中心に10キロほどあちこちと歩いてみた。しかし、まだ日当たりの良い戸建て住宅のどの庭先にも花らしきものを見かけることはなかった。

 ガッカリしながら帰路についた時、「そうだ!」(とここで膝を打つ)「過日(3月9日)のぶらり散歩で見かけたカフェに寄ってみよう!」と思い立った。それはブログの上での知人である出ちゃっ太さんのたっての希望でもあったからだ。(あれっ?希望してたかな?)

   

 というわけで北6条西20丁目のビルの間に建つ古民家を再利用した北円山店を午後1時過ぎに訪れた。内部は建築当時のつくりを極力そのまま活かしたというが、当時としてはかなりモダンな暮らしをしていたことが想像されるような感じだった。窓際のディスプレーや、テーブル・椅子なども凝ったつくりで和モダンを演出していることが感じられた。

   

 店内は休日とあってグループやカップルの客が目立った。私は小腹が空いていたこともあって、ワッフルとカフェオレをオーダーした。するとそれらが出されるまでにけっこうな時間待たされた。店のホームページを見てみると、ワッフルは注文が出されたから焼くため「少々時間がかかる」と出ていた。納得である。

   

   

 提供されたプレーンワッフルは予想していたよりボリュームがあったのでちょっと驚いたが、甘みをやや抑えた上品な味が好ましかった。また、最近はコクのあるコーヒーは苦手になりつつある私にはカフェオレも優しく感じられて良い味だった。

   

 午後のひと時、オヤジが一人でカフェに佇む図はどうなのだろう?次の機会には出不精の妻と一緒に来てみようかな?

【サッポロ珈琲館 北円山店 データー】
北海道札幌市中央区北6条西20丁目1-5

電  話  011-615-7277

営業時間  9:00~21:30

定休日  月曜日(基本は月曜日だが、変更の場合有り)

駐車場  有(10台)
座  席  55席(カウンター席・個室あり)

入店日  ‘15/09/20

 

※ というわけで、5日ぶりに映画関連以外の投稿ができたが、アカデミー賞関連のDVDはまだ残っている。明日からまたしばらくは映画関連の投稿が続きそうである。


映画 桐島、部活やめるってよ №276

2020-03-20 16:22:38 | 映画観賞・感想

 映画を観終えての私の正直な感想は「何、これ?」という思いだった。私にはまったく映画の良さが伝わってこなかった。ただ「戦おう、ここが俺たちの世界だ」という主人公の一言が引っ掛かったのだが…。

          

 まるで私のブログは「映画観賞・感想」に特化したかのようなブログに変貌してしまった感がある。本日を含めて11日間の内10日が映画関連なのだから…。これも新型コロナウィルスの感染拡大の大波を被っているためである。食傷気味とは思われるがお付き合いいただければ幸いである。

 本日取り上げた映画「桐島、部活やめるってよ」(2012年制作)は2013年の日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した作品である。原作は当時早稲田大学在学中の朝井リョウのデビュー作で小説すばる新人賞を受賞した作品である。

 映画を観終えて、感性の衰えた私には正直言って「何、これ?」という感想だった。私にはただただ某高校の放課後のあるクラスの生徒の恋話程度にしか映らなかったのだ。ところが映画の最後の方で主人公(と後になって気が付いたのだが)の映画部の前田涼也(神木隆之介)が放った一言「戦おう、ここが俺たちの世界だ。俺たちはこの世界で生きていくしかないのだから」というセリフが引っ掛かったのだ。

    

 映画を振り返ってみると、ある田舎の高校の一クラスの中を映し出すものだったが、その中で、前田涼也はクラスの中で目立たない、暗いおたくたちが集まっているとされる映画部の一員であった。それはある意味でクラスの中では周りからはおいていかれた存在であった。

 一方、題名にもなっている“桐島”はバレーボール部の主将を務め、勉強もそこそこできて女生徒からも人気があり、クラスの中で目立つ存在の女生徒(飯田梨紗)と付き合っている。男子は桐島を中心として、女子は桐島の彼女である飯田梨紗(山本美月)を中心としてクラスの中にヒエラルキー(序列化された階層)のようなものが存在していた。

