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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

3/4世紀を生きる

2021-08-24 16:58:25 | その他

 今日8月24日という日は私にとっては記念すべき日である。というのも私にとって、この世に生を受けてから75年の月日が経過した日なのである。これだけ歳を重ねると特別の感慨もないのだが、3/4世紀生きたということをそれなりに振り返ってみることにした。

        

 3/4世紀生きてきたんだなぁ…、と漠然と考えていた時に、そういえば50歳になった時に「半世紀を生きる」と題する文章を綴ったことがあったなぁ…、と思い出したのだ。当時私は学校現場において2校目の教頭職を務めていたころだった。私は生意気にも職員室内に「教頭通信」なるものを発行していた。その通信の中で表題の文章を掲載したのだった。まずはその文章を書き写してみることにする。

         る 

 いつも私的に綴っているこの通信ですが、今回は特に極私的な内容になりそうです。

 ここまで書くと、ピーンときた方もいると思います。そうです。私は先週とうとうこの世に生まれてから、半世紀を生きた記念日を迎えたのです。

 そこで、そのことにちなんで何か書き残そうと考えたわけです。

 最近、さまざまな分野の論文を目にする時、「変貌する日本…」とか「激動する現代…」などという枕詞が使われています。本校の研究主題の設定理由の中でも似たような言葉が使われています。

 ところで、若い先生方はこの言葉をどのくらい実感として感じているでしょうか。

 別に世代間論争をしようとしているわけではありませんが、若い先生方が生まれ育った頃にはすでに日本社会は激しく変貌を続け、相当に豊かになっていました。ですからその感じ方には私たちと相当に開きがあるような気がするのです。

 私が生まれ育った昭和20年代の日本、それは今から見ると何もなかったと言えるような状況でした。その頃の貧しい社会は、時代の進展も今から見るとゆっくりしたものでした。一般の家庭には、テレビも冷蔵庫も、もちろん車もない時代でした。道路のほとんどは未舗装のガタガタ道でした。

 それが今は当時を思い起こすことが困難なくらいの変わりようです。人々のライフスタイルは一変し、私たちは今の日本の豊かさを何の疑いもなく享受しています。

 敗戦国という重荷を背負った貧しい国が、この50年間で世界でも最も豊かな国の一つに駆け上がったのですから、世界の中でも最も変化の激しかった国と言えるのだと思います。

 さて、こうして変わり続けてきた社会が、今まで以上の速度で変貌を続けるというのです。先日、NHK・TVで「電子立国」というシリーズ物が放送されていました。そこでは、過去の技術を振り返りつつ今後の進展を予測していましたが、それは今からは想像ができないような社会の到来を予測していました。

 50年間、激変の中に翻弄(?)されてきた私などは、正直「もういいんじゃない」とい

う思いがあります。しかし、時代や社会はそれを許してくれそうにありません。ますます、時代を見る目が求められ、その中で主体的に生きることが求められているということなのでしょう。

 私たち庶民は何の疑いもなく現在の豊かさを享受していると書きました。もちろん私もその中の一人です。50年間生きてきた私には、この豊かさと繁栄がいつまで続くのかという不安とおののきがあります。

 8月24日、私はある種の感慨と将来へのかすかな不安の交錯した思いに浸りながら50歳の誕生日を迎えました。

 と若い教員向けに文明論めいたこと発信したことを懐かしく思い出している。あの時から25年という歳月が流れ、私は職を離れてすでに15年、日々呑々と緊張感のない暮らしを続けている。そんな私であるが、区切りの日を迎えたこともあり、あれからの25年を世の中の移り変わりを少しだけ振り返ってみたい。

 先の文章の中で「電子立国」という言葉があった。その時から25年、言葉は違えども確かに世の中はGAFAに象徴されるようにITが世の主流となる時代を迎え、私たちの生活もITなしには立ち行かない時代を迎えている。

 しかし、そのことよりあれから25年、私たちの誰もが想像もできなかったコロナウィルスによるパンデミックに世界中が見舞われ、恐れ慄いているという事実である。と同時に、25年前はまだまだ一部の科学者たちの間で囁かれていた「地球温暖化」という事態が紛れもない事実として私たちの前にくっきりと姿を現したことである。

         

 ここからは素人と断ったうえで、暴論を展開してみたい。私はこの二つの事象は密接に絡み合っていると考えている。人々はみな豊かさを求め懸命な努力を重ねて現在の豊かさを手にし、さらなる豊かさを貪欲に求め続けている。そのことによって大量の二酸化炭素を排出することに繋がっている。二酸化炭素を大量に排出したことが「地球温暖化」に繋がっているという。さらに人間は未知のもの、あるいは美食を求め、人跡未踏の世界の奥地へと足を伸ばしてもいるという。その結果が禁断のウイルスとの遭遇を招いたと指摘する識者がいる。

 素人の浅はかな考えではあるが、私たちが棲む地球はすでにオーバーフロー現象を催しているのではないかと危惧するのだ。 

         

 私は今年の年賀状に「文明は必ずやこの災禍を乗り越えてくれると…」と記して書き送ったが、それが今になって思うとやや楽観過ぎたかな?と思い始めている。この災禍が落ち着きを見せた暁には、専門家や指導者たちがさまざまな提言をされることと思うが、そこではこれまでの私たち人間の営みを反省したうえでの提言がなされることを期待したいと思う。

 おそらく私自身は誕生1世紀を迎えることはできないと思うが、向こう25年が地球とそこに棲む人間が良好な関係を築いていってくれることを切望したい。



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4 コメント

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Unknown (フナさん)
2021-08-25 09:48:41
節目の誕生日おめでとうございます。1年遅れでついていきます。記事を読んで私もいろいろと振り返ってみました。いろいろありましたね。「半世紀を生きる」は私の故郷で勤務していたころですか?
お互い、元気で「1世紀を生きる」の記事を書きたいものです。
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フナさんへ (田舎おじさん)
2021-08-25 21:55:03
 コメントありがとうございます。
 「私の故郷で勤務…」そのとおりです。
 当時私は「たたら先生を追って」(たたら先生…、分かりますよね)と題する教頭通信を職員室向けに発行していました。その中で発信したものでした。
 「1世紀を生きる」の記事を書く…、憧れですねぇ…。そうなる自信はないですが、それを励みに生きていきたいですねぇ。頑張りましょう!
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Unknown (フナさん)
2021-08-25 22:40:03
たたら先生は、父の担任で、その先生の思いを実現するために子どもながら父たちは公園を作ったと語っていました。そのたたら公園ですが、私が勤務していた頃は原野状態でしたが周年行事の時に整備し現在のすっきりした姿になりました。旧校舎から新校舎に移った今から40年前の思い出で、脳裏に焼き付いています。昔のことはよく覚えているのに最近の事はすぐ忘れている今日この頃です。
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フナさんへ (田舎おじさん)
2021-08-29 19:51:26
 再度のコメントありがとうございます。
 生田原小に赴任し、たたら先生のことを知り、大変感銘を受けました。
 そのことに大きな影響を受け、生田原小では「花づくり活動」に力を入れ、学校の周囲を花でいっぱいにしたことが思い出です。そのことで子どもたちの気持ちが穏やかに変わっていったことを実感し、大いに自信になったものでした。
 さらにここで私は目覚めたのでしょう。その後に赴任したどの学校においても花壇を整備することに情熱を傾けました。北見の学校で、学校花壇の部で2年連続最優秀賞を受賞したことはご存じでしたか?それくらい私はたたら先生から大きな影響を受けたんですよ。
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