鉄西・幌北コースを巡ったこの日は、時折りすごい雪に見舞われフードを深く被ってのウォーキングでした。
北大構内はどこも良く除雪されていたのですが、百年記念会館から次の目標のサクシュコトニ川にいたる小路はどうやら除雪されていなかったらしく、私は現在位置も、方向も判らなくなってしまいました。
除雪されている道を歩き続けているうちに見慣れた総合博物館の建物を見つけることができ、ようやく現在位置を確認することができました。
結局、私はかなり遠回りをしてサクシュコトニ川の辺りに近づいたのですが、川は雪が深いために見当たらず、次のクラーク像を目ざすことにしました。
クラーク像は多くの人が行き交う構内のメインロードの一角に雪を被って佇んでいました。クラーク博士の功績については私などが語る必要もないほど有名です。

クラーク像のすぐ近くに古河記念講堂があります。

この講堂は1906年(明治39年)古河財閥の寄贈により建設された建物です。フレンチルネッサンス風の美しい建築物で、現在は文系教官の研究室に充てられているそうです。
続いて近くには同じような歴史的な建物旧農学校校舎があります。

この建物は1901~02年(明治35~6年)に建てられたといいますから、古河記念講堂より古い建築物ということになります。
現在は、交流ブラザ「エルムの森」として立派に活躍しています。
旧農学校校舎から現農学部の校舎を回り込むようにしてポプラ並木を目ざします。
その途中、ちょうどクラーク会館の近くに留学生センターがあります。

人の気配があまりなく、近寄り難いような印象を受けましたが、北大に学ぶ外国人留学生には頼りとする施設であるとのことです。
農学部校舎の裏手に回ると、マップでは小麦研究記念碑があると出ています。
なるほど通路脇にそれらしき案内板がありましたが、肝心の記念碑は雪の中に埋もれていて碑そのものは見ることができませんでした。

そしてご存知のポプラ並木です。

現ポプラ並木は、樹木の老化と台風による倒木によって往時のような優美さは失われています。まして、冬季はその葉も落としているため寒々とした光景でした。
代わって夏にも見ましたが、構内の西方に平成ポプラ並木が造成されています。まだまだ幼木でしたが、成長の早いボプラの木ですから遠からず雄姿を見ることができるでしょう。
(後編に続きます)
北大構内はどこも良く除雪されていたのですが、百年記念会館から次の目標のサクシュコトニ川にいたる小路はどうやら除雪されていなかったらしく、私は現在位置も、方向も判らなくなってしまいました。
除雪されている道を歩き続けているうちに見慣れた総合博物館の建物を見つけることができ、ようやく現在位置を確認することができました。
結局、私はかなり遠回りをしてサクシュコトニ川の辺りに近づいたのですが、川は雪が深いために見当たらず、次のクラーク像を目ざすことにしました。
クラーク像は多くの人が行き交う構内のメインロードの一角に雪を被って佇んでいました。クラーク博士の功績については私などが語る必要もないほど有名です。

クラーク像のすぐ近くに古河記念講堂があります。

この講堂は1906年(明治39年)古河財閥の寄贈により建設された建物です。フレンチルネッサンス風の美しい建築物で、現在は文系教官の研究室に充てられているそうです。
続いて近くには同じような歴史的な建物旧農学校校舎があります。

この建物は1901~02年(明治35~6年)に建てられたといいますから、古河記念講堂より古い建築物ということになります。
現在は、交流ブラザ「エルムの森」として立派に活躍しています。
旧農学校校舎から現農学部の校舎を回り込むようにしてポプラ並木を目ざします。
その途中、ちょうどクラーク会館の近くに留学生センターがあります。

人の気配があまりなく、近寄り難いような印象を受けましたが、北大に学ぶ外国人留学生には頼りとする施設であるとのことです。
農学部校舎の裏手に回ると、マップでは小麦研究記念碑があると出ています。
なるほど通路脇にそれらしき案内板がありましたが、肝心の記念碑は雪の中に埋もれていて碑そのものは見ることができませんでした。

そしてご存知のポプラ並木です。

現ポプラ並木は、樹木の老化と台風による倒木によって往時のような優美さは失われています。まして、冬季はその葉も落としているため寒々とした光景でした。
代わって夏にも見ましたが、構内の西方に平成ポプラ並木が造成されています。まだまだ幼木でしたが、成長の早いボプラの木ですから遠からず雄姿を見ることができるでしょう。
(後編に続きます)