 そう考えると、はるか60年近く前の自分の高校時代にも確かにそのようなものが存在していたように私の中に蘇ってくる。もちろん現在のそれとはかなり異質なものであるに違いないと思うのだが…。

 結局、映画の中に“桐島”は一度も登場しなかったのだが、“桐島”が所属していたバレーホール部を辞めるということが、クラスの中に大きな波紋を呼んだということだ。

 映画では終盤になって前田たち映画部(前田は監督を務めていた)がゾンビの映画の乱闘シーンを撮影中に、“桐島”の取り巻きの生徒たちが乱入するのだが、ゾンビ役が前田の指示で乱入した生徒たちを大乱闘の末に追い散らすことに成功した。その乱闘の最中に前田が発した言葉が前述のセリフである。

      

 ここに至って私はようやく原作者の朝井リュウのねらいがうっすらと見えてきたような思いになった。つまり、高校のクラスの中には隠然たるヒエラルキーのようなものが存在するが、「目立たぬ生徒、自信をなくした生徒たちよ、怯むことない!堂々と生きていこうではないか」というエールを送ったのではないか、と思うのだが…。違うかなぁ…。

     

 いやいや、映画っていろいろと考えさせてくれますなぁ。そこが映画の魅力のひとつかな?

 

 


映画 アーティスト №275

2020-03-19 16:09:03 | 映画観賞・感想

 なんと映画は2011年制作だというのに、全編モノクロフィルムであり、サイレント映画なのである!カラーフィルムで俳優が発声する(トーキー映画)のが至極当然の時代に、敢えてモノクロ、しかもサイレントにしたところがかえって新鮮に映ったのかも?

        

 映画「アーティスト」(2011年制作)は2012年のアカデミー賞最優秀作品賞を受賞した作品である。映画がモノクロ、サイレントを採用したのは映画のストーリーと大いに関係がある。

 映画の主人公ジョージ・ヴァレンティン(ジャン・デュジャルダン)はサイレント映画のスターとして君臨していた。そこへ現れたのがまだエキストラにすぎなかったペピー・ミラー(ベレニス・ベジョ)だった。その二人があるところで交錯し、互いに惹かれ合うものを感じながらもそのまま何事もなく別れた。

      

      ※ 絶頂期にあったころのジョージとそれに憧れたペピーの様子です。

 ところが時代は二人の立場を大きく変えてしまうことになる。映画の世界ではサイレント映画からトーキー映画へと移行し始めていた。しかし、サイレント映画で大スターにのし上がったジョージはサイレントを捨てきれずに時代においてゆかれた。一方、ぺピーは時代の波に乗ってトーキー映画の世界でスターに駆け上っていく。

 時代の変化に自分をどう処していくか?その時代において成功体験をした者にとって難しい問題である。ジョージはサイレント時代において自分こそがアーティストだという思いが彼を時代遅れにしてしまったようだ。私は寡聞にして知らないが、日本においても娯楽の主流が映画からテレビへと移行する時代があった。その時、あくまで映画にこだわったことで時代の潮流に乗り遅れてしまった映画俳優がいたように聞いているが、真相はどうだったのだろうか?

       

       ※ 落ちぶれた自分の境遇を嘆くジョージの図です。

 ジョージは幸いにして、ペピーの助けもあり最後はハッピーエンドを迎えることができたのだが…。

 この作品がアカデミー賞を受賞した理由の一つとして、カラー映画(トーキー映画)が当たり前の時代にあってモノクロ、サイレントという新鮮さというか斬新さが目を惹いたことが挙げられるだろう。さらには、映画界の内幕ものとして確かにそうしたことが過去の映画界にあったであろうことを示唆した部分も受賞を後押ししたのではと推測される。

