田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

「さっぽろの古を訪ねて Ⅲ」新琴似屯田兵村を訪ねる

2024-07-24 19:28:51 | 「めだかの学校」関連
 前回6月に訪れた篠路屯田兵村に先んずること2年前の1887(明治20)年に九州、四国出身の士族146戸が入植して開村したのが新琴似屯田兵村である。私たちは「新琴似屯田兵中隊本部保存会」の事務局長さんから新琴似屯田兵村の歴史について詳しく説明いただいた。

 昨日(7月23日)午後、「めだかの学校」野外講座「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を訪ねる」の現地見学の第3弾、「新琴似屯田兵村の史跡を訪ねる」を実施した。
 見学先は、◇新琴似屯田兵村中隊本部◇新琴似神社境内の関連史跡◇屯田兵が掘削した人工河川「安春川」と関連壁画の3ヵ所だった。
 最初に訪れた「新琴似屯田兵村中隊本部」は、現在新琴似神社の境内の一角に建っているが、実際に当時と同じところに、当時と同じように厳めしい構えで建っていた。

    
     ※ 新琴似屯田兵中隊本部の外観です。

 私たちは建物の中の新琴似屯田兵村の様子がジオラマで再現されている部屋に導かれて、「新琴似屯田兵中隊本部保存会」の事務局長を務められている大西様から入植当時の様子や兵村の日々について詳しく説明いただいた。

    
    ※ ジオラマの前で大西氏の説明を聴く「めだかの学校」の会員です。

 そのお話の中で新琴似屯田兵村の最大の特徴は、兵村の造りが「琴似屯田兵村」とは違い、分散制(粗居制)だったということだ。札幌に最初に入植した琴似屯田兵村は集住制(密居制)で一戸あたりの面積が150坪だったのに対して、新琴似屯田兵村の場合は一戸あたり4,000坪が兵屋のまわりに与えられたそうだ。(もちろん琴似屯田兵村に入植した屯田兵にも郊外に同面積の開墾地が与えられたのだが…)二つの制度は屯田兵としての任務も考えるとそれぞれ長短はあったが、未開の地を開墾するうえでは分散制(粗居制)の方が住居の近くに開墾地があるということから有意だったようである。

    
    ※ 中隊本部内の中隊長の執務机が再現されていました。

 なお、新琴似屯田兵村は前述したように当初は146戸の入植だったが、翌年に74戸が入植し計220戸が入植し、第一大隊第三中隊が編成され、そこに建てられたのが「新琴似屯田兵村中隊本部」である。
 大西氏によると、当時の新琴似地区は密林状態で大木が生い茂っていたそうだが、屯田兵並びに家族はその密林を畑地に変えるために人力だけを頼りに開墾の鍬を振るったという。
 ところが、当地は発寒川や琴似川の下流だったことから泥炭質の一大湿地帯だったそうだ。そこで屯田兵本部の三沢毅中尉(後の初代中隊長)の指導で人工河川(排水溝)「安春川」を掘削した。そのことによって優良な農地に変貌し、新琴似の農業に発展に繋がったそうだ。
 説明は新琴似神社境内の記念碑群に移った。境内には13基の記念碑が建っているが、保存会から「神社境内の記念碑群」という冊子が配られ、それが大いに参考になった。ここの記念碑はいずれもが巨大な岩石を使用した立派な碑が多いことだった。その維持管理も大変ということだが、新琴似地区住民の方々の理解を得て保存費用の寄付も集めることができ、順次整備しているとのことだった。

    
    ※ 巨大な拓魂碑の前で説明を受ける「めだかの学校」の会員たちです。

 記念碑以外で私が注目したのは中隊本部横に屹立する大木だった。確か高さ30メートル以上とのことだったが、見上げても樹全体が視界に入らないほどの大木である。樹種は「シロヤナギ」とのことだったが、これほどの巨木を市街地で見ることができるので珍しいことだ。

        
        ※ 巨大なシロヤナギの樹高には驚きました。

 ここで大西氏の説明は終わり、大西氏にお礼を告げて、私たちは中隊本部からは少し離れたところを流れる「安春川」沿いに移った。
 現在の「安春川」は宅地化が進んだこともあり当初の役割は終えているが、市の整備事業により下水道の高度処理水を新たな水源としてかつての〈せせらぎ〉が復活し、散策路が整備されている。その一環として水辺に屯田兵関連のタイル画が掲示されている。

    
    ※ 「安春川」の川沿いには、その由来を説明する碑文がありました。

 それを確認するために「安春川」を遡ったのだが、この日の蒸し暑い気候のために会員の方々は次々とリタイアしてしまい、結局タイル画が見えるところまで行きついた会員は4名となってしまった。

    
    ※ タイル壁画の一つ、畑を耕す屯田兵です。

 私は体調が優れなかったのだが、この企画を主宰する一人としての責任もあったので最後までお付き合いをし、8枚のタイル壁画、7枚の足元のタイル画、さらに橋の欄干に掲げられた銀製(?)の彫刻画を確認し、帰路に就いた。

    
    ※ 橋の欄欄に掲げられた木を切り倒す様子を描いた銀製の彫刻画です。

 札幌近郊の屯田兵村を訪ねる本企画も残り、野幌屯田兵村と山鼻屯田兵村の二つとなった。特に次回の野幌屯田兵村は残された史跡も多く、一日をかけて巡り歩くこの企画の中でも最も充実した現地見学となるはずだ。一か月後が待ち遠しい思いである。