ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

福島原発事故を科学・技術体系に基づいて考え続けます

2011年12月31日 | 日記
 12月年末になると、テレビ局は年末の特別番組を放映します。その中には、今年1年間を総括するニュース特集なども放映されます。当然、今年のニュースの中心は3月11日に起こった東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故です。

 東日本大震災のニュース特集や検証番組では、大地震後に押し寄せた大津波の接近情報が地域住民にうまく伝わらず、一度避難しながら大丈夫と思って自宅に戻った人や、あと1分早く避難すれば、街中を襲った津波から逃げることができた人の映像が流れ、何ともいえないものがありました。

 東京電力の福島第一原子力発電所の事故は、12月26日に政府の事故調査・検証委員会が中間報告書を公表したことを加味して、日本では原子力発電所をどう位置づけるのか、福島第一原子力発電所の数10年間にわたる廃炉問題が提示され、議論され検証されました。



 日本の科学・技術力と企業(電力会社と原子力発電所メーカー)のマネージメント能力からみて、原子力発電所は安全対策が立てられいたのかどうか、疑問が生じます。特に、政府の事故調査・検証委員会の一人の委員が「炉心溶融を防ぐための冷却装置である非常用復水器の操作に問題があった」と指摘したことにショックを受けました。第一と第三原子力発電所では、非常用復水器が働いていないことにもっと早く気が付けば、別の冷却対策を実施できた可能性があるようです。その一方で、当時の津波直後の福島第一原子力発電所は電源がない中で、何か手を打たないと大変なことになると、その対策を模索していた方もいます。東京電力が安全対策のマネージマントを考えていなかったことの結果のようです。

 想定外というよりは、福島第一原子力発電所の設計・施工時に設定した安全対策を基に、その後の改良・改善が“安全神話”の想定内でしか考えられなかったように感じます。さらに、津波対策を指摘されながら、費用がかかるとの理由でその対応策が先延ばしされた事実も浮かび上がり、当初につくり出された“安全神話”の呪縛の強さに驚きます。

 東京電力以外の各地の電力会社は、原子力発電所の運転を続けるのかどうか、地域住民に説明することが重要になっています。12月25日に九州電力は、佐賀県の玄海原子力発電所4号機を定期検査のために、停止しました。この結果、九州にある原子力発電所はすべて止まり、全国でも90%近くが停止したことになるそうです。

 定期点検後の再稼働は地域の都道府県の知事の認可が必要になります。ここで、地域住民が原子力発電所を必要としているのかどうか、議論されます。数10年先までのことを考えて、議論し、決断する必要があります。地域住民の賛否両論がまとまる過程が民主主義としてのプロセスを考えさせ、学習させると思います。

 最近の科学・技術体系は複雑化し先端化しています。このため、その中核技術などを理解することが難しくなり、専門家の判断に結果として任せています。原子力発電所の事故では、企業である東京電力を政府が指導するために、経済産業省の中に、原子力保安院(今後は環境省の外局として原子力安全庁に再編)が設けられ、国策として推進した原子力発電所を監督する仕組みを設けました。この原子力保安院が機能したかどうかも、事故調査・検証委員会の役目になります。

 複雑化し先端化した科学・技術体系とどう向かい合うのかを考え続けることが、思考停止を防ぎます。20世紀に大発展した科学・技術体系を、21世紀はどう利用していくのか、行けるのかという大命題を考え続け、節目ではある種の決断をすることが重要になります。

 よいお年をお迎えください。