 映画「アーティスト」は単にモノクロ、サイレントにしただけではなく、映画のつくり、雰囲気も1920年代を彷彿させるものとなっている点も評価されたのだろう。

 そして、主演のジャン・デュジャルダンはスターとして絶頂の時期、そして落ちぶれていく様を巧みに演じ、この年の主演男優賞を併せて受賞している作品である。

 楽しめた映画だった。


映画 アルゴ №274

2020-03-18 15:32:24 | 映画観賞・感想

 この映画は1979年、イランで実際に起こったアメリカ大使館人質事件の救出作戦を描くサスペンスドラマである。実話を基にしてエンターテイメントとして仕上げた映画はスリルいっぱいで観る者を十分に楽しませてくれた。

        

 映画「アルゴ」(2012年制作)は2013年のアカデミー賞最優秀作品賞を受賞した作品である。

 イランは1979年2月、それまでのパーレビィ国王体制が崩壊し、ホメイニー師を中心とするイスラム国家が誕生した。それまで独裁体制を敷いていたパーレビィ国王の亡命を米国が受け入れたことに反発したイスラム教徒たちがその年の11月在テヘラン米国大使館を占拠し、52人の米国外交官たち大使館職員が人質に取られた。だが、大使館占拠前に6人の大使館職員らがカナダ大使公邸に逃げ込んだ。映画はこの6人を救出するために秘術を尽すストーリーである。

 映画は監督・製作・主演を兼ねたベン・アフレックの映画といって良いだろう。ベン・アフレックはCIAで人質救出を専門とするトニー・メンデス役を演じたが、彼はいかにもCIAの有能な秘密工作員という役柄をその端正な表情と共に好演していた。

     

   ※ 6人の救出のために作戦を練るトニー・メンデス(ベン・アフレック)です。

 救出劇は観ている者をハラハラドキドキさせたが、実際とはかなり異なりエンターテイメント性を重視した作りなっているらしいが、観客にとってはそのようにしたことで一層のスリル感を味わわせてくれたようである。

 話はちょっと逸れるが、イランとパーレビィ国王については、私にも思い出がある。私のブログに以前からアクセスしていただいている方はご存知かと思うが、私は1968~1969年にかけて学生だった頃、ヨーロッパ・中近東・アジアを彷徨して歩いた経験がある。イランの首都テヘランにはトルコ、イラクを経由して1969年の1月に訪れている。(その後、アフガニスタン、パキスタン、インドへと旅は続いたが)その時、テヘランで感じたのはそれまで訪れた中近東諸国とは明らかに国の様相が違い、街がアメリカナイズされていたことだ。ホテルではポップス系の音楽が流れ、街行く若い女性はヨーロッパの女性の服装を真似たかのような姿に違和感を覚えたのだ。今から考えると、それはパーレビィ国王の世俗化政策の一環だったようである。しかし、そのことがイスラム教徒から反発を買い、パーレビィ国王の失脚に繋がったようである。(そればかりが要因ではなかったようだが…)

     

     ※ 救出する6人に対して作戦を授けるトニー・メンデス(中央)です。

 映画の話に戻そう。題名の「アルゴ」は、6名の救出のためにトニーたちは周到な準備を進めるのだが、その際にハリウッドに映画製作会社を起ち上げ、そこで「アルゴ」という架空のSF映画をでっちあげて、6人をその映画のロケハンスタッフに身分偽装させて秘密裏にテヘランからの脱出を図るという作戦を立てたのである。

 この映画がその年のアカデミー賞作品賞に輝いた理由の一つは、当時のアメリカとイランの関係も深くかかわっていたように思える。つまり、52人もの大量の自国民を人質に取られたアメリカとしては大国の威厳を大きく傷つけられたように感じたのではないか?そのことに対してCIAの周到で鮮やかな救出劇にアメリカ中が沸き返ったという背景があったものと思えるだが…。

 6人は結局1980年の1月に救出されたのだが、残る52名の人質になったアメリカ外交官たちは翌年1981年1月20日に政治的交渉によって解放されたのだが実に444日も大使館に人質として幽閉されていたのである。


