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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

やせ細る日本人の魚食文化

2017-12-07 16:36:30 | 講演・講義・フォーラム等
 日本人の食の変化についてはいろいろ論じられているが、その中でも顕著なのが魚離れだという。特に鮮魚販売の低迷が深刻であると講師はいう。豊かな生活とは、豊かな食生活にあるのではないか、と講師は主張するのだが…。 

 12月5日(火)午後、道民カレッジが直接主催する「ほっかいどう学 かでる講座」の今年度第10回講座が開催された。
 今年度最終回となる今回は「現代の魚食と日本社会」と題して、北海学園大学の濱田武士教授が講師を務めた。
 濱田氏は、地域経済学が専門とのことだが、もともと北大水産学部の出身で、東京水産大学、東京海洋大学などで教鞭をとられたかたで、海に関心が高い方のようである。

               

 日本人の食生活における素材別摂取の推移(食費支出)を見てみると、1963(昭和38)年から1975(昭和50)年にかけて、穀類の支出が激減している。一方魚介類は1975(昭和50)年から1985(昭和60)年をピークに減少し続けている。肉類には大きな変化はないようだが、外食は1963(昭和38)年以降上がり続けている、というのが大きな流れである。

 こうした傾向の背景について、濱田氏は生活様式の変化を挙げている。
 つまり、核家族化が進んだこと。そのことが個食、孤食に繋がっていること。さらには生活の時間的規律がなくってきたこと。それに対応する小売業界の簡便性食品、レトルト食品、調理済み食品などの多様化などしてきているという。
 そして、人々が料理をしなくなる ⇒ したくなくなる ⇒ 身につかない ⇒ 興味がなくなる のスパイラルに陥り、料理が伝承されなくなってきていると指摘する。

 濱田氏はこの傾向を嘆き、魚食においては生活様式の変化によってさらに顕著であると嘆いた。
 つまり、魚を尾頭付きで販売する鮮魚店などは衰退と一途を辿っているという。魚を捌けば生ゴミがでる、焼けば煙が出る、など都市生活者にとっては面倒であること。忙しい暮らしが、調理済み食品を多用するなど、食の簡便化、簡素化が進み、楽な食へと流れる傾向があり、魚の魅力は鮮魚にあったものが忘れ去られようとしていると嘆いた。
 そして濱田氏は、豊かな食生活を見直そうと訴えた。

               

 しかし、と私は考える。
 濱田氏の嘆きはごもっともと思う。確かに現代の日本人の食生活はけっして褒められたものとは言えないかもしれない。
 しかし、時計の針を反対に進めることはできない。時代は人々の生活を確実に快適なものへと進展させてきている。人々は手に入れた快適な生活を手放すだろうか?そんなことはあり得ない。濱田氏もそのことは重々承知のうえで、現代人に警鐘を鳴らしたのだろうと私は理解した。

 濱田氏が面白い統計を示してくれた。
 寿司店での消費支出の推移である。1992(平成4)年以降、右肩下がりで下がり続けているのだ。私は少し意外な気がした。回転寿司などの普及で、寿司食の庶民化が一気に進み、支出は増大していると思っていたが、そうではなかったという統計である。
 業界の努力(時代の進展)によって、高級食品と言われていた寿司店の庶民化が進んだが、全体としては消費支出が減少しているということらしい。

 ことほど左様に、どの業界においても以前とは様変わりの様相を呈していると思われるが、それはある意味選択肢が増えたということを意味していないだろうか?
 その増えた選択肢の中で、私たちがどう選択するかという問題である。そのことに対する濱田教授の警鐘だったと受け止めたい。


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