私には最も縁遠い、風流な雰囲気を一度味わってみようと麻生まで足を延ばした。美しいお姉さまたちの三味線と日本舞踊にひと時浸った春分の日の午後だった。

東に講演会があると聞けば、行ってメモを取りながら話に耳を傾け
西にスポーツイベントがあれば、行って声援を送り
南に音楽会があれば、行って耳を傾け、心豊かにひと時を過ごし。
北に美味しい店があると聞けば、妻と二人で舌鼓を打ち…
誰からも褒められもせず、そんな毎日を送る私だが、その動機はただ一つ…。
自らに課した「毎日ブログを発信すること」のために、である。
ブログを発信するために、札幌市内をあちらこちらと彷徨し、そこで見たこと聞いたこと、感じたことを気ままに綴ってきたのが拙ブログである。
そうした日々の中で、思わぬ体験をすることもある。
本日のブログはその典型の一つかもしれない。
なあ~んと、私にとっても最も縁遠いと思っている日本舞踊を観る機会を得たのである。

3月20日(月・祝)午後、市内麻生にある覚王寺にて「細棹三味線と日本舞踊による春のお座敷唄」の会があると聞いて、地下鉄を乗り継ぎ麻生まで出かけたのである。
覚王寺では春の彼岸会が行われていて、その一環として表記の会が行われ、お座敷唄の部分は檀家の方だけではなく一般の参加も呼びかけられたのだった。
開会の時間(午後3時)に行くと、会場の本堂はいっぱいの人で賑わっていた。

出演は、細棹三味線がこうの紫(ゆかり)さん、日本舞踊が花柳中太郎さん、という妙齢のお二人だった。妙齢などという表現したが、二人とも和服が良く似合う美形の方で、生まれながらにしてこの世界を極めることを宿命づけられていたかのようにさえ思われた。
経歴を見ると、二人とも専門の大学に学び、教養の高さにも裏付けされた方のようである。

さて、舞台の方であるが、プログラムは次のようになっていた。
◇端唄「梅は咲いたか」
◇小唄「八重一重」
◇端唄「かっぽれ」
◇長唄 越後獅子より「晒の合方」
◇端唄「奴さん」

私にとって本格的な「お座敷唄」など初めての経験であるから、そのことを評する何ものもないのだが、こうの紫さんの細棹三味線と唄、花柳中太郎さんの日本舞踊、共に熟達した技だったと思えた。
江戸の昔には、こうした方々が旦那衆の前で夜な夜な華やかに芸を披露していたのかな?と想像しながらお二人の芸を楽しませてもらった。

東に講演会があると聞けば、行ってメモを取りながら話に耳を傾け
西にスポーツイベントがあれば、行って声援を送り
南に音楽会があれば、行って耳を傾け、心豊かにひと時を過ごし。
北に美味しい店があると聞けば、妻と二人で舌鼓を打ち…
誰からも褒められもせず、そんな毎日を送る私だが、その動機はただ一つ…。
自らに課した「毎日ブログを発信すること」のために、である。
ブログを発信するために、札幌市内をあちらこちらと彷徨し、そこで見たこと聞いたこと、感じたことを気ままに綴ってきたのが拙ブログである。
そうした日々の中で、思わぬ体験をすることもある。
本日のブログはその典型の一つかもしれない。
なあ~んと、私にとっても最も縁遠いと思っている日本舞踊を観る機会を得たのである。

3月20日(月・祝)午後、市内麻生にある覚王寺にて「細棹三味線と日本舞踊による春のお座敷唄」の会があると聞いて、地下鉄を乗り継ぎ麻生まで出かけたのである。
覚王寺では春の彼岸会が行われていて、その一環として表記の会が行われ、お座敷唄の部分は檀家の方だけではなく一般の参加も呼びかけられたのだった。
開会の時間(午後3時)に行くと、会場の本堂はいっぱいの人で賑わっていた。

出演は、細棹三味線がこうの紫(ゆかり)さん、日本舞踊が花柳中太郎さん、という妙齢のお二人だった。妙齢などという表現したが、二人とも和服が良く似合う美形の方で、生まれながらにしてこの世界を極めることを宿命づけられていたかのようにさえ思われた。
経歴を見ると、二人とも専門の大学に学び、教養の高さにも裏付けされた方のようである。

さて、舞台の方であるが、プログラムは次のようになっていた。
◇端唄「梅は咲いたか」
◇小唄「八重一重」
◇端唄「かっぽれ」
◇長唄 越後獅子より「晒の合方」
◇端唄「奴さん」

私にとって本格的な「お座敷唄」など初めての経験であるから、そのことを評する何ものもないのだが、こうの紫さんの細棹三味線と唄、花柳中太郎さんの日本舞踊、共に熟達した技だったと思えた。
江戸の昔には、こうした方々が旦那衆の前で夜な夜な華やかに芸を披露していたのかな?と想像しながらお二人の芸を楽しませてもらった。