映画 新聞記者 №273

2020-03-17 15:34:10 | 映画観賞・感想

 題材が題材だけに、画面は静かに進行するが非常に緊迫感に満ちた映画だった。この映画が今年の日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞したことはある意味でエポックメイキングなことであると報じられていたが、そのあたりについても考察してみたい。

        

「新聞記者」(2019年制作)は2020年の日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した作品である。この作品の原作は、東京新聞の望月衣塑子記者の同名のベストセラーを原案としたものである。伊藤記者というと、2017年6月の官房長官記者会見において加計学園問題に関して執拗に質問を繰り返したことで注目を浴びるようになった記者である。

 映画は医療系大学の新設計画を巡って、極秘事項があることを投書で知ることになった女性記者・吉岡エリカ(韓国の演技派女優シム・ウンギョン)がその真相を突き止めようと調査に乗り出す。一方、内閣情報調査室の官僚・杉原拓海(松坂桃季)は、現政権に不都合なニュースをコントロールする任務に就いているが、吉岡からの取材協力要請に対して良心の呵責をおぼえ葛藤する。

          

 このあたりの話の流れが、現実に日本の政界を追い続けている望月記者の著書が原案となっていることから、いかにも現実の政界の出来事を映し出しているかのように見えることから一層緊迫感が高まり、観ている者をぐいぐいとスクリーンに引き込んだ。

 私は松坂桃季という俳優については人気俳優だと耳にしてはいたが良く知らない人だった。彼はこの映画の杉原というシリアスな役を良く演じていたと思う。この「新聞記者」が作品賞を受賞したと同時に最優秀主演男優賞を受賞したことは納得できた。対して、吉岡役を演じたシム・ウンギョンは韓国の演技派女優という触れ込みだったが、日本語の発音に若干難があり、演技自体もそれほど突出感を感じず、最優秀主演女優賞を受賞したことには若干違和感が残った。

          

 さて、この「新聞記者」が日本アカデミー賞作品賞を受賞したことについてだが、日本アカデミー賞は今回で43回目を数える歴史ある賞なのだが、「受賞作が大手配給会社の作品の持ち回りになっている」だとか、「出来レース」だとか、あまり良い噂が流れていなかったようだ。そうした中での今回の「新聞記者」の受賞である。この映画は実際大手シネコンでは上映されなかった。札幌ではキャパの小さい「シアターキノ」で上映されただけだった。(受賞後にシネマフロンティアでアンコール上映がされたが…)さらには題材が政権批判ともとれる内容である。このような映画が一年間の最優秀賞に選定されたというニュースは、ある意味で大きな話題だったようだ。

 そうした意味では今回は良くない噂を払拭し、真の意味でその年の最優秀作品が選定されるエポックメイキングな年となってほしいと思う。

 映画のキャッチコピーは「この映画を、信じられるか-」だった。信じるから、信じないかは、観る者それぞれだと思う。しかし、杉原(松坂)の身になって思うと、彼の葛藤が良く理解でき、最後までハラハラドキドキの展開はエンターテイメントとしても十分にその面白さを感得できる映画だった。


映画 海街 diary №272

2020-03-16 16:52:52 | 映画観賞・感想

 母親違いの姉妹が海の傍の鎌倉で暮らす話である。是枝監督のキャスティングの妙というのだろうか?4人の女優がそれぞれのキャラクターを見事に演じきり、さまざまな問題が生ずるも優しく日常が流れ、観るものを気持ち良くさせてくれる映画である。

          

 「海街 diary(2015年制作)は2016年の日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した作品である。是枝監督にとっては初めての日本アカデミー賞受賞作品であるが、これ以降「三度目の殺人」、「万引家族」と立て続けに受賞している。(この中の「三度目の殺人」が今のところ手に入らず苦労している)

 映画は、鎌倉で暮らす長女・幸(綾瀬はるか)、次女・佳乃(長澤まさみ)、三女・千佳(夏帆)の香田家三姉妹のもとに、15年前に家を出ていった父の訃報が届き、その葬儀で異母妹となる14歳の浅野すず(広瀬すず)と対面する。三人はすずに「一緒に暮らさないか」と誘うと、すずは快諾し三姉妹と一緒に暮らし始めたのだった。

