毎月開催されている「北のシネマ塾」だが、今回は暑い夏に相応しく怪談物の8ミリフィルムが上映された。その後、お二人のゲストによる札幌市内の映画館全盛時代が語られた。
7月20日(土)午後、北の映像ミュージアムが主催する「北のシネマ塾」の7月例会が開催された。今回取り上げられた作品は暑い夏に相応しく(?)怪談物で「怪談 佐賀屋敷」(昭和28年制作)の8ミリフィルムで、30分のダイジェスト版が上映された。
フィルムの保存状態があまり良くなく、セリフも聴き取りにくかったが、ストーリーは鍋島藩の殿の理不尽な怒りをかって殺められた家臣の母親が猫に化けて恨みを晴らすというストーリーだけはなんとか理解できた。
荒唐無稽とはいえ、当時は怪談物の映画が次々と制作されているところを見ると、人々からの支持もそれなりにあったということだろう。
※ 対談するお二人です。左が浦田氏、右が和田氏です。
映画上映後、街並み画家の浦田久さんと北のミュージアム事務局長の和田由美さんのお二人が「映画館グラフィティー」と題して映画館華やかし頃の思い出をいろいろと語ってくれた。
趣旨は気軽な対談ということだったようで、話があちこちと飛んでしまいメモする方は大変だったが、お二人が語ったことを断片的にレポートすることにする。
浦田さんは昭和3(1928)年に札幌に生まれて、以後札幌市内でずーっと生活されている方のようだ。物心ついたころ映画は無声映画とトーキの映画が半々の状況だったという。
その無声映画には弁士が付きものだが、最盛期には札幌にも約20人の弁士が活躍していたらしいが、当時の弁士は金回りも大変良かったとも語った。
映画は、サイレント → パートトーキ → オールトーキ と時代とともに変遷していったということだが、それとともに弁士の姿も消えていったという。
怪談映画についての話だが、怪談映画が上映されるときは、きまってステージ上に笹が飾られ、餅がまかれたという。それを拾うことが子ども心に楽しいひと時だったと浦田さんは語る。
浦田さんは子どもの頃から、そして成長して勤め人(公務員?)となってからも、こよなく映画を愛したらしい。時には札幌で見られない映画のために、勤めを休んで東京まで映画を見に行ったこともあるというすこぶる付きの映画好きである。
だから映画に関する記憶は驚くほど鮮明であり、数多く存在した札幌の映画館名についてもすらすらと口をついて出てきた。(その映画館名があまりにも多くメモすることができなかった)
浦田さんが話された中で印象的だったことは、現代の映画は1本の映画が無意味に長くなってしまい、テンポが良くないと指摘したことだ。往年の映画は短く、テンポが良かったという。だから2本立て、3本立ての映画が普通であったと…。
浦田さんの指摘について私はその是非を論ずることはできないが、一聴に値することなのかな、と思った二人のトークだった。