典型的なドキュメンタリー映画である。2本のフィルムとも東日本大震災で蒙った津波の傷跡を追ったドキュメンタリーである。あれから一年、改めて津波の凄まじさを画面を通して感じた…。
蠍座の館主は言う。「たとえば私のように被災地へ行かなかった者たちが見ておくべき映画である」と…。そういう意味では私もまた見なければならない映画だった。
そしてさらに、「原発の事故以来、放射能汚染への関心が極大化する一方で、地震とりわけ津波がもたらした惨劇がいつしか後方にしりぞいてしまった印象がある。あらためて確認するまでもない。瞬時のうちに2万人に近い人命を奪い、甚大な数量の家屋と建物を破壊し消し去ったのは、津波である」と館主は語っている。
映画「大津波のあとに」は津波の被害から2週間しか経っていない宮城県石巻市の様子を撮っている。ナレーションもない、BGMもない。聞こえてくるのはカメラに付けられたマイクを通じて聞こえてくる風の音だけ…。時折、監督でありカメラマンである森元氏が質問し、それに答える地元の人の声が入っているのみである。
※ 映画ではこのような場面がこれでもかといったように次々と映し出されます。
画面を見ている者を変に煽り立てるようなナレーションもなく、淡々と、ただ淡々と被災地の惨状を74分間にわたって写し続けたことによって、見ている者には逆に胸にせまってくるものを感じた。
フィルムの中で石巻市立大川小学校の卒業式の様子が写されていたが、卒業生たちの虚ろな表情は彼らが蒙った精神的打撃の大きさを物語っているようだった。
※ 大川小学校の卒業式で虚ろな表情で歌を歌う卒業生たちです。
映画「槌音」は岩手県大槌町出身の大久保監督が被災後にカメラも持たずに故郷に帰ったとき、その惨状を見てスマートフォンの動画機能を使って撮影した映像と、被災前に撮り貯めていた故郷の映像を巧みに編集しているものである。被災前の平和で穏やかな故郷と、被災した後の瓦礫に埋め尽くされた故郷を対比するように映し出すことによって、いかに津波の被害が大きかったかを雄弁に画面は語っている。
二つの作品は加工することなく、惨劇の様子をフィルムに刻み付けた。(いや今の時代はフィルムなど使いませんね)
被災地がやがて復興し日常が戻ってきたとき、惨劇の記憶も徐々に薄れてくるに違いない。記憶が徐々に薄れてくるにつれ、二つの作品は徐々にその価値を高めていくのではないだろうか…。
《映画鑑賞日 & 観賞館 ’12/03/17 蠍座》