 長女・幸は家長としてしっかりまとめようとするが、酒と恋に夢中で自由奔放な次女・佳乃と折に触れぶつかり合う、それを横目に三女・千佳はマイペースに生きている。対してすずは、中学生らしい明るく快活な中学生を演じながらも、心の中に悩みを抱えながら学校生活を送る。

   

 そんな4人の背景には、三姉妹を捨て家を出て他の女性と結婚し、そこで浅野すずをもうけた父親。また彼女らの母親も義理の母に彼女たちを押し付け家を出てしまっていた。

 一方、長女・幸も看護師として働きながら病院勤務の医師と不倫の関係に陥っていたり、次女・佳乃は酒癖が悪い上、男運も悪く長女・幸の頭痛の種の一つである。三女・千佳は勤務するスポーツ店の店長にほのかな恋心を抱いているという状況と、複雑な人間関係の中でも画面には不思議な優しさが流れている。このあたりが是枝映画の真骨頂なのか?

     

 撮影時のエピソードとして広瀬すずは、脚本を事前に読まずに撮影に臨み、その時の感性を大切にしたという。以前、テレビで是枝監督の撮影現場を写すフィルムを見たことがあったが、是枝監督は出演者たちと徹底的に話し合いを重ねながら撮影を進めるという。そうした手法を取ることによって、出演者たちは心から納得した上でカメラの前に立っているのではと想像される。そうしたことが出演者たちの自然な演技を産み出しているのだろう。

    

    ※ 出演した4人の女優と、是枝裕和監督。

 穏やかな湘南(鎌倉)の海を背景にして4姉妹の「海街日記(diary)」は優しく流れていた。アカデミー賞受賞作品に相応しい作品だと思った。

 

 


自粛のマチに春は遠く…

2020-03-15 16:48:59 | その他

 自粛の要請に巣ごもり状態を続けていたが、それではならじとマチへ飛び出した。しかし、自粛のマチはどこか物悲しかった…。そして私が追い求めた春の兆しも今日のところはどこにも見当たらなかった…。

 映画話ばかりで食傷気味に思っていたところ(5日間続いた)、函館市在住のsakagさんがご夫妻で20キロも歩いたと聞いて、刺激を受けた。本日(3月15日)は好天にも恵まれたので、家の近くを歩いてみることにした。

   

   ※ 札幌も中心街を離れると、ご覧のように歩道の歩く所だけは舗装が出た状態です。

 向かったのはまずDVDのレンタル店だった。借りていたDVDを返却し、新たにまたDVDを借りてきた。借りたのはもちろんアカデミー賞作品賞の受賞作品である。あと残り数本でここ10年間の世界(アメリカ)と日本のアカデミー賞作品賞の映画をカバーできそうな状況となってきた。これまで何度レンタル店に行っても貸出中だった今年の日本アカデミー賞作品賞受賞の「新聞記者」をようやく借りることができた。

 レンタル店を出で、札幌卸売市場に向かった。市場の傍にある場外市場を覗いてみようと思ったのだ。場外市場に近づいてみると、案の定、惨憺たるものだった。数人の買いも客(観光客?)は見えるものの、ほとんどの店は手持ち無沙汰をかこっていた。店員さんの足元で赤々と燃えるストーブの火が物悲しく見えた…。

   

   

   

   ※ 大きな派手な看板を背に、店員さんの背中が寂しそうです。

 その足でJR桑園駅へ向かった。桑園駅の待合室も閑散としていた。きっと皆さんが不要不急の外出を控えているのだろうと推測された。

   

   ※ JR桑園駅の西口待合室です。

   

   ※ こちらは東口待合室です。長いベンチに一人の婦人がぽつんと座っていました。

 そして桑園駅の隣にあるイオン桑園店を覗いてみると、ここはそれまで2か所とは違い、それなりの人出で賑わっていた。やはり日常生活に欠かすことのできない食料品を買い求めにやってきた人たちが多いようだった。ただ意外だったのはイオン内に出店しているラーメン店やフードコートがかなり賑わっていたことだ。これはどう考えれば良いのだろうか?お店の対応を信頼して、ストレス発散ということだろうか?

   

   ※ イオン桑園店の食品売り場はそれなりに買い物客が立て込んでいました。

   

※ 私が上りエレベーターで見たときは満杯に近かったようでしたが…。(写真は下りエレベーターで)

   

   ※ フードコートの様子です。ふだんの日曜日はもっと混んでいるのかもしれませんが…。

 Sakagさんご夫妻が歩いた距離に及ぶべくもないが、それなりに歩き回った。その際、私はどこかに春の兆しはないものだろうかと日当たりの良いところを目を皿のようにして探し回ったのだが、残念ながらsakagさんのブログにあったクロッカスやスノードロップなどの花を見ることはできなかった。やはり札幌は函館よりは春の訪れが遅いということのようだ。

   

   ※ イオンの生垣ですが、一部だけ葉を付けていました。

   

   ※ マンションの日当たりの良いところでは植物が芽を付けていましたが…。

 私たちが維持管理している樹種(クサツゲ)で象った「ART文字」の花壇もまだ雪が残っていて、クサツゲの頭がようやく顔を出したばかりだった。

   

   ※ 私たちが維持管理する「ART文字」のクサツゲは雪の中から頭を出していました。

 何という歌だったか忘れたが、「春は近い♪春は近い♪足音が近~い♪」という歌謡曲があったような気がするが、札幌に春の足音が聞こえるようになるのはもう少し先のことのようだ…。


映画 バードマン あるいは №271

2020-03-14 16:15:59 | 映画観賞・感想

 映画の正式名称は「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」という長い題名である。題名そのものがなんとなく難解であるが、映画も私にはその良さを理解できぬままエンドロールを迎えてしまった感じだった…。

        

 「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(2014年制作)は2015年のアカデミー賞最優秀作品賞を受賞した作品である。

 映画は「バードマン」というヒーロー映画で一世を風靡した俳優リーガン・トムソン(マイケル・キートン)は、その後落ちぶれてしまったがブロードウェイで再起をかけて舞台での復活を目論むのだが、不運と精神的なダメージが重なり思うようにいかないさまをブラックコメディタッチで描いた作品である。

 「バードマン」は明らかに「バットマン」を模したもので(事実初代の「バットマン」を演じたのはこの映画の主演のマイケル・キートンである)、主演のマイケル・キートンのおかれた現状を写し出したような皮肉さもこの映画には込められているのかもしれない。しかし、ストーリーは現実と空想の世界を行ったり来たりするなど、私のようなものには到底その良さを理解出来ない展開だった。(この辺りが反対に映画通には受けたのかもしれないが…)

     

    ※ 主演のリーガン・トムソン(マイケル・キートン)には「バードマン」の幻影が

      常にまとわりついて、彼を悩ませるのだった。

 さらにこの映画を語るうえで話題にのぼるのが、あたかも1回の長回しで撮影されたかのような“疑似ワンカット撮影”のことだ。この手法はなるほど臨場感を演出するには優れた方法なのかもしれない。日本の映画においても「カメラを止めるな」という映画がやはり長回しが話題となり、私も観たのだがその良さを感得することができなかった。この「バードマン」においても同様の思いだった。

 というわけで、私は終始戸惑いながらこの映画を観終えたのだが、ネット上の作品評を見ると、この「バードマン」のような映画がアカデミー賞を受賞するということは極めて異例のことだという。まずアカデミー賞においてコメディは、それ以前は対象外と見られていたそうだ。また、ストーリーにおいてもハリウッド映画を拝金主義と見なして揶揄するような内容が受け入れられないと思われていたのが、前例を破って受賞したことなど、異例づくめの受賞だったようだ。

 したがって、私のように映画通でもない、きわめて普通の市井の人間にはなかなかその良さを理解できなかったことは、ある意味当然のことだったのかもしれない…。

          

 さあ、今夜はお口直しに今や日本映画界の巨匠の一人となったあの是枝裕和監督の2016年に日本アカデミー賞作品賞を受賞した「海街 diary」を観よう!


映画 舟を編む №270

2020-03-13 16:27:37 | 映画観賞・感想

 地味な映画である。スリリングな展開も、あっと驚く結末が待っていたわけでもない。馬締光也(松田龍平)という一人の辞書編集者の仕事を淡々と描く映画であるがどこか惹かれるものがあった。さらに、「舟を編む」という題名にも惹かれた…。

※ 映画タイトルの後にナンバーリングを付けた。この数字は私が2007年に札幌に転居後に観た映画の通算の映画の数である。「映画は最高のエンターテイメント」と考える私にとって、これからも有料・無料にかかわらずできるだけ映画を観ていこうと思っている。

         

 昨夜で、三夜連続でアメリカ(世界)、日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞の作品を観続けている。その際の私の鑑賞スタイルは次のとおりである。

 妻はだいたい午後9時前後に就寝する。それからが私の観賞タイムである。私は部屋の灯を部屋の脇の方だけ点灯して、全体を薄暗くする。そしてテレビの前にヨギボーマックスとヨギボーサポートを置き、その上に身体を横たえる。なかなか心地良い観賞スタイルで気に入っている。それでも映画館での集中力には及ばないのだが…。

 さて、本編の「舟を編む」(2013年制作)である。この作品は2014年の日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作品である。原作は三浦しおんが2009年11月から2011年7月にかけて雑誌に連載されたものである。

 映画は、「玄武書房」という出版社が新しく発行する辞書「大渡海」の編纂メンバーと一人として変人編集部員・馬締光也(まじめみつや)が迎えられ、古参の個性豊かな編纂者たちと辞書作りの世界に没頭していく姿を描いた作品である。主人公の馬締(松田龍平)はその名のとおり超真面目で、大学院で言語学を専攻し、言葉のこと以外に興味を示さない、いわば変人であるが、松田龍平のキャラクターがぴったりとはまるようなキャスティングである。映画では彼の妻となる林香具矢(はやしかぐや 宮崎あおい)が助演となっているが、私からみると確かに香具矢の存在も馬締にとっては大きなものであるが、馬締の先輩編纂者である西岡正志(オダギリジョー)の存在が馬締と対比するキャラクターとして映画にスパイスを与えていて、これも好キャスティングではないかと思えた。

      

      ※ なかなか良い味を出し、スパイス的役割を演じたオダギリジョー。

 辞書「大渡海」は中型の国語辞典であるが、その編纂には実に15年以上の月日を編纂に没頭するという非常に地味で長い忍耐を必要とする作業である。

 その間、馬締と香具矢の恋話が若干挿入されはするものの、大半はその編纂作業を淡々と追い続けるような映画だった。しかし退屈はしない。変人とも思える馬締の言動、それを揶揄するような軽薄な言動を繰り返す西岡とのやりとりが観ていて心地よかった。また、辞書編集部の契約社員の佐々木薫(伊佐山ひろ子)、馬締に後を継がせた編集部のベテラン荒木公平(小林薫)、「大渡海」の監修者である国語学者の松本朋佑(加藤剛)、馬締の下宿屋のおかみさんタケ(渡辺美佐子)といった面々が脇を固め、静かに流れるストーリーをきっちりと締めている。

     

     ※ 「玄武書房」辞書編集部の面々です。

 スリリングな展開も、あっと驚く結末も待っていないが、それがかえってこの映画のクオリティを高めているとも思った。当時の日本映画界に一陣の涼風を送った一作ではないだろうか?秀作である。

 なお、題名の「舟を編む」は「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」という意味からこの題名が付けられたとウイキペディアでは紹介されていた。

     

     ※ 映画は主演、助演陣だけではなく、脇を固めた芸達者が多数出演しました。

 今夜は2015年のアカデミー賞作品賞受賞作の「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」を観る予定である。どのような内容か、まったく未知であるが今夜も映画の世界を旅しようと思う。

 

 


映画 永遠の〇(ゼロ) №269

2020-03-12 16:45:47 | 映画観賞・感想

 戦争を賛美するような映画か否か、議論が大きく割れたと聞いたが、私が見るかぎり戦争を賛美していたようには見えなかった。ただ原作者が過激な発言で世の中を騒がせているあの百田尚樹の作品ということで私の中にバイアスがかかっていたこともあり、素直に映画に集中できなかったきらいがあった…。

    

 相変わらず私の巣ごもり状態は続いている。一昨日、本日と退職組織の会議で外へ出た以外はずーっと家の中で過ごしている。本日は会議の帰りにDVDのレンタル店によって数枚のDVDを借りてきたくらいである。

 さて、映画鑑賞・感想に話を戻そう。

 今回観賞した映画「永遠の〇」(2013年制作)は2015年の日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した作品である。原作は百田尚樹で彼のデビュー作といわれている。

        

       ※ 百田尚樹のデビュー作「永遠の〇」の装丁です。

 映画は、佐伯健太郎(三浦春馬)という青年とその姉慶子(吹石一恵)が自分たちの祖父と思っていた人が彼らとは血の繋がりがなく、本当の祖父は太平洋戦争で特攻によって戦死した宮部久蔵(岡田准一)だと知り、久蔵について調べ始める、というところから始まる。

 姉弟の二人は、久蔵の元戦友を訪ね歩き、聞き取ることによって久蔵の実像を次々と知ることになる。そして二人は久蔵が凄腕のパイロットであり、生きることに強く執着した人物であったことを知る。そんな久蔵がなぜ特攻に志願したのか。聞き取り調査と重ね合わせるように、久蔵の軍隊での生活や空中戦の様子が挿入されていく。

      

     ※ 宮部久蔵の孫にあたる佐伯健太郎(三浦春馬 左)と慶子(吹石一恵)です。

 そして最後に、戦後60年にわたって封印されてきた驚きの事実に辿り着いたのだった。

 戦地において久蔵は後輩パイロットたちに生き延びることを度々諭すのだが、はたして

 実際にはそうした行為がどれだけ可能だったのだろうか?現代においても日本人の中ではさまざまな場面で“同調圧力”が問題とされるが、軍隊においては現代では考えられないような“同調圧力”がかかる中で、久蔵の行為はどこまで可能だったのだろうか?

 またもともと生きることに執着した久蔵がなぜ死を隣り合わせにするような海軍パイロットの道を選んだのかも疑問に残るところである。

             

            ※ 映画の主役・久蔵役の岡田准一です。

 映画では戦闘場面におけるVFXを駆使したシーンが印象深い。あるいはその技術が日本アカデミー賞の受賞理由の一つではないかと思われるくらい印象的である。ちなみにVFXとはビジュアルエフェクト(Visual Effects)の略で、現実にはない映像を作る視覚効果の技術で、アニメなどの映像そのものをコンピューターで作るCGに対して、VFXは実際に撮影された映像を加工したり、合成したりする技術だそうだ。

 映画は最後の最後に驚きの事実を描くが、このあたりはストーリーテーラーとしての百田尚樹の真骨頂なのかもしれない。

 私がリード文で触れた「戦争を賛美していたようには見えなかった」ということに対して、ある映画評論家が「表面的に反戦を唱えながらも、結果的に「日本を取り戻す」民族意識の強化に奉仕する巧みなストーリーである」と主張している。そう指摘されると、私はまだまだ映画を表面的にしか見ることのできない人間なのかもしれない…。

いずれにしても賛否両論の多いこの作品が2015年度の全邦画作品の中で最優秀とされた選定は妥当だったのだろうか?若干の疑問も残った「永遠の〇」だった。

 

さあ、今夜は2014年に日本アカデミー賞・作品賞を受賞した「舟を編む」を観ようと思っている。